ペンテコステカウントダウン:6 Days to go!

What to Expect When you are Expecting
聖霊を待ち望む間、何を期待していたら良いのか?

(オリジナル英文テキスト

上記のタイトルは、多くの人がご存知の通り、広く読まれている妊婦のための本のタイトルです。赤ちゃんを授かったときに、僕たちはこの本をよく参考にしていました。妊娠の各期間と症状、胎内で起こっていること、実際の出産に関する情報など、すべてが説明されていました。この妊娠過程を、聖霊を待ち望む事と重ね合わせて見ていきたいと思います。しかし、まずは私自身の聖霊の体験の証を通して基本的な疑問に答えていきます。

私の聖霊体験:1967

私は8歳の時に聖霊のバプテスマを受けました。興味深いことにそれはジーザスムーブメントの最盛期だった1967年の事でした。私はペルーのイキトス市にいました。カルフォルニアからとても遠いところにいましたが、同じ聖霊が働いていました。小学1年生の時から、自分には聖霊のバプテスマが必要だ言う認識をすでに持っていました。ある時、もういい加減に聖霊を受けるために前に出て行かなければならないと思いついにそうしました。何か激しい経験ではなかったのですが、その時何か良いことが自分に起きたとわかりました。聖霊に自分の舌を明け渡すようにと言われました。それから私は「ダダダダ」と言うような音を解き放ち、そこから何日間、何週間、何年かけて異言の言語が培われていきました。聖霊に私の舌をゆだねた後、どんなサウンドが発せられるのか想像もつきませんでしたが、ただそのプロセスに委ね、声を発していきました。それが私の最初の聖霊の満たしの体験です。それは私の人生を変えたと実感しました。恐れや悪霊に対してもっと権威が与えられたとわかりました。霊の人が強められたのがわかりました。1995年にカナダのトロントで聖霊によって触れられるまで、聖霊の満たしに関する何か特別な経験は通りませんでした。そうです、私たちは何度も満たされることができるのです。

「また、ぶどう酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。むしろ、御霊に満たされなさい。」エペソ5:18

この聖句は、「BE BEING FILLED (注がれている状態であり続ける)」という原意を持っています。すでに聖霊のバプテスマを受け、異言も話すので、もう一度ペンテコステが来ることを期待して待つべきか、とある人に尋ねられましたが、これが答えです。満たされ続ける状態を保つことが大切です!パウロが上記のエペソ書で、聖霊に満たされることとぶどう酒に酔うことを比較しているのは注目に値します。使徒2章で、パウロは「この人たちは酔っているのではない」と言いました。ということは彼らは酔っ払っているかのように振舞っていたのでしょう。ふらついて歩いたり、滑舌が悪かったり、目が虚ろだったり、声が大きすぎたり、笑いすぎていたり。私は酒で酔っぱらったことはありませんんが、実際にまた霊的に酔っている人を見たことはあります。霊に酔うことが聖霊に満たされる唯一の方法ではありませんが、聖霊の満たしの表れの一つであることがわかります。宗教的な人々も聖霊の満たしという神学には反対していません ー 満たしを受けた人が自分の行動を制していられるなら。聖霊による行動が挙動不審だと、彼らは眉をひそめます。彼らは、異言を話すこと、霊に酔うこと、震え、泣くなどは望みません。電源に指を突っ込んでも身体は反応して欲しくないと言っているようなものです。聖霊は神学上の力なのではなく、リアルな力です。使徒3:6でペテロとヨハネが足の不自由な人を癒した時、「私にあるのものをあげよう」と言いました。それからイエスの御名によって歩きなさいと命じ、その人はそうしました。「もし神の御心ならば…」ではなく、「私が持っているもの」を私たちは差し出すのです。

聖霊の新たな満たし:1995

トロントのジョンとキャロル・アーノットのミニストリーを通してもたらされた「父の祝福」の注ぎに、私は生涯感謝するでしょう。使徒2章以来、聖霊の注ぎは常に議論を醸し出してきました。なぜなら「新しいワイン」を受ける新しい容器(新しい皮袋)が滅多にないからです。皆さんは、「トロント・ブレッシング」に関するどのような噂を聞いたか知りませんが、それは本物でリアルでした。私を含む多くの人々の人生が完全に変えられていきました。私の人生にとってその経験はまさに「ビフォー・アフター」でした。私はすでに1967年の経験を通っていましたが、これはまた別次元の満たしでした。私は霊によって倒れていなかったし、震えたり、笑ったりもしれはいませんでした。外から見れば、ただ1時間半泣き続けていた人でした。しかし内側では、主は幻を通して、皮肉やカリスマの世界の中で起きたとんでもない数々の出来事によって、私の心の輪郭が硬くなっているのを見せてくれました。トロントでミニストリーを受けるために並んでいると、主がその心の部分をなぞって、たちまち肉に戻りました。私は崩れ落ち、むせび泣きました。後になって気づきましたが、今までないほどの力をその時受けました。その証については前回の投稿で分かち合いましたが、それは私にとっても、私からミニストリーを受ける人々にとっても人生を全く変えてしまうものでした。

これらの証を皆さんに分かち合ったのは、私の経験が皆さんの多くにとって助けになると思うからです。聖霊のバプテスマを受けたことがない人は、今何を期待して待ち望んでいるのか参考になると思います。「最初(オリジナル)のようなペンテコステ」を渇望して祈っているという人もいます。皆さんはその「オリジナル」と遭遇するかもしれませんが、この時代のためのアップグレードも用意されていると信じます。それはiphoneアップグレードのようなものです。iphoneの最初のモデルを知らなくたって、最初からiphone10を使い始めることができるのです。

明日の投稿では「救われた時にすでに私たちは皆聖霊を受けているのではないですか?」という質問と「聖霊の満たしのしるしは何か?」について説明していきます。29日にフェイスブックライブの集会を持ちますが、聖霊の働きを認識できるために、これらの知識はとても大切です。それは私がビジョンで見た「津波」かもしれないし、その前ぶれが来るかもしれません。何れにしても何かが今訪れようとしています。それが皆さんにとってどのような体験になろうとも、皆さんの人生が変えられるために、このカウントダウンが助けになることを願っています。涙、震え、異言、笑い、酔い、喜びなどなど。「聖霊が下る時、あなたは力を受けます!」

ですから、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っています。それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。ールカ11:13


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