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10月22日 寝る才能

10月12日(水)

昨日、関根(うさぎ♀・享年10歳10か月)の火葬をしてきたわけだが、朝起きてリビングに行くともう関根がいないことが不思議でならない。あるのは骨壺、花、写真。もちろん寂しいが、関根がこの小さな骨壺に収まっていると思うと、なんだかじわじわ可愛いというか面白いというか、とにかく、骨壺という存在はないよりある方がいいな、と悪くない気持ちだった。

今日は仕事だったが、棚卸しだなんだと雑務が多く、ぼーっとする時間がなかったので、変にいろいろ思い出してしまう隙がなくてよかった。ありがとう雑務。

一方、夫は腹痛・下痢・倦怠感に見舞われ、仕事を早退した。ここ最近ただでさえ仕事が忙しく連日残業していたところに関根の件があり、わかりやすい形でのダウンとなった。

仕事帰り、近所のツルハに寄った。お薬相談カウンターで、眼鏡をかけた堅物そうな風貌の男性薬剤師に夫の症状を伝えたところ、「最近何か変わったことはありませんでしたか?」と聞かれたので、「飼ってたうさぎが死にました」と答えると、「それだッ!」と食い気味に反応が返ってきた。それだった。

症状に合った薬を教えてくれて、「これ差し上げますので薬と一緒に飲んでください」と栄養剤のサンプルを2シートもくれた。なんて親切なんだ。こんなときだからなのか、他人の優しさが身に染みる。食い気味の「それだッ!」のことも含め、関根に付随する記憶としてきっとこの人のこともずっと忘れないだろうなと思った。


10月13日(木)

私はいつも何かしらの理由をつけて何かをはじめがちだ。逆に、何かしらの理由をつけなければ何かをはじめられない、とも言える。関根が死んでしまったこの機会に、バジルを育てはじめた。カップに土が入っている、種をまくだけの簡単栽培セット。育てたバジルで料理をしたら楽しいのではないかと思って一年以上前に購入し、そのまま放置されていたのがたまたま目に入ったのだ。今はじめないと一生やらないような気がしたので、説明書を読みながら種を植えてみた。最近は豆苗くらいしか育てたことがなく、種を植えるという行為は小学生ぶりな気がする。ちゃんと芽が出るのか、見ものだ。

Twitterなどでも関根の訃報をお知らせした。夫も同じタイミングでお知らせを呟いていた。そのあと私が風呂に入っていたら、途中で夫が慌てた様子で呼びかけてきたので何事かと思ったら、「関根の年齢間違ってた!」と言い出す。そんな馬鹿な。11歳10ヵ月でしょ?と思いながら風呂をあがり、二人でもう一度年齢を数えてみると、なんと10歳10ヵ月だった。どうやら最近「もうすぐ11歳」としきりに言い合っていたのが、いろんなバタバタの中でいつの間にか「11歳」に置き換わってしまっていたようだ。我ながらわけがわからない。Twitterはもちろん、家族や友人にも「11歳10ヵ月でした」とお知らせしてしまったし、なんなら火葬場の書類にも「享年11歳10ヵ月」と書いてしまったので、骨壺に貼るシールの印字も「愛うさぎ・関根 享年11歳10か月」になってしまっている(シールは貼らない方が好みだったので貼らずに保存していたのがせめてもの救い)。二人そろってアホすぎる。やはり普通の精神状態ではなかったのだろうか。そういうことにしておきたい。


10月14日(金)

今週の伊集院光・深夜の馬鹿力を聴いて感動した。円楽師匠が亡くなったことで延期していた旅を仕切り直し、石川県に行った話。石川県をち〇こに見立ててどこらへんを訪れたかを紹介する流れからの、松尾芭蕉が奥の細道で石川県を訪れた際に、会いたかった人の墓の前で詠んだ「塚も動け我泣声は秋の風」という、奇跡的なまでに今の伊集院光の心情にリンクする俳句との出会い、そしてその句の記念碑がある寺を訪れる感動的エピソードからの、「で、その寺の場所っていうのが丁度ふぐりの裏くらい」と、最後にち〇こで落とす。この喋りの技術、すごすぎる。笑わせて、泣かせて、笑わせて、完。私もこれがやりたい。


