批判すること
こんにちは、ちんちんむしです。みなさん、批判してますか?
今週なんとなく思った話です。
今までの私はSNSで何かを批判している人を見て「批判してる人って想像力に欠けてるんじゃないか?」と思っていたところがあり、平気で様々な話題に突っ込んでいって批判する人とは距離をとっていました。まぁ自分に関係のある話題ならまだしも、恐らくその人の人生でさほど関わることのないような事態に対して、あまりにも過敏に反応しすぎでは?その人と一生関わらないであろう芸能人が不倫をしていようが性格が悪かろうが、その人には変わらず朝は来るしお腹は空くだろうし鏡を見ても顔が変わっていたりしないはずです。なのによくもまぁそんな強い言葉を発せるな・・・と思ってしまいます。地上におけるサタニスト11のルール第8条には「自分が被らなくても済むことに文句を言わないこと」とあります。私は無宗教で悪魔も別に信仰していないのですが、サタニストのルールが単純に「人として好きなタイプの人間」だったのでなんとなく守っていますが、自分に関係のないことを批判する人はこのルールに反しています。まぁ、なんか、お話聞いてくれる相手がいないから八つ当たりでもしてスッキリしてるのかな。そんな目で見ています。
想像力に欠けている、というのは、その人の本当に細かい事情を何も知らないだろうに叩くところ、その批判の先に開示請求をされたっておかしくないのに、相手はいくらでも弁護士を呼んでくるかもしれないんだぞ、ということです。実際の事情を追ってみたら最初の事件が覆った!なんてことも沢山ある世界でよくそんな大きい言葉で・・・と思うのです。これは芸能人のニュースなどに関わらず、例えば給食費が盗まれてしまってその時持っていた人が絶対に犯人だと決めつけて罵詈雑言をぶつけても、本当は他に盗もうとしていた人から奪い返しただけだったとか、悪い奴がその人を貶めるためにその人のバッグに入れていたとか、ちゃんと話を聞いてみないとわからない、色んな視点から見ないとわからない真実なんて沢山あります。街中で叫んでいる人だって頭がおかしい人なのではなく、生まれてからさっきまで真面目だったのに急に地獄に突き落とされてどうしようもなくなって叫んでいるのかもしれないし、道に落ちている吐瀉物が酔っ払いのものだとは限らないし、落ちているうんちだって犬のものかどうかは分からないし、借金を返している人がだらしないからとは限らないし、単純に人が刺されたとして刺した側だって正当防衛かもしれないのです。パッと見ただけ聞いただけでわかったつもりになることなんて、その人の頭の中にある材料だけで決めつけているので、想像力がなければないほど、頭が悪ければ悪いほど強い決めつけになっていきます。
さて、ここまで批判している人を批判したわけですが、最近「実は批判することも重要なことなのではないか」と思ったのです。
例えば街中で叫んでいる人。うるさいですよね。何かあったんだと思います。私だって仕事であまりにも理不尽な目に遭って腹が立ち、誰にも話せない帰り道には腑煮えくり返しながら叫びそうになることがあります。自分の強迫神経症なんかが酷くなった場合も叫ぶ人になるに至るのではないでしょうか。
例えば自転車でそこまで邪魔じゃない人にめちゃくちゃベルを鳴らす人。うるさいですよね。何かあったんだと思います。元々せっかちでイライラしていて自分本位で・・・そんなこともあるとは思うのですが、私だって仕事であまりに(以下略)、誰かに意地悪したいと思ってしまうことはあります。今はどちらも理性が勝つのでしませんが、よっぽどもう耐えられないことがあってどうでも良くなってしまえばいつでも自分もそちら側になってしまう気がしてなりません。だってきっとその人達も何かあったからそうなっちゃったんだから・・・
と思うところで必要なのが「批判」です。自分のように、「きっと何かあったから」「自分だって病気が酷くなれば」と考えて理解しようとしていたら、いつか本当に自分の限界が来た時に「だってみんな事情があるんだから!私だって事情があってやってる!」と遂行してしまう可能性が大いにあります。でもそこで、「あんな奴はカス!ゴミ!おしまいの奴!」なんて今まで言っていたなら、自分のことをカスのゴミのおしまいになんてしたくないから踏みとどまれるのではないでしょうか。開き直ってしまっていれば別ですけど、自分が批判していたものに自分がなることよりキツいことはないのではと思うと、ある程度でもなりたくないもののことは日頃からしっかり嫌っておく必要があるのではないかと思いました。まぁ、自分の言葉に責任を持てるかどうかだとは思うのですが。
私のようにあらゆる視点から想像して確認するのは、こちらが批判されないためでもあるような気がします。「ヤバい奴がいるな」と思っても、自分がそうなってしまった時に誰にも批判されたくないから。想像力なんていうより、寛容さや頭の良さなんていうより、ただ私が臆病なのではないか。私の方が言葉に責任感がないから断定すらも出来ないのではないか。どうか私がおかしい時はあらゆる視点から考えて欲しい。私も誰がおかしかったとしてもそうします、この言葉に責任を持って。