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コロナ禍なのに海外の話題をどうやって番組にしているのか、お伝えします!

私は国際系の話題を番組にするのが仕事のディレクターです。が、よく友人や同期に言われる質問があります。

「コロナ禍なのに海外の話をどうやって番組にしているの?」
「海外に行けないから仕事していないんじゃないの?」

まじアフリカ大好き、2年目のディレクター・藤田修平と申します。
大学院では「アフリカの大統領選挙(ケニアとガーナの比較)」を研究してきました。常に変化し続けるアフリカ。特に政治や経済の変化は激しく、知れば知るほどもっと知りたくなる。そんな場所であり、ずっと寄り添いたい場所です。

画像 筆者とケニアの子どもたち
ケニアで小学校の先生をやっていた時の昼休み中のひとときです

コロナの感染が拡大し始めた2020年4月にNHKに入局し、配属が「報道局 政経・国際番組部」の国際班。どうやらこの部署、コロナの感染が広がる前までは頻繁に海外取材に行っていたそうで、中には1年のうち半年ぐらい行く人も…。

でも、コロナ禍になってからはほとんど出張できていません。だから上記の質問は来て当然です。最初は真摯に答えていたのですが、いっそこんなに聞かれるならまとめてお答えしますと、執筆の機会をいただきました。

題して、どうやって海外の話題を番組にしているの!?です。

どうやって海外の話題を番組にしているの!?

今回、私たちはまったく海外に行かずに、99分のアフリカのドキュメンタリー番組を制作しました。12月5日(日)BS1夜7時から「激動の世界をゆく」という番組でアフリカのケニアとガーナが舞台です。

アフリカといえば【動物・暑い・貧困】というワードを連想するという人もいれば、あるいは、【成長する大陸と言われて二十数年】【中国と友好な関係を結ぶ】というイメージがある人もいるかと思います。

今回の番組は「その概念を覆します!変わり始めるアフリカを伝えます!」というのがコンセプトです。

せっかくなのでこの番組に沿って、コロナ禍での番組制作をお見せしたいと思いますので、番組に興味を持ってくださるとうれしいです。

画像 キリン
アフリカと言えば動物!

番組ってどのように作られるの!? 1枚の企画書から

番組にするのにまず書くのが、A41枚の企画書。海外の話題は特にこの企画書を書くだけで一苦労です。現場を見ていないので情報が乏しく、驚く話も見つけにくい…。

私は、(アフリカ諸国の)大使館に行ったり、電話で聞いたりして、各国の情報を集めています(この時間が一番楽しい!)。彼らしか持っていないおもしろい情報をこっそり教えていただけたことから放送へとつながることもあります。

▼大使館の若手職員のみなさんとの何気ない会話の中からこんなリポートを制作してきました▼

もちろんおもしろい情報をテレビで伝えるため映像の入手は必須です。
海外の話題を放送するにはいくつか手法がありまして、よく使われるのが、海外のカメラマンやリサーチャーと呼ばれる人たちに取材してもらう、リモート取材です。

通常は私たちディレクターもカメラマンと海外出張をして、一緒に現地で取材・撮影をするのですが、コロナ禍で、こうしたリモート取材が一気に広がりました。
彼らは私たちの代わりに現地の業務をやってくれる、まさに分身。

彼らに指示を出して撮影してもらい、私たちで編集し放送します。リサーチャーと仕事をするときに当然ながら会話を重ねるため、大使館取材と同じように、彼らしか持っていないおもしろい情報をくれ、遠い国の話でも徐々にレアな情報が集まってくるのです。

こうした情報(もちろんインターネットや大学院での研究なども)を元に番組の企画書を作成。企画の採否については、上司などが、おもしろいか、社会的意義があるのかなど、あらゆる視点で判断します。

やった、採択!いざ、制作へ

今回の99分のドキュメンタリー番組もこうしたプロセスで何度か企画書を書き直し、ようやく採択され、番組が作れることになりました。

しかし、入局2年目のディレクターが30分や50分の番組も作ったことがないのに、いきなり99分の番組なんて作れません。ですので、同じ部署の8年目の先輩がケニア編、私がガーナ編と分担しました。(ちなみにこの先輩もアフリカに詳しいディレクターで、心強く思いました!)

画像 先輩と筆者
先輩ディレクター(左)、筆者(右)

先輩が担当の「ケニア編」。ケニアは、中国やアメリカといった大国の投資や援助で急激な経済成長を遂げています。さらに若者を中心に中国の動画配信アプリが流行!アメリカも負けまいと得意の農業分野で存在感を見せています。さらに日本も!?大国の投資や援助を次々と取り込むケニアの人たちを取材しました。

私が担当した「ガーナ編」。ガーナは、ドローンやフィンテックといった最新のテクノロジーを導入し、援助に頼らない自立した国へと歩み始めています。農村部ではドローンの運用が始まったり、アプリ一つで収入が上がったりするなど、もはや欧米をも超えちゃう発展がみられます。こうした新たな発展はアフリカの新秩序になるのか、迫りました。

