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なぜ規律の取れた日本より、はちゃめちゃなニューヨークの方がすごしやすいのか。

ニューヨークで電車に乗っていて感じたのだけど、こちらの人は席を詰めて座らない。なので座れるか座れないかの微妙な空間ができる。

そういうときわたしは「座りたいんですが」と言うのを若干躊躇してしまう。座りたくても我慢して「もっと詰めてよ」と心の中で思うだけの人もいるかもしれない。


けれどニューヨークの人たちは、座りたければ座りたいと言う。躊躇なく言う。そして言われた方もすぐに席を空ける。

彼らは、「したいことがあれば向こうから言うだろう」という考えなので、先回りして察知することは一切しない。座りたければ座るりたいと言うだろうから、空いている電車内で、誰かが座るスペースを空けるために、わざわざ隣の人に近づいて座ることはしない。

それは「優しくない」のではなく、「意思表示をすることが当たり前」という前提で彼らが考えているからだ。そういう文化なのだ。


彼らは、言いたいことを我慢して勝手に腹を立てる、ということは絶対にしない。迷惑だったら迷惑だと、ダメなことならダメだときちんと伝えてくれる。それはもちろん喧嘩越しではなく、冷静に、迷惑だと感じる理由、ダメな理由を伝えてくれる。


そういう国だから、こちらも楽なのだ。「これをしたら迷惑なんじゃないか」「こんなことしたら嫌われるんじゃないか」などと考えなくていい。迷惑だったら迷惑だと伝えてくれるし、嫌なら嫌と言ってくれるからだ。

日本では思っていることを口に出さない人が多いので、「もしかしたらこれは迷惑がられているかもしれない」などと、無駄な気苦労が絶えなかった。



嫌なこと、やめてほしいことをきちんと口に出して相手に伝えると、人はそう簡単に人を嫌いになることができない。

相手がまともな話し合いのできる人なら、たいていはこちらの言い分を聞き入れてくれるし、「迷惑だと気づかなくてごめんね」と謝ってくれる人だっている。


人が人を嫌いになるときは、たいてい「迷惑だと感じていることを相手に伝えない」「本当はやめてほしいのにやめてと言えない」ときだ。こちらの気持ちを伝えずに、勝手に相手を悪者にして、勝手に嫌いになるのだ。



「それは嫌です」「それはできません」「やめてもらえませんか?」と相手になかなかネガティブな気持ちを伝えらない、また相手も同様に、そのような言いにくいことをハッキリ言ってくれない。

そのため相手の腹が読めず、「嫌われないように」「迷惑がられないように」と先読みしてきちんと行動しようとする日本。

それに比べてみんなが自分本位ではちゃめちゃに生きるニューヨーク。

どちらが健全な心を保てるかと言われたら言うまでもないのではないだろうか。


もっとネガティブなことも、きちんと伝えよう。相手を嫌いにならないためにも。もっとはちゃめちゃに生きよう。迷惑だと言われるまでは。

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