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人と人をつなぐオルタナティブな旅・山田和生さん

2020年10月、旅行会社・オルタナティブツアーが発足しました。前身となるマイチケットを含めると、30年以上にわたり多くのNPO/NGO、学校・グループのスタディツアーなどを手掛けてこられた旅行会社です。新しいスタートにあたり、2010年に代表・山田和生さんに取材した記事を公開します。文末に2020年の後日談&動画を掲載していますので、ぜひお読みください。

今回の「DEARなひと」は、まだスタディツアーという言葉もない約30年前から新しい旅の形「オルタナティブツアー」を実施し続けてきた旅行会社マイチケット会長の山田和生さんだ。

DEAR News148号(2010年12月)の「ひと」コーナー掲載記事です。文中の団体名や肩書は取材当時のものです。

初めての海外旅行先はレバノン

大学時代から学生運動などを通じて社会問題と向き合ってきた山田さんが初めて海外に行ったのは社会人1年目の1979年、内戦下のレバノンだった。

「中東で考える15日間」というスタディツアーのはしりのような企画に参加し、イスラエルとの国境や病院・孤児院の視察、当時ベイルートに拠点があったPLO(パレスチナ解放機構)との交流などを行った。旅行の途中でエジプトとイスラエルが和平協定に調印するキャンプデービット合意が成立し、帰国の際に、経由地エジプトで入国拒否にあうなど様々なトラブルに遭遇したが、何とか帰国。国境を越えて人びとがつながりあう意義を痛感した。

国際連帯の拠点としての旅行会社

帰国後、仕事をやめて農場で豚や牛の世話をしながら、これから何をしようか考えた。「国際連帯の拠点、資金作りの方法として旅行会社を立ち上げるのはどうだろうか」とひらめいた。旅行会社で2ヶ月間見習いをした後、81年6月に友人とマイチケットを立ち上げた。

格安航空券のブローカー業務を手始めに事業を開始。国際交流のグループや友人の応援、キリスト教関係者や労働組合などへの口コミ、オフィスビルへのちらしのポスティング等で集客し、なんとか事業を軌道に乗せた。

タンザニアの子どもたち

(タンザニアの子どもたち)

オルタナティブツアーへのこだわり

山田さんは、会社立ち上げ時から、従来の大規模でアミューズメント中心のマスツアーではない「人と出会う」「文化に触れる」「持続可能性がある」「双方向性がある」オルタナティブツアーに取り組みたいと考えていた。

当初、関心を持っていたのはラテンアメリカだ。米国の裏庭であるラテンアメリカが変われば、超大国米国を変えていくことができる。そこで、サンディニスタ革命政権下の中米ニカラグアへのツアーを85年に日本で初めて実現させ、以後10回にわたり、ツアーを実施した。

タイへのツアーも85年より実施している。当時タイは買春大国といわれ、北部タイ農村出身の貧しい女性たちが外国人観光客の相手をさせられていた。

日本人の買春観光に反対するタイ人の運動に連携して、タイの人びとの暮らしぶりを理解することが長い目で見た問題解決につながると考え、バンコクのスラムや北部山岳地域にある農村の訪問・交流などを実施してきた。

ハワイの先住民との交流

(ハワイの先住民との交流)

さらに、日本企業のリゾート開発で居住地からの退去を余儀なくされたハワイの先住民との交流ツアーを開始。真珠湾攻撃から50周年の91年には、先住民が中心となって運営する農場にピースセンターを建設する基金を設立し、95年にはセンターがオープンしている。

また、東アフリカのタンザニアとも反アパルトヘイト活動をきっかけに交流を続けている。日本とタンザニアの人びとを繋いでいくことを目的に98年に創立された「JATAツアーズ」と共に農村訪問と民族音楽を体験するツアーを開催している。

マイチケットのホームページを見てみると、過去に実施した、あるいは参加者募集中の魅力的なツアーが並んでいる。山田さんは、オルタナティブツアーを実施する際には、日本人の参加者が旅行で得た体験を持ち帰るだけの一方通行の形にしたくないと考えている。

「できるだけ訪問国の関係者を日本に呼び、釜ケ崎や有機農場、共同購入の宅配への同行など、日本のオルタナティブな場所に連れて行くんです。それが可能なのは我々が日ごろから日本の社会問題にふれあい、関係者とネットワークを築いているからです」と山田さんは語る。