メイキング写真

9月6日 アフリカ生活始まる

制作が本格的に始まったのが9月6日(パラリンピック閉会式の翌日)から。ここから私のアフリカ生活が開幕しました。

ガーナ編では、ガーナから東へ約3500kmのウガンダにいる日本人のベテランリサーチャーとタッグを組みました。ガーナには日本人のリサーチャーがおらず、現地のリサーチャーにお願いする場合は外国語を話す必要があります。

今まで日本人や外国人のリサーチャーと仕事をしてきましたが、日本人の方が自分の意図を察してくれるというメリットがあり、一方で外国人は現地に顔がきくなど、双方にそれぞれメリットがあります。

今回は初めての長尺番組なので、日本語の繊細な言葉を使って指示をしたいと思い、日本人のリサーチャーに依頼しました。そしていよいよ撮影が始まるのですが、ここからが試練でした。

地図 ケニア ガーナ ウガンダ

“激動”の撮影期間 遠隔ロケ開始!

①取材交渉
「胃が痛くて眠れない」。先輩ディレクターとともにドタキャンに泣かされる

リサーチャーには1か月程、ガーナに滞在してもらい、前半はアポどりや情報取材、後半は撮影期間としていました。一番大変なのがダントツでアポどり。

私とリサーチャーがいくつか企業や団体に取材したいとお願いをしたところ、全ての人や企業から「いいね!おもしろそう!上に確認してみるね」とのよい返事が来ました。いつも取材交渉は難航するのですが、今回はプラン通りに進められると最初の4日だけ思っていました。

しかしここからが苦闘です。いざ進めると、何日たっても「まだ上の許可をとっていない」などと言われ、本決まりができない状況。最も泣かされたパターンがこちらです。

1日目 取材申し込み→好感触
3日目 本社&社長に挨拶→正式な決定
4日目 取材日程などの相談「ちょっと待ってて」(何度か連絡するものの返信が2日おきなど)
9日目 「(非常に迷惑がられながら)しょうがないなぁ、12日目に来てください」
11日目の夜 「やっぱりなしで」→ドタキャン

好感触を匂わせておいて結局取材できないということが何度もあり、日数だけが食われていく…。このままだったら番組が成立しないという不安に襲われ、夜も眠れない日々が続きました。

※なおケニア編の先輩ディレクターも同じ状況に陥っていました。

メイキング写真
落ち込む先輩ディレクター

②撮影項目表
めっちゃ詳しく書くので膨大な量に…!

撮影前には、リサーチャーと何度も打ち合わせをします。そこで撮影項目表を作成するのですが、1日ごとに詳細に書かなければなりません。

コロナ禍でなければ、自分が現地に出張して撮影しますので、こうした撮影項目表を詳しく書く必要はないのですが、他の人に撮ってもらうとなると細かさは重要です。

さらに撮影クルーは日本人リサーチャーだけでなくカメラマンなどにはガーナ人が何人かいます。彼らにももれなく共有するため、英語版の撮影項目表も作成して、その日の撮影に行ってもらいました。

イメージ画像 撮影項目表(英)です
こんな感じでガーナ人スタッフにも読んでもらいました(イメージ)

例えば高級な飲食店やショッピングモールを撮る時は…

●高級なレストランやカフェ(少なくとも2店舗くらいで)
→①外観(横PAN、静止等)
②外側から見えるメニュー(静止、ズームイン等)
③高級感伝わる外から撮った店内(とその家族)等。(中も撮れたらなお良し)

●富裕層らしき家族が仲むつまじくいる様子(ショッピングセンターや遊具場、カフェとかで撮ってください)
→①子供が遊ぶ様子(天真爛漫な感じ?)
②親子で仲良く歩く等

●ショッピングセンターの概観や外側からとれる豊かな感じ
→①大きいショッピングセンターの外観
②巨大な駐車場
③ショッピングセンターの入り口で多くの人が入る

こうして膨大な量の撮影項目表を1日ごとに作成します。私は夏休みの宿題は7月に終わらすタイプなので、撮影項目表も2日前には書き終わっていました。

イメージ画像
すると、こういう感じの映像を撮ってくれます!

しかし前記のようにドタキャンを含め突然のスケジュール変更が頻繁にあります。さらに取材情報も常に更新されるため、それに沿った撮影項目表に変更しなければなりません。2日前にできた項目表も撮影直前になると原型を留めておらず、自分の中でも激動の日々でした。

③苦しめられる時差
眠くても起こされる午前3時の電話 

ガーナと日本の時差は9時間。ガーナで一日の撮影がだいたい終わるのは午後6時。次の日に向けた打ち合わせをすぐさましたいところですが、日本では午前3時です。

撮影開始当初は、私の睡眠を考慮し、打ち合わせをガーナ午前8時、日本の午後5時にしていました。
しかし、撮影が始まると想定外なことばかり。日本の午前3時・ガーナの午後6時に「お電話ください」とピコンと連絡が。

