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私と川崎を結ぶ100年の赤い糸

この記事は 川崎ブレイブサンダースアドベントカレンダー 9日目に寄稿するものです。


昨日は
あさみんさんの
「ジャマール・ソープ〜愛すべき移籍王〜」でした。

改めてJTのジャーニーマンぶりに驚きました。
それも
必要とされる事が遂行できる
そのチーム、町に順応できるからこそ。
絶対いい人ですね。

(不慣れでリンク貼れませんでしたごめんなさい




はじめましての方はじめまして。
ファミリーの皆様いつもありがとうございます。

チームが数多存在する東海地方から川崎一筋
193でございます。

さて。
早速ですがタイトル回収を。

(昔話です。朧げな記憶を元に書いています。
事実と異なる点は見てみないふりをお願いします…

私の祖母は山形出身。
縁あって嫁ぎ、居を構えたのが特に縁のなかったはずの川崎大師から徒歩10分弱の町でした。

そう。私と川崎の縁は祖母が生まれたであろう100年ほど前に始まっていました(おい

その頃千葉に住んでいた私は、年に何度も
都営浅草線から京浜急行で多摩川を渡り
川崎の祖母の家に遊びに行きました。

少々乗り物に弱かった私が
「よしもう少しで着くぞ」と青い顔を上げた車窓にはいつも

TOSHIBA

の大きなマークがありました。


昔、今のラゾーナのあたりには東芝の工場があり、国鉄の駅(古w)には社員専用の改札口もありました。
その頃から私にとって川崎=東芝で、特に休日に閉ざされた謎の改札はダンジョンの扉のようでその先に何があるんだろう、と想像したワクワクの場所だったのです。(ただの工場

時はたち。
祖母が亡くなり斎場へ向かう道。
交差点に見えた

「がんばれ!東芝ブレイブサンダース!」
の横断幕。ぼんやり眺めながら
「あーここ東芝なんだー」と通り過ぎました。

15年後。
そのチームを全力応援し喜び涙し
そこにいた赤い雷の子
ブレイビーとの別れが悲しくて大号泣することになるとは思いもせず…

(サンタブレイビー 元気でやってるかな…



赤い糸。
たーての糸は川崎の町ー

では、横の糸は。
よーこの糸はミニバスゥー

なのですが
それはまた別のお話…




長々と昔話失礼いたしました。
勝手に運命だと思っている川崎とのご縁。
これからも大切に、たくさんのファミリーのみなさまと一緒に、遠くから応援したいと思います。

(これ以来とどろけてない…行きたいなぁ…

明日は ゆー????さんの登場です!
何を語られるのか楽しみです!

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