見出し画像

「悩まなくていいこと」と「悩むべきところ」の違いに気づくと、悩みの大半は消えてなくなる。

年齢を重ね、いろんなことを経験するうちに、以前より「悩む」ことが少なくなったように思う。

なぜだろうかと考えてみたら、それは「悩まなくていいこと」と「悩むべきところ(=しっかり考えなくてはならないこと)」の違いがわかってきたからのように思う。若い頃(といってもつい最近まで)のわたしは、悩まなくていいことで悩み、多くの時間を消費していた。


「悩まなくていいこと」とは何だろう。

そのひとつが、「自分の望んでいないことに対してあれこれ思い悩む」ことなんじゃないだろうか。


わたしたちはしばしば、「自分の本当に望んでいるもの」と「世間が望んでいるもの、世間の価値観」を混同してしまう。

本心では違う道を望んでいるのに、世間の「普通」から逸れると不安を感じるため、世間一般が望むもの(たとえば立派な就職先、結婚、出産、家の購入など)=自分が望むもの、と思い込もうとする。


たとえば以前のわたしは、「大学を卒業し、企業に就職し、安定と居場所とそれなりのやりがいを持って働き、5年ほど勤め、結婚して子どもが生まれ、退職する」といういわば王道的な道を歩んでいる同世代女子を見て落ち込むことがあった。

日本で普通に暮らして、普通に働いて、普通に結婚する道から早い段階で外れているため、将来に対する不安が少なからずあり、「もしこの先一般企業に就職することがあっても、履歴書にあいた空白の期間のせいで、まともな仕事に就けないのではないか…」考えて落ち込んだりしていた。


けれどあるときふと気がついた。


「でもそんな未来望んでないじゃないか」と。


これから大企業に勤める気も、日本でバリバリ働いてキャリアを形成する気も、今から普通の道を歩み直したいともまったく思っていないのに、世間の流れがそうだから、それに沿っていない未来を思い悩んで悩む。



それっておかしいじゃないか?



それに気付いてからというもの、常に「自分が望むものは何か」を考え、望んでいない未来のことで悩むのを一切やめることにした。

すると悩みの7、8割がなくなったように思う。残ったものは「しっかり考えなくてはならないこと」だけだった。


もちろん突発的な不安に襲われ、悩むこともある。けれどそれも長く続くことがなくなった。



悩んでも答えが出ないときは、それはそもそも本来望んでいるものではない可能性が高いように思う。望んでいないのだから、解決策も当然ない。「ただ悩みたいから悩んでいる」という奇妙な状態だ。


だからもし何かに悩んだら、それが「本当に自分が望んでいるものなのか」と自分に問いかけみるのをおすすめしたい。もし望むものなら、それについて考えることは「悩み」ではなく「解決策(または方法)を考える」という全く別のものに変わる。

そうしたら目の前に残った「今やるべきこと」をただやるだけだ。


人生はいつだってシンプルなのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?