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“自分ごと”がどれだけあるだろう

 こんばんは。

_____にまつわるエトセトラ 共同代表の三宅です。

今朝読んだコラムがじんわりと胸に響いたので、そこから感じたことを今日は書いていきます。

ちなみに今朝読んだのはこちら。

著者の四角大輔さんは

「地球との共生」というテーマを掲げ、行き過ぎた大量消費社会と距離を置く暮らし方「ライフスタイルシフト」を提唱する執筆家。
過去、ソニーミュージックとワーナーミュージックに計15年間勤め、絢香、Superfly、平井堅、CHEMISTRYらをプロデュースし、計10回のミリオンヒットを記録している。

というかた。知らないうちにその作品に触れている方も多いのではないでしょうか。

この「地球との共生」というテーマは、僕自身もすごく共感するもの。

だからこそ僕の胸に響いたのでしょう。

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僕が“自分ごと”を意識したころ

「経済成長し続けて大国になること」に狂喜乱舞する大人たちの姿と、急激に失われていく弱々しい自然の姿を真横で見ながら、子ども心に、胸の奥はずっとチクチクしていた。
幼いぼくは、まだその違和感を言語化することはできないでいたが、母は隣でいつも、「このままだと、人間は地球に住めなくなる」と嘆いていた。
この言葉は強烈な痛みとなって、ぼくの心に刻み込まれることとなる。

コラムの中で四角さんが書かれていた一節。

なんとなく似た経験が僕にもあります。

小さいころにTVで見た『世界がもし100人の村だったら』という番組。
その中には日本での日常では考えられないような景色が広がっていて、幼心にも「なんとかしなければ」と思っていたのを覚えています。

しかし時は経ち、そんな思いを抱えながらも気がつけば僕は都会での会社員生活をしていました。(会社員生活が悪いということでは全くないのですが)

僕は中学生の頃には、高校に進学する意味がよくわからず親と口論したり、結局高校には進学させてもらったもののやはり大学に進学する意味がよくわからず口論して、大学にも進学させてもらったものの、就活の仕組みに違和感を覚えたりと、ずっと“なにか違う”と感じるけれども行動することができずにいたのでした。

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そんな僕が初めて、違和感を正すために自ら動くことができたのがいまの暮らしへの移住。

きっかけはイギリスのEU離脱騒動でした。

なぜそれが??
と思う方もいらっしゃるかと思いますが、僕の中では間違いなくあの時、強い違和感を感じたのです。

少し解説すると、EU離脱騒動といっているのはイギリスがEUの離脱をめぐり、国民投票を行ったときのこと。当時の世間の予想は離脱反対が多数を占めるだろうというものでしたが、予想に反して結果は賛成。その結果その日の株価も大きく下がったのを覚えています。

当時金融業界で仕事をしていたことも大きいと思いますが、EU離脱というイギリス国民にとっては日々の暮らしにも影響するようなニュースは、海を渡って日本に入ると日本経済への影響がどうかという観点で述べられており、そのことに対してなんとなく違和感を覚えていたのでした。

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もちろん経済は大切です。経済が回ることでの恩恵を受けて現在の暮らしは成り立っています。ですが、経済を回すことが何よりも一番大切なことなのでしょうか?

経済発展を強く求めるあまり、大切にすべきものを見失いつつあるのではないか。そんな違和感を感じ「ではどうすれば自分は、社会はその違和感を正していくことができるのか」「そもそも社会にとって大切なものとはなんなのか」という疑問も浮かんでくる。
これが僕にとって、自分たちの暮らす社会が抱える問題が“自分ごと”となった瞬間でした。

働くことで「経済成長も止まり、“豊かさ“が分からなくなってきていること」を肌で実感し、「これから新しく目指す先」を自ら動くことで探したいと思ったからこそ移住をしたのです。

“自分ごと”が増えていく

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上山での暮らしを始めてからというと、いろんなことを自分で考え、行動していくからか“自分ごと”と感じることが増えていきました。

農業に関する問題も“自分ごと”

里山に関する問題も“自分ごと”

街中での暮らしや、教育に関することだってそう。

いろんなことに主体的に関わるようになったことで、“自分ごと”として捉えるようになったのです。

そしてそれらを考えること、行動していくことは難しくもあり楽しいものだと感じています。

実際にいまの里山での暮らしにまつわる問題だけ考えても正解はひとつではなく、簡単に解決できるものではないと実感しています。ですがそれを苦しいことだとは感じないのです。

ひとつひとつ、正解に向かって進んでいくこと

行動することで環境が変わっていくこと

それらをとても嬉しく、おもしろく感じているのです。


“自分ごと”でなかった場合はどうかと想像してみると、なんだかつまらなそうに感じて想像も捗りません。

それだけ“自分ごと”であるかどうかの間には、大きな差があるのです。


みなさんはどんなことを“自分ごと”と感じるのでしょうか。

そのことに熱中できているでしょうか。


一度そのことに向き合ってみると、なにか見えてくるものがあるかもしれません。


今日も最後までお付き合いいただきありがとうございます。

僕はいま新しく取り組みたい“自分ごと”が増えてワクワクしています。



ーCreditー
文章・写真 / 三宅康太

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