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【全文文字起こし】#EX06 海を渡った在日韓国人プロ野球選手~ドキュメンタリー映画「玄界灘の落ち葉」監督インタビュー(番外編)

はじめに

1980年代の韓国プロ野球草創期、日本で活躍した在日コリアンのプロ野球選手が、海を渡って韓国のチームに入団しました。その中の1人、張明夫投手を追ったドキュメンタリー映画「玄界灘の落ち葉」のイ・ヨンゴン監督へのインタビューです。

記録的な弱小球団、三美で不屈のシーズン30勝を挙げた張投手ですが、選手生命は短く、私生活は破天荒で、人生は孤独でした。なぜ張投手に惹かれるのでしょうか。映画を通じ、歴史に翻弄された生い立ちや、日韓でともに苦労を強いられた在日韓国人という存在も浮かび上がらせています。

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本編

よっしー:こんにちは。ニュースで韓国語です。今日は番外編です。ニュースはありません。ジュジュさんもお休みです。

今日はですね、ゲストをお迎えしました。ドキュメンタリー映画「玄界灘の落ち葉」という作品を撮影した、ドキュメンタリー映画監督という紹介でよろしいんでしょうか。

イ・ヨンゴン:まだ、学生なので、それはちょっと恥ずかしいんですが。

よ:はい、あの、後ほど紹介しますけれども。武蔵野美術大学の、今4年生ですかね。で、「玄界灘の落ち葉」というドキュメンタリー作品を制作しましたイ・ヨンゴンさんです。

イ:はじめまして。「玄界灘の落ち葉」っていう映画、ドキュメンタリー映画を作って頂いた、イ・ヨンゴンと申します。よろしくお願いします。

よ:はい。イ・ヨンゴンさん、私、この「玄界灘の落ち葉」っていう作品を、twitterでたまたま告知がありまして、武蔵野美術大学の卒展で上映されてたんですけれども、告知があったので、見に行ったらとてもいい作品だったので、ちょっと今回わざわざお願いして、新宿まで出て来ていただきました。

ありがとうございます。遠いところを。ムサビってもすごい遠いところだったんですけども、でも、あれは何か、1時間半かけて見に行った甲斐があったなと思いました。

イ:よかったです本当に、いや、わざわざ来ていただけた方が本当に多くて。なんか静岡から来て頂く方もいらっしゃったので。

よ:すごい!

イ:そういうのが、嬉しくて嬉しくて、もう感謝の気持ちしかないです。

よ:はあー、静岡から。それはすごいなあ。

では、どんな作品なのかというのを簡単に説明しますと、あの、1980年代に韓国でプロ野球が発足するわけなんですけれども、この時代に実は、日本で活躍した在日韓国人のプロ野球選手が、海を渡って韓国のプロ野球チームにたくさん入団するんですよね。

イ:そうですね。割と多くの方が入団されてて。まぁ、ていうのは言わば、えーと、韓国野球ができた頃、まだちょっと、プロとしての基本が成り立ってない頃に、ちょっと それをぬぐわしてやりたいという気持ちで、KBO、言わば韓国野球委員会で計画を立てて、いろんな方を招いて頂いた感じなんですね。

よ:そうですね。その頃は、実はまだ韓国のプロ野球って外国人選手が入団できなかった時代なので。外国人選手がいなかったからということなのか、在日韓国人ならレベルが高いだろうということなのか。とにかく、いろんな選手が入団したんです。

代表的なのはやっぱり、新浦壽夫(にうら・ひさお)っていう、その、私も現役時代を覚えてますけれど、巨人から、どこだっけ、サムスン・ライオンズ?

イ:そうです。サムスン・ライオンズ。

よ:に入団して 大活躍して、その後韓国からまた日本に戻ってきて、今度、大洋ホエールズで投げていた人ですね。

イ:そうです。

よ:とか、いるんですけれども、その中の一人で、ふくしたかあき?福士明夫?

イ:ひろあき。

よ:福士敬章(ふくし・ひろあき)、福士敬章という選手がいました。あまり聞いたことのないかもしれません、選手の生涯を追ったドキュメンタリーです。

これが実に何とも、いろんなことを考えさせてくれると言うかですね、おいおいこの話をしながら、内容を紹介していきたいなと思いますけれども。

イ:はい。

よ:福士選手はどんな選手だったんですかね。ヨンゴンさんの方からちょっと説明してもらいましょうか。

イ:はい、福士選手って、日本のいわば日本の名門チームである、読売ジャイアンツっていうところに入団するわけなんですけれど、その時から話題になった、指名外で入団されるわけなんですね。

よ:はい。

イ:何故かって言うと、国籍がその時はまだ韓国の国籍、言わば在日選手だったので、日本のプロ野球の規約に、その時はまだ日本人だけが指名をされることができるっていうような形だったので、それを狙って、指名も全部取って、それ以外に、まず読売ジャイアンツに入団するわけなんですけれども。

一緒に入団されたかったのは新浦選手なわけなんですね。でもまあ、活躍、その時はまだまだされてなくて、まあいろんなところ、例えば南海ホークスとか、を立てて、結局、広島東洋カープに渡って、でもなんか大活躍、その時からできるようになって、広島カープの初の優勝に貢献された、ような選手なんです。

言わばあの、映画の中にも出てくるんですけど、その時に年俸の調整の時に、差別がちょっとあるっていうようなことを言いながら、韓国に渡る。ちょうど82年、3年に韓国のプロ野球ができたので、その時に渡って、当時最も弱いチームであった、三美スーパースターズっていうチームに入団されるわけなんですでも。

で、まあ、伝説の30勝って言われているんです。

よ:はい、シーズン、1シーズン30勝という、不滅の記録を打ち立てたわけですよね。

イ:はい。今韓国でよく言うことは、ああいうのはもう成し遂げちゃいけない記録だというふうに言われてて。もうシーズンの半分以上を投げたわけなんですから。

よ:まあ、今は先発ピッチャーはローテーションが 確立しているので、まあ日本でも週に1回、あと大リーグでも、大リーグでも中4日、中5日っていう感じなので。その、さすがに、確かシーズン100試合とかで30勝をあげようと思ったら、半分以上投げないといけないわけで。