メッセージ画面 リサーチャーさんから お電話お願いしますの連絡3回
私はこの日を“緊急連絡三連発”と呼んでいます

通知音で起きて連絡する日々が続いたため、次第に日本時間午後4時と午前3時に2回電話するようになりました。そして私もガーナの時間で動き、当時の時計はガーナ時間にセットしていました。

日本のテレビ放送画面とガーナでの時計時刻
日本の午後7時はガーナの午前10時です

さらに私自身もガーナ人と日本から連絡をとっていたのですが、ガーナを含めアフリカ社会は電話してなんぼです。午前4時に寝ることができても、午前6時に電話で叩き起こされることもあるのです…。

④超ビッグな人が登場
時の人であるガーナの貿易産業大臣

今回、番組では現職の貿易産業大臣に話を聞きました。大臣は長年ガーナだけでなく西アフリカの経済発展を先頭に立って引っ張ってこられた人物です。

これまでも短い社会人期間でありながら、ありがたいことに海外(アフリカ関係)のVIPと関わらせていただいたこともありました。しかしさすがに一国の大臣は初めてです。アポイントをとれるか、不安がありました。

そこで頼りになったのが、序盤で記していた大使館巡りで築いた大使館員の皆さんとの関係でした。ガーナ大使館にも足を運んでおり、そこで関係を築いた職員がいて、インタビューを申し込むことができました。しかしとあるプロセスで行き詰まります。大臣が私たちの取材を受けるには関係各所の許可が必要だったのです。

画像 外観
在日ガーナ大使館

私たちはガーナ本国とのつながりは皆無。そこで、在ガーナ日本国大使館やガーナに強い企業などのアドバイスをいただきながら少しずつ交渉を進めました。

しかしまったく手ごたえがないまま、1か月が過ぎたある日。急に電話がなり、出ると、「明日の19時行けるか?」。行けませんと答えたらもう次の機会はないと思い、「行けます!」と回答。私たちのスケジュールを急きょ整え、何とかインタビューが実現しました。

インタビュー画像
チェレマテン貿易産業大臣

⑤ガーナから届く映像素材
確認が辛い、辛すぎる…

撮影した映像は、現地からほぼ毎日送られてきます。その届く映像を見るたびにへこんでいました。その理由は2つあります。

1つ目は、予想できない撮影文化の違いです。

メイキング写真
「カメラのマイクが見切れても気にしない」撮影文化の違い

例えば、とある登場人物(Aさん)のインタビュー撮影では質問の回答ごとに録画を止めてしまうというハプニングがありました。

Q:この人は子どもの時どういう人だったの?
A:この人は、実行力があってみんなから好かれている人でそれは今も変わりありません。でもね、中学生の時~「ブチ」
(えーーーーー、そこからが大事なんじゃん、カメラマン泣)

インタビューの際、日本では基本的に相手が話している間はずっと録画し続けます。しかしガーナでは、質問ごとに録画を止めるそうです。
しかし私はそのことを全く知らず、その日のほかのインタビュー撮影だけでなく、その翌日のインタビュー素材も細切れでした。

もし現場にいれば、どうすればこのミスを挽回できるかと考えられるのですが、映像素材が届くのが数日後なので、なかなか別の策を出すのが厳しい状況です。こうした想定外のミスが何度かあり、そのたびにへこんでいました。

とはいえ、ほとんどがすばらしい素材です。
雄大な自然や日本とは180°違う光景。エネルギーと若さにあふれた雰囲気に、滅多にお会いできない人たちへのインタビュー…。
「あーー、コロナがなければ、こういうの、全て自分でできるんだな」と思ってしまう。悔しさのあまり素材をずっと見ることができない。
それが、私がへこみ続けた2つ目の要因で、こちらの方がよっぽど深刻でした。

メイキング写真
通称「ノーヘル三人乗りバイク」。ガーナに限らず、
おおらかなアフリカではよく見られる風景です。
現地で取材したかった…

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他にもロストバケージや通信障害など、いろいろありましたが、なんとか映像が入手でき、編集して、番組を完成させることができました。

ここまで読み進めると、大変そうだなと思われるかもしれません。確かに何かと苦労は絶えなかったのですが、この番組を制作していた期間は、夢のようなひとときでした。

好きなことに没頭できて、仕事が趣味、趣味が仕事になっていきました。いつも予想外なことが起きるので、そのハプニングに対していつもヤバいと思う一方で、来た来た来たとテンションが上がり、その苦しみがクセになった部分もあります。

放送されましたら私は、異動で秋田局に転勤します(希望していたのでうれしくてたまりません!)。秋田ではディレクターとしてもっと成長して、また東京に戻ってきたときに、次こそは現地に行って、よりワクワクするアフリカをお伝えしたいなと思っています。

また多くの人が興味を持ってくれたら、もっとアフリカの番組を作ることができるので、ぜひアフリカにも関心を持っていただけたらうれしいです!

画像 筆者
後ろが秋田局です

ディレクター・藤田修平

画像 執筆者へのメッセージはこちら

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