うどん食べてる場合じゃない!これって国際的謀略!?その日、カメラマンは調査報道記者になった
ここは「うどん県」香川。
ランチには1杯200円でおいしい讃岐うどんが食べられるし、飲んだ後も〆にはカレーうどんが定番です。
NHKに入ってから、函館、福岡、東京ときて、香川県の高松放送局で4か所目の勤務。未踏の地だったけど、瀬戸内海に面した風光明媚な土地だし、いい場所に来たなあ。
高松から東南アジアに進出するうどん店の経営者を追って、小型カメラ片手にシンガポールに出張したこともありました。カメラマン人生、満喫!
そんな時、ある怪しい話を聞いてしまったのです。
「秋に高松で開かれる国際学会に、アフリカからおかしな参加申請が相次いでいる」
これは匂います、事件の匂いが…。
その暑い夏の日から、私の調査報道が始まったのでした。
楽しい高松生活、それが…
高松に赴任して2年が経った、2015年夏のこと。
現代アートの祭典「瀬戸内国際芸術祭」が開かれ、街中で外国人観光客の姿をよく目にするようになっていました。
夜、馴染みの店に行くと、右を向けばフランス人、左を向けば韓国人。おお、高松って結構、国際的じゃないですか。
瀬戸内の海の幸をつまみながら、夜な夜な国際親善をするのどかな日々を過ごしていました。
ある日のことでした。
私、自分の大学の先輩でもある、香川大学の教授と交流があり、ヒマを見つけてはお邪魔していました。その日も特に用事があるわけでもなく、雑談をしていたのですが、その時、気になることを教授が切り出したのです。
「秋に、東アジアの環境史をテーマにした国際学会を開くんだよ。そこにガーナやナイジェリアから、やたらと申請が来ているんだ。これはどうもちょっとおかしい」
教授はその国際学会を主催しているので、心配だとのことでした。
そもそも学会のテーマは東アジアの環境史。関わっている研究者はアジアの人が中心で、アフリカの人たちがそんなに関心があるとはちょっと想像しにくい。実際、過去の学会でも、アフリカや中東からの参加者は1人もいなかったといいます。
それって「ちょっとおかしい」じゃ済まないのでは。久しぶりに取材者としての血が騒ぎました。
何かが、起きています。これは探ってやろうじゃありませんか。
アフリカからの怪しすぎる申請
まずは事の全体像を把握しましょう。そもそも私、学会、とりわけ「国際学会」の仕組みなんて知りませんよ。
香川大学までは、放送局から自転車で5分。コンパクトな高松はいいですね。教授に余裕のあるときに研究室やご自宅にお邪魔して、少しずつ説明をうかがい、取材を進めました。
まず分かったのは、国際学会に海外から参加するにはビザが必要なことです。そしてビザの発給には、学会の主催者が発行する「招へい状」という証明書が必要。これ逆に言えば、学会から「招へい状」をもらうことができれば、日本入国のためのビザが手に入る、ということですよね。
時間のあるときに少しずつ話をうかがい、私自身もカメラマンとしての仕事があったので、こうした仕組みを把握するまでに3週間もかかってしまいました。教授からインタビュー撮影の許可もいただき、いよいよ「怪しい点」について具体的にうかがいます。
「あるガーナからの申請者は、学会参加費の決済に登録したクレジットカード番号が全くの他人のものだった」
え、なんでそれで通ると思ったの?一発アウトでしょ。
「ナイジェリアからの4人は政府高官として申請してきたが、在日ナイジェリア大使館に確認したら『無視することを勧める』と言われた」
え、え、偽モノってこと?なんですか、それ。
唖然とするような状況で、憤りを通り越して、なんだか妙な興奮さえ覚えました。とにかく、明らかに何らかの不正が行われていることは分かりました。しかし目的は何でしょうか。学会を利用した不正入国?うーん。
カメラマンの技をみせますよ