イ:そうですよね。ま、いわば30勝だけじゃなくて、16敗もあって、6セーブも入っているので、これはもう、ええって思いさせるような。

よ:まあ、連投、連投、また連投。先発で投げた翌日、リリーフで投げて、みたいな、そういう、まあ今考えればめちゃくちゃな働きをしてたわけですよね。

イ:そうですね、訴訟されてもおかしくないくらいのレベルなので、それは。でもまあ、福士選手はそれをやったということで、まあ、いろいろ名前は知られたわけなんですけれど、でもその30勝を成し遂げた結果、肩などが壊れ始め、いわば、いい選手から普通の選手になってしまった感じではあるんですね。

で、まあ、えーと、いろんなそういう事故の中から、自分をまあ、83年の頃に戻したいという気持ちもあったかもしれないんですけれども、それで麻薬の事件とかもあって。

よ:覚醒剤で捕まったりもしたんですね。

イ:あれ映画の中では、捕まったことだけ教えたんですけど、本当は、福士選手が理由として言ったのは、ちゃんと投げたいからっていう理由だったんです。86年、7年の頃なので。でもやめられなくなっちゃったっていう感じで。で、ずーっとやっちゃって、それがまあバレて 日本に永久追放。その時はまた国籍は日本国籍だったので、ていうことで日本に戻って、その後に2005年に亡くなられた。

よ:また亡くなる時は、和歌山の麻雀店でソファに横になって、気がついたら死んでいたっていう、何だかとっても寂しい最期だったんですね。

イ:そうです、あの、具体的に言うと、みなべ町。

よ:和歌山県の

そうです。そこの駅前の麻雀ハウスで、次の日に行ってみたら死んでいたと。だから完全にもう、孤独死みたいな。どうして死んだのか、まあいろいろ噂はあるんですけど、確実なのは 病気かなっていう。

よ:徹夜麻雀とかね、体に負担のかかる仕事なんで。なんかそういうことをずっと続けていたら、やっぱり体には答えるんだろうなというのは思いますけれど。とにかく覚醒剤で追放され、最後はその自分が経営していた麻雀店で、誰にも見られずに孤独死するという。

よ:実は三美スーパースターズってのは、本当にびっくりするぐらい弱いチームだったので。日本で最近翻訳された小説が、パク・ミンギュさんという方が書いた「三美スーパースターズ・最後のファンクラブ」っていう本があります。ここにもやっぱりその、出てくるんですよ。この、福士。

イ:そうですね。

よ:読みますね。

僕ね、ここの部分がやっぱりすごく大好きで。82年に三美スーパースターズっていう、仁川に本拠地を置くチームは、記録的な負けを続ける。

イ:そうです。今も破られてない伝説の記録です。悪い方向で。

よ:伝説の、シーズン勝率1割8分8厘。すごいよな、15勝65敗、後期に至っては5勝35敗の1割2分5厘。チーム最多失点20点、OBベアーズに16連敗。

イ:あれはシーズンでOBと戦って、全部負けた。

よ:全く1勝もできなかった。まあそのぐらいめちゃくちゃ弱かったチームなんですよ。

イ:それがただ単の82年に全部成し遂げたっていう、ありえないくらいの。

よ:ダントツ最下位だったわけですね。

で、さてこんなに弱かった、韓国プロ野球の最初のシーズンで記録的な大敗を喫した最弱チームに、2人の言ってみれば当時の韓国人からすると外国人選手的な選手がやってくるわけです。ちょっと読みますね。

そしてこの年の1月17日、玄界灘を越えてくる大韓航空747号機の機中には、ちょっと見にも只者とはお見受けできない二人の男が乗っていたのであった。まさに張明夫とイ・ヨング(李英求)である。
タヌキ……。鉄腕のタヌキこと張明夫。玄界灘を越えて忽然と現れ、静かだった韓国全土に「ラーメンは農心タヌキラーメン、農心ノグリラーメンですね、ゲームはポンポコタヌキ、野球は鉄腕のタヌキ」というキャッチフレーズを浸透させ、あまたの野球解説者を茫然自失に陥らせた彼は――韓国プロ野球史に長く残る真の超人であり、魔人であった。ああ、その頃韓国で自ら強豪と任じていた者たちをあざ笑うかのように、彼は1983年のプロ野球を血に染めた。その記録をひもとくならば、次のようになる。
シーズン最多出場投手、60試合
シーズン最多勝利、30勝
シーズン最多敗戦、20敗
シーズン最多先発、44試合
シーズン最多完投、36試合
シーズン最多完封、5試合
シーズン最多投球回数、427回1/3
シーズン最多被安打、388本
シーズン最多投球数、5886球
そうだ、世の中には時に説明不能なできごとが起きるのだ。我々はそれを不可思議と呼ぶ。模範試合、あ、これはオープン戦ですね、で1位を記録して衝撃をもたらした三美は、83年前期リーグの始まりとともに先頭を疾走し始めた。
特に張明夫は、3週間という短い期間に8回連続完投勝ちという、実際に見ても信じられないような大記録を打ち立てた。メディアは我先に「三美の反乱」を報道し、また昨年、三美に「シーズン全廃」の恥辱を味わわせた優勝チーム、OBが下位に転落したことと比較して報道した。

と、まぁこんな感じで なんかもうほんと、とにかくすごかった人。

요씨: 그런데 그런데 이영곤 씨가 고양이 인천이신가요?

이영곤: 아니에요. 저는 서울입니다

요: 서울이에요? 근데 왜 그 사람을 초점을 맞춰서 다큐 만들려고 하시던지 그것 좀 설명해 보시겠어요?

이: 제가 초등학교 중학교 고등학교를 어디서 나왔냐 하면 목동에서 나왔거든요. 목동이라 하면은…

요: 히어로즈!

