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映画「国家が破産する日」と1990年代の韓国の記憶

映画「国家が破産する日」の試写を見てきた。(後半ネタバレ注意)

1997年11月に起きた韓国の金融危機(IMF事態)を描いた映画。

1995~96年に韓国留学して、金大中氏が当選した97年の大統領選挙を現地で見届けた者としては、当時のディテールをかなり正確に再現している映画なので、いろんな記憶がよみがえる。

よみがえる1990年代の記憶

キム・ゴンモの歌、「X世代」の若者文化、韓国シリーズに出場したヘテ・タイガース(韓国プロ野球屈指のチームだったヘテ・タイガースの親会社ヘテは、IMFで倒産してしまった)。これらが「ビフォーIMF」の浮かれた時代風景の象徴として描かれる。主演が、90年代にラブコメ映画のヒロインとして一世を風靡したキム・ヘスというのも、考えられた人選だろう。

映画の中で金泳三大統領が「祭りは終わった(잔치는 끝났다)ということか」というセリフも、서른, 잔치는 끝났다という当時ベストセラーになった詩集のタイトルを盛り込んでいるのではないかと思う。景気のいい、楽しい時代に冷や水を浴びせかけるような、時代を象徴する詩集だった(と記憶している)。

官僚の難解な政策レクチャーが大嫌いで、話を単純化しないと理解できない、短気ですぐに官僚を怒鳴りつける…という金泳三大統領の人柄も、笑わせる場面として盛り込まれている(例によって、この場面でひとり大笑い)。

97年11月の金融危機の後に、仕事やプライベートで何度か日韓を往復したが、派手だった女性の化粧は一気に地味になり、冬場というのに地下街や路上で寝泊まりする人々がソウルの街に溢れていた。そのX世代が主導する浮かれまくった韓国の世相が、一瞬にして奈落の底に突き落とされたような、沈滞したムードに覆われていた。

多くの人が人生を狂わされた時代だった。映画に出てくる工場経営者ガプスらのように、会社を追われ、家を追われ、家族を奪われ、学校に行けなくなった人が続出した。おそらくこの映画は「国際市場」のように、あの時代を生き抜いた人々が、スクリーンの登場人物と共感を結びながら涙する物語なのだろう。

だから、直接経験していない人にとっては、経済の専門用語が続出する、なかなか難解で取っつきにくい映画なのではないかという懸念は残る。序盤、キム・ヘス演じる韓国銀行の外貨政策チーム長が早口でまくし立てる専門用語は、字幕なしでフォローするのは至難の業だ。

対立軸は明確

さて、そうは言っても娯楽映画だ。単純化したストーリーで善悪のはっきりしたキャラクターが、分かりやすい死闘を演じる。

対立軸は、IMFの支援を受け入れ、前近代的な韓国の金融システムを抜本的に構造改革するのか、それとも日米に短期の金融支援を仰いで当座の危機をしのぐのか。この違いは、財閥や大企業を救済して中小企業やその従業員を犠牲にするのか、それとも庶民を救うのかの違いでもあると映画は描く。採用されたのは前者だった。

映画の中核は中盤、ユ・アインが投資家の顧客2人とワインを飲みながら会食するシーンだ。ユ・アインは顧客に対し、政府の経済担当官僚が「市場経済原理主義者で財閥優先の経済」を死守し、構造調整によって中小企業を切り捨てるだろうと見抜く。

登場する政府高官たちは、痛快なほどに自分の立場だけを優先し、私利私欲のために国家や庶民を財閥に売り渡して自分だけ逃げ切ろうと立ち回る。悪役の財政局次官は、マスコミに情報の隠蔽を指示しながら、財閥の御曹司には政府のトップシークレットを流して恩を売る。狙いは金融危機をてこにした「労働者がデモばっかりやりやがって」な韓国経済の構造改革。「政府にはだまされないぞ」と嗅覚鋭く大金を稼ぎ、人生の階層を変えようとするユ・アインも同様。立ち位置は明確だ。

その中でキム・ヘスは、IMFがアメリカと結託して、アメリカの経済侵略の先兵になっていると批判し、IMFとの協議の場から追い出される。

誰もが救われることは不可能な危機に

誰もが救われる危機の回避はありえなかった。IMFの支援受け入れを「第2の国恥日」と描写する映画の視点には陰謀論も混じっているし、デフォルト宣言というキム・ヘスの極論を採っていたら韓国経済はおそらく再起不能なまで破綻していた。キム・ヘスが主張するノンバンクや市中金融などの温存は、爆弾を先送りすることでしかなかったはずだ(軟着陸は可能だったかもしれないが)。

国際金融の最前線に立つキム・ヘスが、町工場の経営者ガプスの妹だったという設定も、韓国社会の現実を考えるとかなり無理があるような気がする。

ただ、大企業や財閥の再建を優先した結果、中小企業は倒産し、会社員はクビを切られ、多くの自殺者や社会階層の転落者が出た。その結果、企業の負債は家庭に付け替えられた。影響は、非正規雇用や少子化、非婚など、現在の問題にも直結している。悪い奴らが悪い奴らのまま生き残り、金融危機で死の淵に立たされたガプスが工場で外国人労働者を怒鳴りつける映画のラストは、当時の問題が現在の社会構造につながっていることを描き出す。

日本では、この映画はピンと来ないのではないかと思ったが、非正規雇用や社会的弱者に背を向けたままの政治や経済界への問題提起という意味では、日本とも共通する問題を多数はらんでいるように思えた。

11月8日からシネマート新宿、シネマート心斎橋で公開。

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