10月15日(土)

まとめサイトを読んでいたら、FAするかどうか注目されている近藤健介が日ハムに残留!というニュース記事が出てきたのでマジで!ヤッター!と喜んだけど、よく見たら2019年の記事だった。


10月16日(日)

ベランダでもつ鍋をした。今年のベランダ遊びもこれで最後に違いない。なんたって寒い。


10月17日(月)

バジルの芽が出た。ほんとに芽が出るんだなあと感心したが、バジル側からすると「あんたが種植えて水をやったんでしょうが」としか言い様がないことであろう。


10月18日(火)

隣町のカフェに行って、久しぶりに黙々と読書をした。今村夏子「とんこつQ&A」、最高にざわざわする。面白かった。

ふと思い立って、帰りにカラオケに寄って一人カラオケした。昔は飲んだあとに一人で行ったりもしていたが、ずっとご無沙汰だった。久々にやると楽しい。こういう意味のない思い付きみたいのを意味もなくやってみる感じでいきたい。



10月19日(水)

札幌に住む母方の祖母が足腰を悪くしたので、旭川の母親がずっと泊まって家のことをやっていたのだが、一旦旭川に戻って諸々の用事を済ませたいというので、私が入れ替わりで札幌に行くことになった。

祖父も同居しているのだが、高齢というのを差し引いたとしても、とにかく家事が何もできない。祖母は家事が生きがいで一日中あれやこれやと動き回っているのが好きな人なので、祖父が何もできないのも納得といえば納得ではあるのだが、こうして祖母が動けなくなってしまうと祖父は生活がままならない事態。祖母はとにかく動きたくて、医者に動いちゃダメと言われているのに無理して動きかねない。つまり今回の私の任務は、動くなって言ってるのに動いてしまう人を見張り、やれと言ってもできない人の世話をする、この二本柱である。とは言っても、食事は母が作り置きなど冷蔵庫に入れてくれていたので、ほとんどやることはなかった。薬を飲んでいるせいで喉が渇きやすいという祖母にマメにお茶を入れる程度。

それにしても、祖父は明るい。二言目にはジョーク。祖母は足腰が酷く痛むことに加え、動けなくなった自分に失望している様子だったが、祖父の明るさでなんとか支えられているように見えた。家事も何もできない祖父に半ば呆れていたところもあったが、一緒に過ごしてみて、そういう部分でちょっと感心した。


10月20日(木)

祖母もさすがに観念というか、このままでは二人で暮らしていけないと悟ったのか、口頭で指示して祖父にいろいろやらせるようになってきた。祖母は本当に家事をきっちりやってきた人なので、指示が的確。家じゅうすべての物の場所を把握していて、あれはあそこ、これはあそこと完璧な指示を出す。それでも祖父はもたもた。笑いごとじゃないのかもしれないが、その二人のやりとりがなんだか面白くてニヤニヤしてしまう。洗濯物を物干しから下ろすように言われた祖父が、その中に祖母のパンツとかもあって狼狽えて「これ俺が触ってもいいものか?」とか言ってたら祖母が「触っていいよ、被って歩かれたら困るけど」と返していて、祖母もめっちゃ面白いなと改めて気付かされた。


10月21日(金)

夕方、母が祖父母宅に戻ったので入れ替わりで帰路につく。夕飯としてピザハットを持ち帰ることになり、私は運転しているので家にいる夫に予約しておいてもらったら、予約時間を一時間まちがえて注文していたらしく、お店に着いたらまだ焼けていなかった。こちらのまちがいで店員さんたちを焦らせてしまった。すぐ焼きますねと10分くらいで焼いてくれて、無事ピザをゲットした。すみませんでした。


10月22日(土)

関根のあれこれ、祖父母のあれこれと続いた疲れからなのか、仕事中ずっと眠くて、帰って夕飯を食べたあとすぐソファで爆睡した。夜中に一度目覚めて歯を磨き、ベッドに入ってまた爆睡した。めちゃくちゃ寝たことを夫に感心された。寝る才能。

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