이: 예. 그 당시에 처음 생긴, 막 생겼던, 제가 고등학교 땐가 생겼던 거 같은데, 제 기억에…

요; 그때는 아마 최약 구단이었죠.

이: 엉망진창… 선수 다 팔고 말하자면. 그런 팀을 알게 된 거죠. 저는 이제 목동에서 학교를 다니면서 집도 가까웠든요, 목동 구장이. 저건 뭘까? 라는 생각이 원래 처음에 들었어요. 야구를 좋아하기는 했는데 설마 야구 구단이 생길지도 몰랐었고, 집 앞에. 그러고 있다가 이제 해서 그 야구를 보게되면서 야구, 한국의 프로야구에 흥미를 가지게 되었고.

그리고 거기에 더해서 이제 역사, 왜 이 구단이 여기에 갑자기 생겼는가를 찾다 보니까는 사실은 말하자면 인천에서 흘러 들어서 오다가 해체돼서 다시 재창당된 그런 팀이엿다는 것도 알게 되고, 그 가운데 잊혀진 역사 까지는 아니더라도, 남아 있던 역사로서 그게 장명부 선수가 있다는 걸 알게 되었고, 그런 곳에서 좀 감명을 감명 깊게 받아서 좀 찾아 본다가 다큐까지 만들게 되는, 말하자면 덕질을 해도 끝까지 하는.

요: 그렇구나. 근데 생각해 보니까 아마 그때 이제야 뭐 히어로즈도 한국시리즈 진출한 것처럼 강호 구단이 됐지만 그때는 약했고, 설마 목동 야구장에, 그 사실 그 서울의 두 개 이미 프로야구 팀이 있었고, 잠실 야구장이었잖아요.

이: 네 맞아요.

요: 잠실 야구장에 비하면 말하자면 초라…초라하다거나 야구장 자체가 옛날 옛날 80년대 90년대 프로야구 좀 생각나게 하는

이: 그쵸. 거기는 외야에 앉을 수 있는 곳이 없어요. 목동 구장은. 그냥 외야에는 뭐 아무것것도 없고. 그냥 그렇게 전광판이나 좀 있고 내야만 이제 보는 건데 거기는 아마추어 야구장이죠. 말하자면 원래는.

요: 원래 아마추어 야구장이었죠.

이: 그런데 거기다가 프로팀을 만든다고.

요: 그때만 해도 뭔가 80년대 삼미 슈퍼스타즈 재래였다고 할 수가 있는 것도 약간 그런 느낌도 좀 있었잖아요.

이: 맞아요. 현대, 현대도 많이 망해간다고 해야 되나? 할 때 그 팀을 아예 부셔서 다시 만든 거기 때문에 이리 말할 수 없었고, 선수들도 뭐 좋은 선수들이 있었지만 구단 운영을 위해서 다 갖다… 좋은 선수들 다 갖다 팔고, 그러니까 팀은 자연히 약해지고 약해지니까는 뭐 이제 맨날 지고 몸 꼴찌 직전까지는 했던 거 같은데 ㅎㅎ

요: 80년대 띄었던, 제가 일본 국적이라서 뭐 교포라는 말을 쓸 수가 없기 때문에 재일한국인이라는 말릉 쓰지만 재일한국인 선수는 그 여러명 있었어요. 가장 유명한 게 아까아까 제가 말씀드린 그 니우라, 그 한국에서는 김일융. 김일융 선수가 굉장히 유명 했는데 왜 하필 장명부였는가. 그것 좀 설명해주셨어요?

이: 김일융 선수는 잘한 선수였죠. 다큐 영화에서는 나오지는 않았지만 이제 이영구 선수가 하셨던 말이 우등생.

요: 아, 아무래도 한국의 프로야구계에 좀 인연도 아직도 갖고 있고, 아직도 왔다 갔다 하면서, 지금도 한국 스포츠신문에 컬럼 같은 것도 쓰고 그 해설도 하시고 그런 분이쟌아요?

이: 근데 이제 자기 할 것만 딱딱하는 거고 그게 뭐 저는 나쁘다고 생각하진 않은데, 말하자면 완벽하게 갇혀진 야구선수.

그에 반해서 장명부 선수 같은 경우에는 뭐 사생활에 아주 그냥 장난 아니거든요. 쉽게 말하자면 좋지 않은 소문들도 많이 있고, 뭐 말하자면 여자가 많다든가 주변에, 도박 좋아한다든가. 술도 뭐 이루 말할 수 없을 정도로 좋아하고 담배 피우고. 그렇지만 본인이 좋아하는 야구 에 대해서는 진짜 자기 몸을 불태워서까지 야구를 하는.

완벽한 선수는 아닌 거죠. 말하자면 뭔가 하나 좀 결여되어있는 저는 근데 완벽한 거에 이야기성이 있다고 생각하지 않거든요. 완벽하지 않아야만 더 사람들에게 감명을 깊게 해주는. 그렇기 때문에 김일융 선수 이야기보다는 장명부 이야기가 좀 더 가슴 깊이 남았지 않았나.

よ:なるほど、やっぱりその、完璧で優等生で今もなんかみんなに良い記憶として残っている人よりも、なんか人間としては欠陥が、人間としては優等生ではないけど。多分そんなに今韓国で覚えてる人も少ないんですよね?