高松局では、同期の吉田稔記者がデスクをやっていたので、ここまで調べたところで彼に相談しました。取材の進め方や方向性を決め、こうした申請の目的や理由までは分からないものの、とにかく「アフリカからの不審な参加申請が相次いでいる」ことを報じようということになりました。
いよいよ、「ブツ」の撮影です。
教授から預かった資料の中に、明らかに不正が起きていることを示すものがありました。それはナイジェリアから入国しようとしてた、4人の学歴証明書です。もちろん4人は別人のはずなんですが、サインの筆跡を見ると…似ている。そっくりです。
こういうときこそ、映像取材陣の腕の見せ所です。放送局には資料などを「接写」するための小さな部屋があります。そこにVEたち(音声や照明を担当するエンジニア。NHKではライトマンと呼びます)が集まってきてくれて、カメラアングルはこうじゃないか、照明はこうでしょと、みんなで知恵を出し合いました。
視覚に訴えることは、何より説得力があります。目指したのは逆光で強めに照明を当て、別の二つの書類を動かしながら、次第に筆跡を重ねていく映像。何度も試行錯誤を重ねました。
そしてついに筆跡がぴったり重なり、ピントも合ったキレイな映像が撮れた瞬間には、狭い接写室に「キター!」という声が響いていました。(あ、音声は収録してないので大丈夫です)
翌日、学会が開かれる予定の会議場も撮影し、VEに私の「立ちリポ」も撮影してもらって、映像面での準備は整いました。
いよいよ放送です
さて、では原稿を書かなければ。ここで吉田デスクから、思わぬアドバイスがありました。
「これ、絶対に香川県だけじゃないぞ」
確かに。国際学会は日本全国で開かれています。もし組織的に行われているのだとすれば、広がりがあるはずです。
とはいえ、手がかりも人脈もありません。そこで思いついたのが、学会の準備を請け負った東京都内の業者に聞いてみることでした。国際学会は、教授たちが会場の設営や運営まで自分たちの手でやるケースは多くはなく、大抵は専門の業者に依頼しています。取材してみると、どうやら福岡や山形などでも起きている模様。放送前に教授に内容を改めて確認してもらいました。
スタートから2か月近くたった9月末、高松発の昼のニュースのトップで放送することができました。「独自」のニュースを出すときはいつも緊張しますが、この時の緊張は格別でした。
5分間のローカルニュースの放送が終わり、取材のお礼をしようと教授に電話をかけます。でも、通話中で全然つながりません。ようやくつながったのは1時間後でした。
聞けば、地元紙やテレビの取材が相次いでいたとのこと。ニュースを見た香川県警からも話を聞かせてほしいという連絡があったそうで、当然といえば当然なんですが、意外に感じました。
しかしこれで終わったわけではありません。まだ、不審な申請の背景には、たどり着けていないからです。ここからが、本当に長い道のりでした。
カメラマンの私にできるのか
全国に広がっている可能性があるのなら、高松のローカルニュースだけにとどめておくわけにはいきません。次は全中(全国放送のニュース)が待っています。
地方局が取材したニュースというのは、拠点局を通じて、社会部ネットワーク(現在のネットワーク報道部の前身)が採用、不採用を決めます。採用されれば、全中で放送。でも、この記事を見たネットワークは、単にそのまま放送するのではなく、「全中展開をしかけよう」と判断したようです。
「全中展開」とは、各局の提案やローカルニュースを東京の出稿部の記者・デスクを投入して全国に展開し、「調査報道」としてさらにレベルアップして発信するものです。
投入されたのは、社会部の精鋭記者たちでした。そこに私と高松の後輩記者も加えて、4人の取材班を結成しました。
リーダーは社会部ネットワークの笠松弘治デスク。警察や海上保安庁の取材に強く、殊に「水際」で起きる事件・事故に通じていました。今回の取材テーマにぴったりです。笠松デスクの指示はシンプルでした。
「まず、直近1年間に全国で開かれた国際会議を全て調べ上げろ。同様の事例がどの程度あるか、データとしてまとめる」
