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政権交代と宮本ガンバ

2021年5月14日
ガンバ大阪は宮本恒靖監督の
監督としての契約解除を発表した。
2018シーズン夏に降格圏に沈むチームの明暗を託されたクラブのレジェンドとの夢は
その半ばで閉ざされる形となってしまった。
今年でクラブ創立30周年となるガンバ大阪。
華やかなシーズンにすべく挑んだシーズンに影を落とした要因を時系列で探っていこうと思う。

Jリーグ1の長期政権

日本のプロサッカークラブにおいて
監督という立場の人選は非常に難しく
数年単位で入れ替わるのが殆どだ。
しかしながら例外的に長期政権を築いたクラブがある。
それこそがガンバ大阪である。
2002年に現在タイ代表監督を務める西野朗氏が監督に就任。
それ以降Jリーグのお荷物とまで呼ばれていたクラブとは全く別のクラブ人生を歩み出した。
毎年の様にタイトル争いを繰り広げ
2005年にJ1初優勝
2007年にナビスコ杯(現:ルヴァン杯)初優勝
2008年にACL初優勝、天皇杯優勝
2009年に天皇杯連覇
と実に5つものタイトルをもたらした。
当然ながら好成績である為クラブとしては監督を変える必要が無く実に10年に渡るJリーグ1の長期政権を築き上げたのだ。
しかしそれが
後に大きな影響を与える事になる。


長期政権後の難しさ

長年同じ監督の元チーム作りをしていると
監督を変える時の人選が上手くいかない事が多い。
イングランドの名門マンチェスター・ユナイテッドはサー・アレックス・ファーガソン監督の元実に27年もの間プレミアリーグやチャンピョンズリーグを戦い13度のリーグ優勝を経験してきた。
しかしファーガソン監督が去った後のマンチェスターUは一度たりともリーグ優勝に手が届いていない。
それどころか迷走した時間が非常に長く
その間に同じ街を本拠地にするライバル、マンチェスター・シティに完全に追い越されてしまった。

この様にfootballファンなら誰もが知るビッグクラブにおいても長期政権の後は非常に難しい時間を余儀なくされている。
当選ガンバ大阪も例外ではなかった。
西野朗監督が去った後の2012シーズン。
チームは新たにセホーン監督を迎え入れ、ヘッドコーチには元日本代表の呂比須ワグナー氏を添えてシーズンをスタートした。
しかし蓋を開けてみれば
開幕から黒星が続きクラブはシーズン開幕早々の3月中旬にセホーン監督と呂比須ヘッドコーチの契約解除を発表した。
後任にはかつて同クラブでリーグ優勝し引退した松波正信氏が就任し巻き返しを測ったが、最後まで取りこぼしたポイントを取り返せず
17位でクラブ初のJ2降格という結果を招いてしまった。


長谷川ガンバ

2013年クラブ初のJ2を戦う事になったチームは安全ラインで監督を選ぶ事にした。
かつて清水エスパルスでリーグ4位などの成績を残していた長谷川健太氏を新たに監督に招聘。1年でのJ1復帰に向けて新たなスタートを切った。
開幕当初こそ噛み合わない場面が多々あったものの時間の経過と共に12年の失態が嘘かのように安定したディフェンスを軸に勝ち点を重ね、勝点87 得点99 失点46 平均失点1.1で
無事にJ2優勝、1年でのJ1復帰に成功した。

2014年J1復帰初年度
ガンバ大阪は苦戦を強いられる。
W杯中断前の成績は16位。またしても降格圏に沈み再びの残留争いを強いられていた。
しかし中断明けチームはそれまでの苦戦が嘘かのように勝点を積み重ねる。
再開後14試合で12勝1分1負という驚異的な勢いで追い上げると、その後に
2度目のナビスコ杯制覇を達成。
勢いそのままに最大勝ち点差14をひっくり返して
2度目のJ1優勝、そして天皇杯も制し
昇格即三冠という離れ業をやってのけた。
 翌2015年もタイトル争いを繰り広げ
獲得タイトルこそ天皇杯1つに終わったが
もしかしたら四冠の可能性もあっただけに
非常に楽しいシーズンを過ごしていた。
しかし
第2黄金機とも言える長谷川体制の終焉は突如としてその姿を見せ始めた。