イ:覚えてる方は割と覚えてらっしゃるんですけれども。

よ;やっぱり覚醒剤とか色々あったので、あの頃はすごかったなあ、だけどやっぱ、なんか、最後が。あまり終わり方があまり良くなかったので。

イ:そうですね。

よ:なんかやっぱり、そういう人に魅力を感じるっていう。

イ:ちょっと、自分自身もそんな完璧な人間でもないし、でも、だからこそ語りたいっていう。こういう人生を見て、我々が何を学ぶかっていうのもあると思いますし、または難しいんですけど、言わば今も、日本にはたくさん、在日関係の問題もあると思いますし、ただその中で苦しんだ人がいたっていう、そういう話にもなれますし、もう、いろんな話が混ざっている感じの。

よ:そう、内容はまたちょっと追って、いろいろ追っていきたいと思うんですけども、この映画には本当にいろんなことが書かれていて、その福士という人の生涯をたどることで、日韓関係の政治の部分も見えてくるし、在日コリアンの生い立ちに込められた、あらがえない歴史みたいなことも 出てくるし。なんだか本当にあの、1時間の短い作品なんですけれども、いろんなことが語られている作品だと思うんですよね。

イ:ありがとうございます。

よ:さて、その三美スーパースターズの話にちょっと戻りますけれども、先ほど、そう、シーズン30勝という不滅の記録を打ち立てた張明夫ですけれども、その投げすぎがたたって、翌年がくっと調子を崩してしまいます。そこの部分がですね、さっきの「三美スーパースターズ・最後のファンクラブ」からちょっともう一回引用して読んでみたいと思います。

最多勝利投手だった張明夫は最多敗戦投手になっていた。イム・ホギュンが乱調をきたし、キム・ジヌとクム・グァンオクは不調に苦しんで打線は沈黙。イ・ヨングは最多併殺打者となり、真のヨング(永久)に生まれ変わった。三美は再び、「敗」(負け)という字のつくあらゆる記録(もちろん自ら打ち立てたもの)を一つ一つ塗り替えていった。84年にはゲーム打率2割3分7厘で、82年に自ら樹立したシーズンチーム最低打率の記録を更新し、85年には、ちょうど1年前に自ら打ち立てた16連敗の記録を、やはり自らの手によって塗り替えてしまった(伝説の18連敗を記録した)。

イ:今も、その記録も歴代の最大連敗として残っているわけなんですね。

よ:おほほう。

この不滅の記録を、専門家たちは口をそろえて「三美のライバルは三美だけ」とほめたたえた。そりゃそうだ。
涙が出るほど遠い地球からある日、「張明夫は投げられないのではない、投げないのだ」という怪しい噂がかすかに伝わってきた。噂の中身は次のようなものである。83年の契約当時、張明夫は30勝したらいくらくれるかと球団オーナーに尋ねた。30勝? オーナーは考えた。そんな冗談ってあるかいと。パクチョルスンの24勝が神話と呼ばれているのに……オーナーは、たとえ空が崩れ落ちてきたとしても、ウラルアルタイなマスクをした張明夫が、アングロサクソンのパクチョルスンに、6勝も上回るはずはないと思ったのだ。そこで
「1億!」
と答えてしまった。もちろん張明夫はその言葉をまともに受け取った。問題は、歯を食いしばった張明夫が本当に30勝したことから始まる。約束通り1億くれという張明夫に、オーナーは汗を流しながらこう答えたという。「ハハハありゃ冗談だと思ってたんだけどな。金なんかないよ」――その噂はいくらもたたないうちにスポーツ紙に正式に報道され、冥王星の周りを回っている僕のリヤカーの上にもポンと正確に配達された。驚いたことにそれは事実だった。
冗談だと思ってた。それでああだったのか?

よ:と、まあ面白おかしく書いてますけれども、この逸話は結構有名な話で

イ:そうです。えーと、私のドキュメンタリーでも、当時の新聞記者であった、今は韓国野球委員会の資料収集委員長をやってらっしゃるホンさんが、そのことについてしゃべるわけなんですけれども、まあ、ここまでではないけど、まぁいわば福士さん、張明夫さんが あの、先に1億要求したって言うか、30勝したらいくらくれるかをしたわけじゃなくて、三美の社長が先に言ったんです。これは別に、福士さんは元々主張してはなくて。1億っていうのもまあ飲み会で言わば言って、なんか、社長が聞くにも、これは30勝するっていうのは記者会見でまず先にした話なので、聞くにも驚く話じゃない。こうすると優勝圏内に入るわけなんですよ。30勝、一人が30勝するだけで。

よ:実際にこの年は1勝で優勝を逃して2位だった。

イ:そうです、あの、その話もいろいろあるんですけれども。でなんか、社長が聞くにも、えーそんな、30勝できるのかって言って、まぁ飲み会で、まあ酔ったと思うんですけど、私的には。本当に30勝するなら、私が1億ウォンあげる。1億ウォンはまあ、今の値段だと1000万円ぐらいですかね。それをあげると。でもまあ、本当にやるかも知らなかったんだろうし、飲み会でいう話は韓国であんま信用できない話なので、基本的に。

よ:まぁね。

イ:でも日本は違うじゃないですか。文化が。飲み会で言っても、言ったことは言ったことじゃないですか。

よ:それはちょっとどうかなという気もするけど。

イ:そうですよね。

よ:でもまあ、とにかく、とにかく張明夫はその話を本当に真面目に、真に受けたと言うかね。

イ:それでまあ、シーズン終わって30勝したので1億ウォンくださいって言ったら、まあ、球団は球団でもう、忘れたか、多分私は言ったと思うんですけど、言った後に忘れたと思うんですね。それでなんか そんな、そんな、ないよっていう。

そもそもの話で、三美と福祉さんの契約は公表された契約よりもっと高い二重契約でされていたので、それ三美球団が母体になる企業になる三美という企業をだまして契約したので、なぜかと言うと国民世論が結構反発があったので、当時こんな年老いた選手をそんな大金を持って、持ってくるのかっていう話があったのに加えて、1億ウォンを要求されて、そもそもだました金額で契約したのに、またお金を出さなきゃいけないっていうような状況になって、まあうわさでは、社長であった方が、まあ、自分のお金でちょっとぐらいのボーナスをあげたっていう話はあるんですが、そこはまあ、分からなくて。

よ:はあ、なるほど。でもその、シーズン30勝、お金のために張明夫は投げたのかって言うと、必ずしもそうではないっていうことが、まあ映画の中ではね、そこは大事なとこだなと思っていて。今、この朗読の中で出てきた李英求という選手は、実は木山英求という、この人もま、広島カープにいた選手で、福士、張明夫と一緒に、韓国に渡って同僚になるわけなんですけど、この人が証言しててね。