カメラマンの私には、調査報道の経験はもちろん、警察取材の経験も、行政取材の経験も全くありません。もちろん「やる気」と「伝えたいという気持ち」はありますし、端緒は自分の取材ですから、やるしかありません。
まずはリスト化
国際会議と一口に言っても、医療系、歴史系など、分野は実にさまざまです。どんなものがあるかは、日本政府観光局(JNTO)のホームページでわかります。国際会議と認定したケースが掲載されているからです。これをもとに、リスト化する作業から始めました。
しかし始めてすぐに気付いたことがありました。
「やばい、こんなにあるのか」
1年間で220件。このすべての担当者に接触を試みて、話を聞き、情報をまとめる作業が必要になります。さらに、高松での取材でもやったように、国際会議は専門の業者に実務が委託されるので、そちらにも取材する必要があります。4人で手分けして、電話したり、メールを書いたりする作業を始めました。
自分の担当分だけで60件近く。
当時、私は高松局で一人三役をこなしていました。カメラマン、カメラマンのデスク、そして定期的に回ってくるローカルニュース「ゆう6かがわ」の編集責任者です。でも事情は社会部の記者たちだって同じです。自分のルーティンワークをこなしながら、かたや調査報道にも取り組む。調査報道とはそういうもののようです。
10分でも隙間の時間を見つけては電話をかけ、メールのやり取りを繰り返しました。不審な参加申請が相次いだ国際会議を見つけると、主催者に個別の取材をして、情報提供をお願いしました。
そして気が付けば、年を越していました。
手元のノートには、電話取材をしながらメモを取った殴り書きの字がどのページにも踊っていました。
「東京のNHKじゃないと取材は受けない」と言われたり、電話口でいきなり怒鳴られ、電話を切られたりするケースもありました。つらい…。
ついに「国際会議で入国し、不法滞在」を発見
こうした調査取材の最終的な目的は、それをきっかけに、不審な申請の本当の目的を探り、当事者に当たることです。
私は高松勤務だったので、東京出張や帰省の折を見て、関東近郊のナイジェリア人コミュニティや飲食店を飛び込みで訪ねるくらいしかできませんでした。不法入国している人間につてもなく、初見の人間に話してくれることも難しい。どうやったら実際に入国した人にたどり着けるのか。途方に暮れていました。
1月半ば、社会部の山尾和宏記者が、ついに吉報をもたらしました。
首都圏で開催された国際会議を足掛かりに入国し、不法滞在を続けているガーナ人男性を見つけ出したのです。日本国内での外国人コミュニティに地道に取材ルートを築いてきた、彼ならではの成果でした。
私もすぐさま上京。山尾記者の隣で、インタビューのカメラを回しました。
男性は当初、自らを社会学者だと名乗っていましたが、山尾記者があれこれと追及すると、次第に回答がおかしくなってきました。
そこで、脇からちょっと質問してみました。
「あなたは高校や大学は卒業したのですか」
彼はうろたえ、言葉につまりながら「ノ、ノー」と答えたのです。そしてこんなことを認めました。
・招へい状は仲間のリーダーが入手した
・経歴は詐称したものだ
・渡航費用はスポンサーが用意してくれた
・国際会議には参加さえしていない
・母国の治安が悪いので、日本で平和に暮らそうと国際会議を利用した
ついに明らかになった背景でした。その目的も、組織的に行われている可能性があることも分かりました。その瞬間に立ち会えたことで、カメラを持つ手が小さく震えました。
この男性に招へい状を発行した大学教授は、男性の日本滞在中の生活を保障するとした「身分証明書」なども発行していました。後に取材したところ、「参加費が支払われれば、招へい状を発行していた。身元の確認には限界があった」と話していました。受け入れる日本側のチェックの緩さも、見えてきました。
苦笑してしまうほどのずさんな大量申請も
さらに、東京大学への取材では、大量の不審な申請を見つけることができました。
