なぜ居場所に興味を持ったのか?
こんにちは、hana です。
前回は、卒論のテーマと出会うまでの道のりを書いてみました。
ぜひご一読ください。
今回は、わたしがなぜ「居場所」に興味を持っているのかを、解明していこうと思います。
これを書きながら、思考を整理する、そんなイメージなので、着地点は見えていません。どうぞ、最後までお付き合いください。
わたしの居場所、学校
家にいることがあまり好きではなかったわたしですが、それとは対照的に、学校は大事な居場所でした。
勉強は好きではなかったし、中高生ならではの悩みもたくさんありましたが、先生という存在がわたしの居場所を確立してくれた、そう思っています。
先生方は、当たり前かもしれませんが、生徒であるわたしのことをむやみに否定したり、突き放したりすることは基本ありません。学級委員や生徒会などの活動を頑張ったり、授業でたくさん発言したりすると、先生方からの評価は上がっていき、より居心地の良い環境になっていきました。
「自分より知識も立場も格上な存在に承認される快感」
これが、私が学校が好きな理由だったのだと思います。
私は承認欲求が強すぎる
ということをしっかり認識したのは、大学2年の頃。
記憶のある限りでは、生まれたからずっと「自分の軸」がありませんでした。他人に認められること、他人から注目され賞賛されること、他人から褒められること・・・。これらが、今でも変わらない「自分の軸」です。誰にどう思われるかが何より大事なのです。
思い返してみれば、小学生の頃から「長」と名の付く役職(学級委員長、学年委員長、委員会長、生徒会長、班長etc...)は可能な限りやってきたし、怠ることなく職務を全うしてきたつもりです。
それによって、周囲からの評価を得ていました。
成績やテストの結果に固執したり、大人に対していい顔をしたり、課題のやり方を工夫してみたり、誘われたイベントや大会に全力で参加したり、文化祭でわざわざ先生方を巻き込む企画を実施したり、放課後わざわざ職員室の前にある机で勉強したり・・・
挙げ出したらキリがないほど、全ての行動が「承認欲求が満たされるかどうか」に準じたものだったのです。
「人に見てもらえること」は必死になって頑張るが、自分のためだけになることは頑張れない。
一貫しすぎていて、自分でも自分が怖くなりました(笑)
しかし、この承認欲求の強さが故に、ぶつかった壁がありました。
大学での孤独感と虚無感
大学進学を機に、山梨で一人暮らしを開始。
友達どころか、知り合いすら1人もいない環境に、孤独感を感じる毎日でした。今まで築いてきた私のイメージも地位も、役に立たない日々と戦っていました。
何よりダメージをくらったのは、教授との距離感。
高校までの先生方とは、基本仲が良くて、すれ違ったら挨拶と世間話をするのが当たり前でした。授業前や後にも会話があったし、職員室に用があって行くと各所から話しかけてもらえる。その会話の中で、褒めてもらうことや、私のことを気にかけてくれることがあると、喜びを感じていました。
しかし、大学の先生方は、授業が終わったらすぐいなくなるし、研究室にも行きづらいし、日常会話が一切なかったのです。学生個人に興味なんかなさそうな、そんな風に感じていました。
「大勢いる大学生の中の1人」になってしまった私。
承認されることがなくなり、満たされず、大学ってつまらない、高校に戻りたい、と大学1年の時はずっと思っていました。
しかし、当時大学で唯一直接的な褒め言葉をくれる先生が1人だけいました。それが今所属しているゼミの兼清先生。
兼清先生の授業で提出したレポートやリアクションペーパーが返ってくると、そこにはいつも沢山の前向きなコメントが書かれていて、承認欲求が満たされる場所でした。
そして、今の私につながる大きなヒントを得たのもまた、兼清先生の授業がきっかけでした。
「サードプレイス」 という概念との出会い
1年生後期。部活とバイトと課題だけを淡々とこなすつまらない毎日。
そんな時、兼清先生の講義で「サードプレイス」という概念と出会いました。
サードプレイスは、ざっくり言うと、「家庭(第1の場)でも職場や学校(第2の場)でもない第3の居心地の良い場所」。
なんと面白い概念だ、と直感で感じ、自分のサードプレイスはなんだろうと考えてみました。
しかし、思い当たる場所が、1つもなかった。
思えば、高校までの私の居場所は学校(第2の場)だったわけで、大学に入ってからそれすらなくなってしまい、虚無感に襲われていたのです。
そこで気づいた、居場所の重要性。
自分のように「居場所がないこと」に苦しむ中高大生がいるのではないかと考え、「中高大生のための居場所作りがしたい!!」という思いが芽生えました。
大学に入ってから初めて見つけられた具体的な目標。あの瞬間、すごく心が踊ったのを今でも鮮明に覚えています。
そしてそこにとどまらず、兼清先生は私に新たな出会いをくれたのでした。
青少年育成プラザMiacisとの出会い
ゲスト講師として、西田さんがお話をしてくださったことで、つまらなかった大学生活が一転することに。
西田さんは、昨年度私がインターンをしていたNPO法人の理事長さん。何度かわたしのnoteにも登場しています。
詳しくはこちらを読んでみてください。↓
西田さんが理事長を務める「NPO法人河原部社」で行う事業の1つに、「青少年育成プラザMiacis」の運営がありました。
Miacisは、私が思い描いていた中高生の居場所を具現化したもので、山梨に既にあったのか!!と驚くとともに、リアルをみてみたい、という好奇心が湧いてきました。
授業後、速攻で話しかけに行き、見学に行き、とんとん拍子でインターンをさせてもらえることになりました。
Miacisは、中高生にとって必要不可欠な場所だ。
インターンをしたからこそ、そう強く感じています。
Miacisを「自分の居場所」にしている中高生の姿を間近で見てきた中で、「居場所が居場所になる理由」の多様性に気がつきました。
家や学校が居心地の良い場所ではないからだったり、友達がたくさん利用するからだったり、スタッフと話ができる場所だからであったり・・・。
みんなMiacisで楽しそうに過ごしているけれど、Miacisへの愛着や固執度、Miacisの重要性は、人それぞれ。
では、何がその違いを生んでいるのだろう?
Miacisでたくさんの中高生と関わった経験、そして自分の経験を踏まえ、生じた新たな問いが山ほど。
中高校生の時にMiacisのような場所あったらよかったのか?
なぜ自分は家が好きではなかったのか?
居場所って、結局なんなんだろう?
居心地の良い居場所の要因は、人?空間?それとも?
実際、サードプレイスって必要?
家や学校ではなぜ不十分なのか?本当に?
居場所への愛着はなぜ生まれるのか?消えるのか?
たくさんの素敵な出会いと、面白い経験や発見と、そこから生じた問い。
これら全てが、「私が居場所に興味を持ったきっかけ」と言えるでしょう。
全てを卒論で書くわけにはいきませんが、この中のいくつかの問いを解明していけることが楽しみで仕方ありません。
今後も定期的に卒論について書こうかな〜と思っています。(また書く書く詐欺になるかもしれませんが・・・笑)
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
みなさんにとっての居場所は、どんな場所なのか。これを機に少し考えてみていただけたら嬉しいです。
では、また。
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