イ:そうですね。まあ、金のために投げてるんかっていうのは、「1年だけ頑張って次の年どうなるか分からないのに、それはないと思います」っていうのは言葉として、あの方は言っていらっしゃったので。なぜかと言うとチームを盛り上げてやりたいっていう気持ちがすごかったというのが、あの、木山さんの証言として出てくるわけなんですね。前年度に歴史的な大敗をしてるチームだから、それをぬぐわしてやりたい。ひっくり返してやりたいっていう言葉を、ずっとされてて、それで投げていたと。

福士さん、張明夫さんも本当はグランドの裏ですごく緊張されてて、何て言うんですか、おえっとなるような、そういう 吐き気みたいなのもされていたし。そういうのを隠してマウンドの上ではちゃんとやることで、ちょっとチームを盛り上げてやりたいっていうのはすごく当時、気持ちとしてあったと証言されてたので。まあ、あの吐き気とかは映画の中では出てこないんですか、木山さんが言ってらっしゃったので、多分確かかなーって。

よ:あと、やっぱりなんか韓国野球を強くしたいって。한국 야구를 키우고 싶다 그런 말씀도 하셨죠.

이: 아주 막 생긴 한국 야구고 프로 의식이 아직 제대로 정착되지 않은 야구 였기 때문에. 하지만 어디선가는 배워야 하는 야구 있는데 그때 제일동포 분들이 와서 기여한 부분이 있고 실제로 기어가 됐고. 그런 공들이 있다는 거는 이제 영화에서도 감독님, 삼성 감독이셨던 전 삼성감독이신 분이 알려주셨던 내용이고.

말하자면 이건 키야마상이 얘기한 거긴 한데 이제 세계를 노리고 야구를 하기 때문에 한국 야구 로컬 룰로는 안 된다 라는 것을 알려 주셨기 때문에. 그런 것도 이제 그런 모든 면에서 한국 야구를 강하게 하고 싶었던 의지가 강했던 게 그 당시 제일 동포들도 그래 하실 거고 장명부 선수도 그렇게 하지 않았을까, 저는 생각합니다.

요:아까 말씀드렸던 것처럼 그때, 그때 당시만 해도 그 일본에서는 야구 선수라면 용병, 용병에 가까웠어요. 사실 외국인 선수의 가까운, 그러니까 아주 수준이 뛰어난 그런 선수처럼 받아들였던 것 같아요. 그러니까 뭔가 그 수준차이를 보여줘야 한다, 그래서 뭐 한국 야구를 키워야 한다, 그런 의식이 강했던 거 같습니다. 그 영화를 보면서 그런 것 좀 느꼈어요.

이:아마도 말하자면 한국야구위원회에서도 그런 생각이 있었기 때문에 계획을 세웠던 것 같고.

よ:しかしこうした結果長続きはせず、何年で現役終わったんでしたっけ?

イ:んー、86年ですかね。

よ:そうあの映画の中で、当時のテレビインタビューが出てきて、あの年、30勝をしなければ、もうちょっと長く活躍できたんじゃないかっていう記者の質問に福士さん、張明夫は泣き出すんですよね。

イ:そうです、多分、本人もいろいろ思うことがあるんでしょうけれども、まあ本当はしなければ良かったかもしれないっていうのは、本人が言っていたので。30勝じゃなくて、まあ、普通に20勝ぐらいで、そんぐらいで良かったんじゃないかっていう後悔をされてて。18年もプロ野球やったのにっていう言葉は、私はすごく、何のためにっていう、あそこまでプロ野球やってて、何のためにっていう言葉が今でも記憶に残るわけなんですけれど。

よ:うーん、どうなんだろう、でもなんかやっぱり、優勝にあと一歩で手が届く、で、それがほとんど自分の肩にすべてかかってると思ったら、やっぱり意気に感じて投げちゃうだろうなぁ。

イ:止められないですよね、そういうのは本当に。

よ:で、また、彼の場合は、やっぱり人間ってその、太く短く生きるか、細く長く生きるかみたいなところって、どうしてもいろんなとこで選択を迫られるところがあって、彼はやっぱそこで、何か太く短く生きることを選んだと言うか、選ばざるを得なかったと言うか、自ら進んでそれを選ばざるを得ない境遇が、どんどんまあ、自分の前に開けてたんだろうなっていう感じはするんですよね。

イ:そうですね。まあ福士さんって、そもそも、強いチームに行けばそんな無理しなくて良かったんですよ。

よ:そうだね、そうだよね。

イ:当時といえばヘテとか、今は起亜タイガースとかは、そこら辺のチームに行けば強いチームなので、別にそんな無理して投げなくても、他の選手が支えてくれたと思うんですよ。でも彼が行ったチームは全部弱かったチーム。86年も弱かったチームだったので、最後までそれが言わば不運っていうか、まぁ残念なところではあるんですね。

よ:そうなんだよね。まあ本当に、びっくりするぐらい弱かったチームを一人で背負っていたというところで、しかもそれが自分が活躍することで、なんか結構成績がかなり変わっちゃったりすると。

で、映画なんですけれども、大体どのくらいの期間で制作した映画だったんですか?