スタディツアーへの提案

マイチケットでは、NGOが主催するスタディツアーの手配も多数行っている。スタディツアーは、人びととの出会いを通じた学びが大きな目的であり、交流が深まれば深まるほど、病気感染などのリスクが高まることは否定できない。

数年前に、あるNGOのスタディツアーで腸チフスが発生し、感染症対策の重要性を痛感した。そこで、3年前から大学やNGOのツアー担当者を対象に、感染症の専門家の助言をもらいながら、セーフ・トラベル・セミナーを開催し、リスク軽減に向けた啓発活動を行っている。同時に、担当者同士の経験交流会や地域情報交換会も呼びかけている。

また、スタディツアーに参加者が集まらないと嘆くNGOスタッフが多い現状に対し、山田さんはこう提案する。「ツアーの質を高めることが第一ですが、これからは若者人口が減っていくのが確実なので、収入があって長期の滞在が可能なシニアに目を向ければ、参加者層は広がるはず。ただ、若年層とシニア層では参加目的が異なることを知っておかなくてはなりません。若年層は“自分探し”などの内面的動機が強いので、ツアーの中で振り返りやお互いの経験をシェアする時間を設ける必要があります。一方、シニア層は自分の経験を生かした社会貢献の意欲が強いので、ライフワークとなるフィールドを探す傾向があります」

山田さんたちは15年前から、放送大学の卒業生を中心としたシニア世代と共に、アジアの農村へのツアーやフィールドワークを実施している。参加者はアジアの様々な地域で交流を深め、2000年には「アジア太平洋農耕文化の会」の設立へと繋がったそうだ。

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マイノリティと日本をつなぐ30年

マイチケットは新陳代謝が激しい旅行業界で約30年間生き残ってきた。その理由には、NGOや市民運動などの関係者だけでなく、むしろ企業や大学研究者など一般の方が顧客の多くを占め、リピーターとして利用していること、普通の旅行会社では手配できない複雑な旅程など手間がかかるニッチな市場をターゲットとしていることがある。

このため、景気や感染症などの影響で受注が大きく減少することなく、かといってバブル景気で儲かることもなく一定の業績を上げてきた。山田さん曰く「深海魚」的な経営だ。

その代わり、スタッフには高度なサービスが提供できる能力と社会への問題意識の両方が求められている。

今年度の新入社員研修は日雇い労働者の町である釜ケ崎での炊き出しだったという。自分の暮らしている社会に向き合い、自分なりの意見を持つスタッフの育成が鍵だという。通常の旅行会社と異なるニッチな業務が多いため、旅行業経験者が有利とは言えないそうだ。

この30年間を振り返って山田さんは語る。「開発から取り残されたマイノリティと日本をつなぐ中間支援組織=インターメディアとしての役割を果たしてきたと思います。開発の現場で活動することが役に立つと考えがちですが、日本にいるからこそできる”つなぐ”という役割を大切にしていきたい。大手旅行会社も現地体験型のツアーを実施するようになりましたが、我々は中身が異なるので競合はしないと思います。我々は大手のように規模を拡大せず、持続可能な適正規模でやっていきます。参加者の人数や現地に落とすお金が一定の規模を超えてしまうと、受け入れ側のコミュニティに悪影響を与えかねません。きめ細かな対応もできなくなります」

マイチケットは、2006年「大阪コミュニティビジネス大賞」を受賞した。「オルタナティブツーリズムの展開」が受賞の理由だという。地域密着の社会的企業やNPOが受賞するケースが多い中で、グローバルなコミュニティをつなぐ活動が評価されたようだ。旅行業にとどまらないオルタナティブな社会づくりを目指す先駆者として、マイチケットの活動に今後も注目していきたい。(取材・文:阿部秀樹、八木亜紀子)

※文中の団体名や肩書は取材時(2010年12月)のものです。

そして、このインタビューから10年後の2020年12月…
山田さんは、DEARのd-lab(開発教育全国研究集会)を縁に拓殖大学の石川一喜さんと知り合い、この12月に「観光と開発」の授業にゲストとして招かれました。マイチケット設立と廃業の顛末、新会社設立について、率直に語ったお話しには、学生からも大きな反響があったそうです。その様子は、以下のyoutubeから観ることができます。そして、観光、NGO、開発、社会的起業などに関連するオンライン授業のゲスト依頼は大歓迎とのことです。ぜひ、ご相談ください!😊
https://yamada745.wixsite.com/mysite


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