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「日本人だから」という理由でモテたってちっともうれしくない件について。

海外に行くと日本人はモテる。


ニューヨークにいた頃は、それこそ毎日のように声をかけられ、誘われた。日本人というだけでモテた。


オーストラリアでも日本人女性は人気だ。わたしたちと出会いたいがために、友人づくりのアプリに登録するオーストラリア人がたくさんいるらしい。



ニューヨークに住み始めて間もない頃は、声をかけられるのがうれしかった。ちやほやされて浮かれていた。


けれど住み始めて1ヶ月ほど経った頃から、日本人だからモテること、国民性でモテることに違和感を感じるようになった。


彼らは日本人女性に対して、「おしとやかで優しい」という典型的なイメージを持ち、こちらの中身も知らず、「日本人だから」という理由だけで近づいてくる。

わたしの人間性や趣味嗜好、考えなどどうでもいいかのように。


つまり彼らはわたしを一人の人間として見ているのではなく、「日本国の国民」として見ているのだ。

そんなのどうしてよろこべるだろう。


「日本人だから、きっと優しくて大人しいんだろう」。そんなひと昔前のステレオタイプを信じて近づいてくる人たちがいかに浅はかな考えを持っているかということは、火を見るよりも明らかだ。

腹の立つことに国民性で人を判断する男性の大半は、日本人女性は簡単にセックスできると思っている。それが目当てで近づいてくる男たちの多いことといったらない。



日本人だからという理由でモテても、ちっともうれしくなんかない。

むしろそんな理由で近づいてくる男性には、膝蹴りをくらわしてやりたい。





日本人はモテる。


だからこそわたしたちは、海外に出たとき、近づいてくる男性が「日本人だから好き」なのか、それとも「人間として見てくれる人なのか」ということを見極めなければならない。


なぜならわたしたちは、日本人である前にひとりの人間だからだ。



国民性で人を判断することはできない。

人を判断するのは、その人が何を考え、何を好み、何を大切にして生きているか。その人のアイデンティティだ。


国民性で人を愛することはできない。

人を愛するのは、そんなちっぽけな枠に当てはまらない、もっと大きなものなはずだ。



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