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「スター・ウォーズ:ダース・ベイダー」から感じるエモさ

 俺はスター・ウォーズ博士ではないものの、スター・ウォーズは心の底から愛しているし、これからも愛し続けるだろう。

 星間移動を実現しているのに、レトロさが同居している世界。いわゆるレトロフューチャーと呼ばれるものにはとても憧れがあるし、そんな好みを育んだのは間違いなくスター・ウォーズだ。そして俺は、見事に宇宙戦闘機が飛び交う艦隊戦や、光の軌跡が舞い踊る戦場が好きな人間へと成長した。

 俺がスター・ウォーズが大好きなのは、もちろんそういったビジュアルも大きい。だけど大人になってより引き込まれたのは、個性豊かなキャラクターたちだった。スター・ウォーズに限らないけど、今ではキャラクターの心理描写や、そこから来る葛藤や後悔といった感情に、より惹かれるようになっている。

 スター・ウォーズにおいて、そのような部分がより深く描かれている1人がダース・ベイダーだろう。映画においても、新3部作においてアナキン・スカイウォーカーがなぜダース・ベイダーになってしまったのかが描かれ、彼が理想のジェダイから転げ落ちていくさまは、(アナキンには申し訳ないけど)俺の好きなエピソードでもある。

 しかし、約2時間という映画の尺では(登場人物が多いスター・ウォーズなどの映画の場合は特に)、キャラクターの心理描写まで時間を割き切れないことも珍しくないし、それも仕方ないと思う。

 ダース・ベイダーが恵まれていたのは、世界に名だたる悪役として確固たる立場を築いたために、スピンオフにも事欠かないということだ。そして得てして、スピンオフではキャラクターの心理描写に触れられることが多いのである。

 今回、俺が読んだコミック「スター・ウォーズ:ダース・ベイダー」も、そんなスピンオフ作品の1つ。正確にいえば、邦訳版の発売当初に買って読んではいたんだけど、最近のスター・ウォーズ熱の再燃に合わせて読み直したところ、エモいシーンがいくつかあったので、その熱を発散したい。

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 さっきも言った通り、俺はキャラクターが後悔していたり、葛藤していたりするシーンが大好きだ。作中のダース・ベイダーは皇帝の右腕としてバリバリに働いている頃なので、普段からそういった葛藤をしているわけではない。しかし、ふとした際に過去の記憶がフラッシュバックし、行動やセリフに“感情の揺らぎ”が現れるのが最の高なのだ。

 これは、感情をコントロールして押し殺すべしと教えられる、まっとうなジェダイであれば起こらないことだ。皮肉にも、アナキンがジェダイとしては未熟な精神を持っていたからこそ、ダース・ベイダーのエモさにつながっていると言える。

 では、本書のエモい部分をいくつか紹介していこう。もちろん、多少のネタバレにはなってしまうので、注意されたし。


 タトゥイーンにて、燃え盛るタスケン・レイダーの集落のなか「仕事はようやく終わった」とつぶやくシーン

 アナキンはタトゥイーンの生まれで、彼の母親はタスケン・レイダーに殺された。映画「エピソード2/クローンの攻撃」で描かれている場面だが、当時ジェダイのパダワン(見習い)だったアナキンは、その時にも怒りのままにタスケン・レイダーを虐殺した(ジェダイの掟的には、怒りに飲まれるのはご法度で、感情をコントロールすることが求められる)。

 今回、仕事でタトゥイーンに訪れた今、彼は再びタスケン・レイダーの集落を襲い、皆殺しにしている。仕事とはまったく関係ない、私怨に過ぎない。それほどまでに、母の死は彼の心に傷を残している。ダース・ベイダーとなった今、詳細には描かれてはいないが、若いときのように激昂するという感じではないんじゃないかと思う。おそらく、タスケン・レイダーを見たとき、心の中にある黒い感情が、重く渦巻いているような、静かで暗い怒りだったんじゃないかと。そして、何も言わずに淡々と集落を“処理”するダース・ベイダーの姿を想像すると、なんとツラく、苦しい場面だろう。そこに恐らく爽快感はなく、あるのはただ過去の傷を掘り起こされる痛みだけ。まさしくエモだ。

 見開き1枚で描かれたシーンなのだが、ダース・ベイダーの空を見上げる仮面の表情と、マントの端を握りしめる手が、ただ立っているだけの姿に感情を与えているように思う。


「ドロイドか、信用に足るのはドロイドのみだ」

 アナキンは、かつて機械いじりを得意とする子供だった。奴隷時代には
C-3POをその手で組み上げ、R2-D2とも仲良くなった。昔からドロイドに対する親愛の気持ちが強かったのだ。