2017年序盤戦
長谷川ガンバのストロングでもあった
安定したディフェンスと前線の強さ、中盤のハードワークを武器に5月には首位に浮上もしたガンバ大阪。
しかし夏場以降チームは急変する。
それまでの安定したディフェンスは何処へ…
毎試合の様に失点を重ね、得点数は減少。
仕舞いには10試合ほど勝ちが無く残留へ後がなくなっていた最下位新潟にホームで完封負けを喫するほどボロボロになっていた。
そしてそのままチームは10位でシーズンを終え
長谷川ガンバも幕を閉じた。
同時に
西野ガンバの時と同じく黄金時代後のチームを任す監督選びに当時を知るサポーターは
不安とチームの成長を期待していた。

同じ過ち

長谷川健太監督が去って翌年2018年
ガンバ大阪は「まさか」な人物を監督に招聘した。
その人物とは元セレッソ大阪で長年監督を務めていたレヴィー・クルピ氏だった。
流石に予想してた人は居なかったであろう人選。しかし彼はセレッソ大阪で乾貴士や香川真司、清武弘嗣など数多くの若手タレントを起用し成長させ成功した実績があり、世代交代を測りつつ強さを取り戻すために選んだ人選として決して悪いとは思っていなかった。
実際に現在レギュラークラスの福田湧矢や海外で活躍する中村敬斗などはこの年、クルピ監督の元で試合数を重ねた選手たちだ。
しかし
チームの状態は一向に上向く気配が無かった。

降格した2012年以来の開幕連敗。
J1初挑戦の長崎に何も出来ず完敗。
大阪ダービーだけは辛うじて勝ったものの
春先〜梅雨の時期になっても試合内容に変化はなく3度降格圏に沈んでしまった。
これ以上は無理だと判断したのか
7月にクラブはクルピ監督の解任を決断。
そして後任に宮本恒靖U-23監督をトップチームの監督に選んだのだ。

宮本ガンバと本題

その後チームは夏場こそ悪い状況を打開出来ずにいたが、9月になって当時所属していた今野泰幸が復帰が怒涛の9連勝で降格圏を脱出し最終的には9位でフィニッシュした。
しかし
2019年も序盤下位に低迷。
この年も後半に巻き返し7位でのフィニッシュ。
2020年こそ2位と上位に戻るも
46得点42失点と順位に相応しくない数値であった。
そして2021年
10試合で1勝4分5負で18位に甘んじるなど、完全に一時期の輝きを失ってしまっている。

そして5/13に
宮本恒靖監督の契約解除に踏み切った。
しかしながら
後任を決めずに解除した為
松波正信氏が再びガンバ大阪の指揮を執る事になった。

西野朗 → セホーン → 松波正信
長谷川健太 → クルピ → 宮本恒靖 → 松波正信

成績が悪い事は勿論監督に責任がある。
しかし監督だけが悪いとは思えない。
コーチ陣や、強化部、クラブ全体の問題であると思う。
この10年のガンバ大阪を見ると
過去のJ2降格時の過ちを再び犯してる様に見えてならない。
勿論クルピ氏を監督に選んだ事にも"理由"があるはずだし、その理由は決して大きく間違ってたとは思わない。
それでも結果として同じサイクルに入ってしまい、降格という最悪の結果だけは免れて来たが以前『強いチーム』にはなれていない。

それは
監督の力量も然ることながら
補強、チーム編成、ドクターやコーチの人選
これからを含めてのクラブとしてのチーム作りが上手くいっていなかった事が最も大きな原因と思われる。
象徴するのが2019年夏の大放出だ。
シーズン半ばにチームの半分ほどの選手が入れ替わる前代未聞の夏の移籍市場となった。
これでは通年での強いチームは作りにくいのは当たり前である。
監督が作り上げたいチーム、欲しい選手
現実的に補強が必要なポジション、監督が得意とする構築と苦手とする構築…
果たしてガンバ大阪は全ての面において適切なアプローチが出来ていたのであろうか?
今思えば
長谷川体制最後の2017年も長谷川監督が希望する選手補強や理想のチーム作りが出来ていたか?と聞かれるとNoと答えるような状態だったかもしれない。

そして
サポーターが1番望んでいる
『強いガンバ大阪』は復活出来るのだろうか?
クラブ創立30周年という記念のシーズンで
巻き返しカップ戦制覇に繋がる戦いとチーム作りが出来るのだろうか?
宮本ガンバで低迷した原因とガンバ大阪の過去の過ちをしっかり見つめ直し
鹿島アントラーズの様にまず残留争いに巻き込まれることの無い上手く強いチームになれるよう細かい所にも様々な面から万全のアプローチをかけガンバ大阪が真に強いクラブとなる事を願って締めとさせていただく。

Togetter as ONE

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