イ:それはえーと、4月、5月去年のあれから企画をやってて、でも自分の中で何をするかを決めなきゃいけなかったので、そのぐらいでやって、実際の撮影が始まったのが8月ぐらいから、去年の8月ぐらいから始まって12月まで撮影して、12月に編集でずっと閉じ込もって。

よ:結構急ピッチなすごいスケジュールですね。

イ:本当に死ぬと思ったので。編集とかは特に3週間に2週間、3週間ぐらいずっと家にいたので、何もせずに あのごはんも出前だけで過ごして、そのくらい期間が短かったので、まだ見せたかったけれども、見せなかった部分もたくさんありますね。

よ:ちなみにその使われなかった部分でなんかもし、ここは惜しかったなぁ、ここは何か泣く泣くカットした部分とか、面白いエピソードがあったら、ちょっと教えてもらえませんかね。

イ:まず先に言うのは、まあなんだろう、福士さんが裏でどういう姿だったのか。グランドの上じゃなくて。なぜかと言うと福士さんは言っちゃえば、日本語しかできなかったので。当時は一緒に見た選手は木山さんしかないんですよ、本当は。

よ:その本音を聞いた選手は、もうそれこそ本当に木山しかいない。

イ:だってまあ、木山さんは映像には出てこないんですけど、当時、三美球団がアパートをくれるって言ったのに、なかなかアパート探してくれなくて、まあちょっと球団があれだったので、さっきの話からすると1億ウォンのボーナスからして、ちょっと変な球団だったので。

よ:確かに。

イ:それでアパート探してくれないからホテル住まいしてて、そしたら福士さんにはアパートくれたんですよ、でも。あの三美球団は、球団がアパートと、えーと、なんだっけ、運転手と車までちゃんとくれて、ソウルで過ごしてたんですけど、あの福士さんはそうすると、木山さんがホテル住まいしてるのを見て、「お前、だったらうち来いよ、うちで過ごそう」と居候させてもらったっていう話を聞いたんです。それも映像には入らなかった部分。

よ:そうなんだ。

イ:それで一緒に車乗って球場行ったりしながら、南の方にある、南と言うかほかのチームを行くときはバス一緒に乗るんですけれども、そうじゃない時は車で一緒に渡りながら、会話を車の中でいろいろされてたと。

よ:あーなるほど。

イ:その中で出てきたのが、まあ映像の方にも載ってるのもありますし、そうじゃないのは例えば、まあ、さっき言った吐き気もそうだったし、何を教えたいっていう気持ちがあったのかっていうのも、しゃべってらっしゃったとは聞いたので。

例えばなんですけれども、弱いチームって言うこと云々する前に、韓国野球の中で自分がやれることっていうぐらいは喋ってたと思うんですけれども、詳しくは木山さんも覚えてらっしゃることではなくて、まあいわば、30年も過ぎた30、40年も過ぎたことで。でも印象に残った部分がたくさんあった、83年だけは。

そういう話もそうだったし…まぁ、あとは本当に撮ったのは多いのに、今今思えば、全く頭に残されてるのが1時間のあの映像しかなくて。

よ:なるほど

イ:奇妙ではあるんですけれど。

後はまあ、監督さん、他の監督さんが言った、記者さん、元記者さんが言った福士さんの私生活に関する話とかは、本当はあの、立体的な人物像を見せるためには、ちゃんと載せたかったんですけれども、あの、1時間以内に作らなければいけなかったので、載せたいけど載せられなくて。ちょっとあの一部分だけ見せたかなーっていう気持ちは若干します。

よ:確かにさっき言ったようにその賭け事好き、女好きみたいな、そういう部分を、あの、今でも証言する人がいるっていうこと、やっぱり結構、韓国では破天荒な生活を送ってたんだろうなという気はしますよね。

イ:そうです。なぜかと言うと、彼は日本国籍だったので、当時はソウルにある博打できるところに出入りができた。

よ:あーカジノ

イ:カジノです。その証言は監督さんがされてて、本当は彼をこう、後ろから支えるぐらいの代理の人がいたら、彼はもっとまともに生活できたんだっていう話をしてて。監督さんは。もう、ぶん殴ってまで家に閉じこもっ…閉じ込めさせて、ちゃんんとそういう規律を教えればもっといい選手になれたかなという後悔をされていたので、若干。監督さん。お金も全部奪って。奪うっていうか、そのお金も別の人に管理させて、そうすればいい選手だったんだろうなって、いい記憶としてもっと残ってたんだろうなっていう話をされてましたね。

よ:なるほどねそういったところから、その、後にヒロポンに手を出したりとか、そういう悪いつながりもできていくのかもしれないけれど。でもやっぱり、今ちょっとチラッと言ったけど、大変孤独な韓国生活を送っていたんだろうなぁという気はするんですよね。そもそもやっぱり言葉が不自由だから。

よ;映画の中に、異母兄、이복형, 정말 잘 찾으셨네요. 이복형 아 그런 사람 있었다는 거 우리도 몰랐고요. 지금도 그 천안에 계시면 그분이 왜 장명부라는는 사람이 토토리에서 태어났는지 그런 것도 얘기하셨고 여러 가지 전쟁이나 그 식민지 지배 같은 게 만든 그 역사의 비국이라고 할까.

よ;まあ何と言うか、在日韓国人がやっぱりなぜ存在するのか、みたいなところから、実はそこはやっぱりいろんな個人史が、本当に激動の個人史が、いろんな家庭ごとにあったりするわけなんだけど、その中の一つ。本当にその中の一つなんだなーって言う。

よ;その異母兄、要するに腹違いのお兄さんと福士は、言葉が通じないわけですよね。

イ:そうです。そもそもどうやって、彼を探すことができたかって言うと、あの、이복형,まあコメントを残していたんですね。その腹違いのお兄さんのえーと、孫の女性の方なんですけど、この女性…이복형 손녀の方はコメント残して、私もちゃんと覚えてますよっていうことで、まあそれで、それを見てメールをしたんですね。その方に。

요: 그 댓글이 어디에 남았었죠?

이: 네이버 블로그에 영화에 나오는 홍순일 편집장님, 지금 위원장님 인데 위원장님이 쓰신 글이 있어요. 이제 연작으로 쓰셨는데 그걸 제일 마지막에 댓글이 달려 있거든요. 그걸 보고 저는 메일을 한 거죠. 네이버 메일로. 근데 그 손녀 분이 평소에는 네이버 메일을 절대 안 보시는데 그날따라 여셨대. 제가 메일을 딱 한 날.