 ダース・ベイダーの放ったこのセリフのシーンも、そのような微笑ましい場面かというと、そうではない。ダース・ベイダーは、自らに付けられた監視役を始末するために、とある作戦中にR4タイプのドロイドを使って工作を行った。R4ドロイドは任務をやり遂げたのち、自ら宇宙空間へと飛び出して自爆した。その時に放ったのがこの言葉だ。

 工作の証拠を消すためとはいえ、昔のアナキンであればドロイドを自爆させるなんて選択肢は決して取らなかった。もちろん、スター・ウォーズのドロイドは非常に個性が強いため、ソリが合わないドロイドなどもいて、結局はR2-D2が一番! みたいな流れになることはあれど、好き好んでドロイドを自爆させるようなことはなかったはずだ。

 権力争いが激しいであろう帝国において、ダース・ベイダーといえども監視されることは少なくない。実際、この話でも、新たに就任した将軍から監視用の部下を付けられていた。もともと人を信じることをしないシスでることを踏まえても、帝国内での生活は誰にも気を許せるものではないだろう。

 信用に足るのはドロイドのみ。プログラムに沿っているからといえばそうなのだが、アナキンはR2-D2の人格がプログラムだと意識したうえで付き合っていたとは思えない。これは言い換えれば、人間は信用できないと言ってもいいのではないか。(アナキンの目線では)師であるオビ=ワンに裏切られ、自分を評価してくれていたパルパティーンにもある意味で裏切られ、あげく自分はジェダイを裏切った。アナキンは、もう“人”という存在を信じられなくなっているのではないか。

 そうなると、プログラム通りに動くドロイドは、信用しても“安心できる”ものだ。なかば壊れかけているダース・ベイダーの心は、ドロイドに自爆をさせても痛まなくなっているかもしれないが、逆に言えば心をかき乱さずに、平穏をくれる存在といえるのかもしれない。そう思うと、これもまたエモだ。


「外見よりもはるかに強力だ」

 ダース・ベイダーが私的に利用している船に対して、華奢と言われたときのダース・ベイダーの反応。この華奢と言われた船の正体は、ナブー・ロイヤル・スターシップ。そう、「エピソード1/ファントム・メナス」でアミダラ女王(パドメ)が乗っていた、銀色で流線的なデザインをしたあの船だ。

 これが本当に当時のものと同じかどうかはわからないものの、ナブー・ロイヤル・スターシップは、アナキンが初めて宇宙へと飛び出した際に乗った船でもある。もちろん、将来の婚約者となるパドメも乗っていたことも考えれば、思い入れは大きいどころの話ではないはず。

 ダース・ベイダーはこの船に大幅な強化を施して使っているようなので、このセリフは単純なパワーを指していると言えなくもない。が、かつて同乗したパドメの姿を連想し、「美しい外見であっても、中身はタフ」だったパドメを重ねて思い浮かべたとすれば、これはもうエモではないだろうか?


「ベイダー卿、ジオノーシスに来た経験は?」

「スカイウォーカー、以上だ」

 多少話が前後してしまうところがあるが、この2つのセリフは別のエピソードで登場したもの。前者は盗賊考古学者のドクター・アフラが、共にジオノーシスに訪れた時のもの。ジオノーシスといえば、「エピソード2/クローンの攻撃」で登場した惑星だ。ダース・ベイダーは詮索を禁じるものの、内心ではかつての自分と、愛し合っていた相手・パドメ、ジオノーシスで捕まっていたシーンを連想してしまう。まさに「エピソード2」で描かれたあのシーンだ。

 そして後者は、かつて自分が作ったライトセーバーを持っていた青年の名前を、雇った賞金稼ぎのボバ・フェットが伝えたシーン。自分のかつて名乗っていた名前と同じ名前を聞いたダース・ベイダーの脳裏には、過去の記憶がフラッシュバックしていく。幸せから絶望へ。若き日の彼が感じた感情の波が一気に押し寄せる。

 この2つのセリフに関しては、映画のワンシーンがダイレクトに描かれているため、普通に読み進めていてもエモさを感じることは間違いない。ダース・ベイダーの中では、あの日の記憶はいまだ風化していない。パドメとの思い出の結晶とも言えるものが、この宇宙にはまだ存在していた。

 旧3部作のダース・ベイダーだけ見ると、ルークを求める動機には、力を得て高みに行きたいという欲求も多く含んでいるように見えなくもない。しかし新3部作を見てアナキンの感情的な一面を知ると、ダース・ベイダーとして生きてきたアナキンが、“アナキンとして”本当にルークを欲しがったのかもしれないと思うようになった。もちろん、そこにはルークの気持ちは考えられておらず、アナキン自身の独りよがりな感情が主となっているとは思うが……。

 とにかく、こういった感情に振り回されるタイプのキャラクターが、俺は非常に好きなのだ。この「スター・ウォーズ:ダース・ベイダー」は、よりダース・ベイダーが好きになるコミックなので、スター・ウォーズ好きでまだ読んでない人は、ぜひ読んでみて欲しい。


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