防災に関する国際会議の事務局に問い合わせたところ、なんと170件の海外からの参加申請が「ほとんどが怪しい」ことがわかったのです。
「中村さん、ちょっとこれ見て下さい」
インタビューに応じてくださったのは、国際会議の代表を務めた教授。パソコンの画面に表示されたリストを見て、驚きました。
「ナイジェリアからというのがずっと続きますが、こんなにたくさんの方がおいでになるというのは、普通はちょっと考えられないですよね」
撮影しているカメラのレンズ越しに、Nigeriaという文字がずらっと並んでいるのが見えました。
実務担当者の方が示した、申請の際の20通ほどのメールにも、思わず苦笑してしまうほどのおかしな特徴が見られました。
不審な申請の3分の2がアフリカからで、多くが各国の「州政府」所属を名乗っていたのですが、メールアドレスのアットマークの後ろをよく見ると、ほぼすべてが誰でも使える「フリーメール」のアドレス。いや、これおかしいでしょ。公式な申請で使わないでしょ。
ガーナのNGOを名乗る人物からのメールでは、のべ11人分の「招へい状」を要求してきていましたが、記載されていたパスポート番号と生年月日を上から見て行くと、何とそのうちの7人が全く同じという、パンチの効きすぎた内容でした。
別の取材では、当たればもうけもの、入国してしまえばこっちのもの、と考えたのか、複数の国の複数の会議に、手当たりしだいに申請を出しているような猛者も見つけました。
特にナイジェリアの場合は、非常に治安が悪い地域もあるので、日本で暮らしたいとか、働きたいという事情はあるのかも知れません。ただ元入国管理局長の専門家は「不法就労で利益を得ようというブローカーグループが一番可能性は高いと思うが、この方法を使って犯罪をする人を入れることもできてしまう」と、危険性を指摘していました。
半年がかりの調査報道、ついに発信
こうした情報取材、映像取材を重た末、ついに2月、放送にこぎつけました。
「少なくとも35の国際会議で、430件もの不審な申請があった」
ニュース7、ニュースウォッチ9、翌朝のおはよう日本、さらに国際放送で海外に向けても。目的は不正入国とみられ、実際に入国されてしまったケースがあることなど、さまざまな取材結果を、角度を変えながら展開し、報じました。
私にとっては初めての調査報道でした。
高松発の全国発信へ向けて、いわば「ステルス取材」は長くも感じましたが、山を登り切ったような大きな達成感もありました。タイミングは伊勢志摩サミットの直前、また東京五輪に向けて、入国管理の在り方に焦点を当てる意義も大きかったように思います。
ただこの報道、いまだにどこのメディアも「後追い報道」はしていません。いや、なかなかできないんだと思います。調査報道は後追いが難しい、そう言われているのを実感しました。
このノートを書くにあたって、残っていた当時の取材資料を引っ張り出してきました。なんと、重さが4キロ近くもありました。これが取材の重みなんだなあと、いま思い出しています。
私はカメラマンですが、記者であろうと、ディレクターであろうと、みな同じ取材者だと思います。きっと、誰でも発信できる。
大事な話をうまく聞きだせずに、悔しくて別の取材にまで引きずってしまったこともありました。自分には大きすぎるネタに出会って、どうしていいか困ることもあるかも知れませんが、私のように仲間と取材すれば、突破できるかも知れません。
そして何より、あの夏の日に覚えた、血が沸騰するような感覚。それが引き起こしてくれた「これを取材するんだ」という気持ちが、支えてくれたんだと思います。
どうかみなさんにも、そんな気持ちになる瞬間があらんことを。
さて、私はおいしいうどんを探しに…
中村 祥
2000年入局。映像取材部時代、東日本大震災2日後に岩手県山田町に入り取材。また韓国、北朝鮮から、遠くアフリカでも海外取材を経験。現在は世界各地からニュース映像を集める「国際映像コーディネーター」を担当。