요:뭔가 신의 계시네요

이: 약간 좀 저는 장명구 선수가 도왔다 라고 말하고 다니는데. 아무튼 그걸 봐주셔서 연락이 다 와서 가서 취재를 하게 된 건데, 편집된 부분이 먼저 그 부분 같은 경우에는 이복형 같은. 왜냐면은 그렇게 일본 욕을 많이 할 수가 없어요. 사실은 본인이 쌓인 게 많잖아요. 부모님 없이 자랐다는거에 대한 불만이 라고 해야 되나. 그거에 대해서 되게 깊은 안 좋은 감정을 가지고 있었기 때문에. 그런 부분을 최대한 전하면서도 어느 정도는 전달되게 그래서...

요: 아마 장면부 라는 이북동생이 있었다는 거 알면서도 그냥 뭐 영화 안에서는 그냥 반갑소, 반갑죠라는 그런 얘기를 했었는데, 아마 그런 방갑다라고 만으로는 말할 수 없는 아마 여러가지 복잡한, 착접한 감정이 있을 거예요, 아마.

이: 네 맞아요. 그게처음 본 동생이잖아요. 말하자면 완전 남처럼 보일 수도 있는 거고 아무도 모르는 거니까. 사실 그런 거를 좀 말하는 말투도 그렇고. 약간 단순히 좋아, 좋았다 라고는 생각할 수 없을거에요. 영화를 직접 봐 주시면 이제 알겠지만 실제로 그분이 말씀하시는 거는 전혀 완전 반갑다는 아니거든요.

요: 그렇죠 아버지 욕할 수도 없고.

이: 그렇다고 또 돌아올 수 없었냐 하면 그것도 아닐 거 거든요, 그 아버님께서. 왜냐면은 한국은 당시 여행이 자유롭지 않은데도 아들이 자꾸 갈 수 있었으니까까. 58년 59년 이럴 때는 건너 가기도 쉽지 않을 건데 가시고 했으니까.

나는 그게 왜 그럴까 생각을 해봐는데 기반을 거기 잡아 버려서 돌아갈 수 없게 된, 왔다갔다 할 수 있어도 돈을 벌어야 되는데, 한국 와서는 뭐 당시 한국은 대단히 가난하기 때문에 가서 뭘 할 수도 없고. 약간 그런 상황에서 모여서 어쩌지도 저러지도 못하는 그런 모습이 좀 보이지 않았나 싶기도 했고요.

요: 아마 장명부 선수 입장에서 보면은 아마 그 괸장히 외로웠을 거예요 아마 그럼 일본에 대한 반감과 아마 그때 한국사회에서는 지금보다 훨씬 강했었죠. 그러니까 뭐 일본에서 온 선수라면 게다가 제일교포라는 그런 사람한테 일반 한국인이 느끼는 감정, 아마 그것도 좀 약간 반감 썩힌 것도 있었을 거예요.

이: 그렇죠. 왜냐면은 한국은 약간 민족주의가 그 당시에 대단히 강한 나라였기 때문에. 말하자면 일본에서 살면서 한국말도 못 하고.

그런 거는 이제 키야먀상 이영구 선수도 증언했지만 영화에는 실지 못한 부분이었는데. 말하자면 뭐 한국에 왔는데 니는 왜 한국인인데 한국말도 못하냐, 배운 적이 없다 하니까는 부모님 있을 거 아니야, 약간 그런 식의 약간 공격적이라고 해야 되나, 배타주의 적인 성향이 보이는 게 있어요, 어느 정도.

이영구 선수도 그러했고 아마 영화에 등장하는 부분이지만 그 당시 일본에서는 제일 동포들 또한 일본인들에게 겪었던 게 있었을 것이고. 서로의 아픔을 생기게 되는 말하자면 일본인이 아니니깐 뭐 감독님이 증언해주신 걸로는 뭐 뜨들겨 맞네 뭐 그랬다는 것도 있지만 그런 게 참 복잡한 거 같아요, 제가 보기엔.

よ:그렇지요. 日本から来た在日選手に対する複雑な感情もあって、多分それはファンからも、同僚の選手からも感じてただろうし、なかなか多分、本当に孤独だったんだろうなという想像はしますよね。

イ:そうですね、まあ全ての人生において、孤独から始まって、結局、孤独から終わる彼の人生っていうのが、若干そういう感覚がありましたね、私も。

よ:本当に、見ていただくといろんなものが詰まった。日韓の歴史もそうだし、80年代のプロ野球っていう、まあ、現代に果たした在日韓国人選手の役割みたいなことも、あんまり今 知ってる人少ないですよね。

イ:そうです。まあ、これは映画に載ってないんですけど、パク、サムスン監督、元サムスン監督さんが言った中で、「もらうぶんだけもらって捨てよう」っていうセリフが出てるんで、ちょこっとそれは、私にとってすごく悲しい話だったので載せられなかったんですけれども。いわば福士選手に関する話をする中で、私生活がそんな悪ければ、まあいい所だけ取って 悪い所は捨てよう。その、野球を教えてもらえば、次は文無しだから、っていう感じで、言ってらっしゃったんですよ。

そういうのは全般的にあって、完全に忘れられたわけではないけど、ちょっとすごく忘れられられたかなーっていう印象が私の中にあるんですね。

よ:そう。

イ:在日同胞もそうだし。だって今、韓国を見ても、例えば新韓銀行とか、在日の民団が作った、寄与したっていう知ってる人、ほとんどいないと思うんですよね。そういうのをなんか、もらうところだけもらって忘れちゃったのは、私としてすごく悲しいし、もっと覚えていただきたい。なぜかと言うと、歴史って、切っちゃったら歴史じゃなくて、ただの出来事に過ぎないと思うので。そういうのをちゃんと受け受け継ぎたいっていうのが、私の思いなんですね。

よ:ねー、あの、福士選手は韓国での現役は4年で終わったのかな?

イ:そうです。まあ、3、4,5、6年なので4年ですね。

よ:その後、コーチの仕事をやるんだけれども、あんまりこう、続かなかったっていうくだりが出てきて、でなんかそれは、教える技術はあるんだけれど、なんかうまいこと、そのチームと折り合いが、チームと折り合いが合わなかったり、なんかいろんな反発を招いたりしたっていうような話が出てきて。なんかあの辺が実はちょっとよく、なぜなのかってのがあんまりうまく映画でうまくわからなかったんですけど、何か言えない話があるんですか?

イ:ありますね。まあちゃんと。まずはサムスンに呼ばれる時の前に「個人で教えた」っていう話が出てくるんですけど。


よ:はい。

イ:それは本当はその当時のルールでは禁止なんですよ。

よ:あーなるほど。

イ:まあ、今は言えるって言ってたんですけど、あの監督さんは。そういうことを他の記者たちにまったく教えずにやっていたので、そういうことも出てこなかったし。本当は 。私の映像で初めてあの監督が言ってらっしゃったんですね。でもそれ、隣に他の記者さんがいて、すぐ記事に出しちゃって、ちょっと悔しい気持ちはあったんですけど。

よ:そうだったんだ!

イ:それはともかく、それもあったし、サムスンでそもそも何で受け入れられなかったって、サムスンは大邱を地元にする球団ではあるんですけれども、その特色っていうのが日本で言えば京都的な。

よ:あー、ちょっとこう保守的で

イ:外部のものは受け入れない。その監督ですら大邱の出身なもんですから、言っちゃえば。それでみんなちょっと他のコーチもそうだし、よそ者の中でも本当のよそ者じゃないですか。

よ:日本から来たよそ者。

イ:完全に。だからはい 、はいちょっと排除する、そういうのがあって、もう雰囲気に負けて、1年ぐらいしかやれなかったって言ってましたけど。

よ:ほう、雰囲気に負けた。へえ。

イ:みんな多分、いろんな理由を出して問題提示はすると思うんですよ。プライベート云々とかしながら。でも本当は仕事は仕事として見てもらうべきだと思うんですけど、そういうのがなくて、いろんな理由をつけて排他、排他主義っていうか、まぁ、排除しようとするのがあったし。それに釜山で今度はロッテジャイアンツでコーチ生活をするわけなんですけれども、ま、みんなあんまり良い目で見てないのに加えて、まあ、あの当時の記事に載ってるんですが、ファンと喧嘩しちゃったと、福士さんが。

でもこれは、私は理解できるのが、当時のロッテについて、理解できる人はみんな分かると思うんですけど、こう、ちょっと分かります? 日本の、言わば、日本で例えるならば阪神タイガースみたいに、強い何かがあるんですよ、ロッテには。ありえないくらいの。それでまあ多分福士さんの方に行って、ロッテはいつも下手だったので、野球が、言っちゃえば。それでなんかちょっと文句言って喧嘩したのではないかなって、勝手に想像してて。当時の記事にも「ファンが処罰を求めていない」って書いてあったんですよ。まあ本人も多分、何かやったんだろうっていうのが予測されるんですね。私はそれを見ると、本当は分からないんですけど、本当の事実は。それでコーチも辞めてしまったっていうこともありますしね。

よ:やがてヒロポンに手を出し…

イ:ヒロポンは言っちゃえば、そのコーチをやってる頃にも止められなくて出してはいたけど、91年にばれたと。それが。

よ:なるほどね。なんだかプロ野球の選手ってのもなかなかその現役引退して解説者とかプロ野球のコーチ、監督になれる人なんて、ほんの一握りでと言うね。あとはもうなんかこう、自分で仕事を探しながら頑張っていくしかないっていう世界ではあるとは聞きますけどね。

イ:木山さんだってあれですよね。今ラーメン屋やってらっしゃるんじゃないですか。

よ:ねー。なんかでもあの広島のユニフォームを着て出てきたところなんかは、やっぱりなんかこう、自分の元いたチームに対する愛着が強いんだなっていうのは、なんかすごい、見てて思いましたね。

イ:本当に会話する時に「自分がもっといい選手だったらなー」っていう、悔しい気持ちがちょこちょこっと出てくるんですよ。その、直接言葉で言わないんですけど、もっとよかったらなあ、もっと頑張れたらなあ。あとはまあ、「頑張るだけじゃダメ、ダメなんですよね。プロ野球選手は」っていう言葉も私に言ってて。そういう何ていう 愛情っていうか。

よ:やっぱなんか、スポーツ選手は本当に努力だけではどうにもならない部分もやっぱりありますからね。才能もそうだし、持って生まれた体格とかね、体ってのもやっぱり大きいものだし。

イ:そういう いろんな面で見える哀しさっていうのも感じて。

よ:まあ、そういう意味で福士さん、張明夫っていう選手は いろんな意味で多分恵まれていて。確かに今考えれば、もっとうまくやれただろうっていう、後から考えることもできるんだけど、彼はきっとシーズン30勝したからこそ、こうやって覚えてる人が映画作ろうと思ってるわけだしね。

そうですね。まあ、むしろ韓国にも三美のもっと一つの映画があって、あの「スーパースター、カム・サヨン」という、おわかりになられるかどうかは知らないんですけれども、でも、その映画の主題になるカム・サヨンっていうピッチャーは、1勝しかあげてない、プロで。全てのプロ生活で。だからこそもっと有名になることもできたし、なんかいろんな面白いのがあって。

そもそも三美っていうのが、みんなちょっと何か喋ってしまう。下手くそだからこそ喋ってしまう。

よ:伝説のね。さっき読んだ「三美スーパースターズ・最後のファンクラブ」ってのも、韓国ですごく人気のあった小説ですけど、これもやっぱり弱いからこそ小説のテーマになって、みんなが、みんなが読むという。

イ:そうですね。言わば日本の国鉄的なもんじゃないんですかね?

よ:なんかね、国鉄スワローズは弱かったけど、じゃあ弱かったからこそ愛されたチームかって言うと、ちょっと違う気がするんだよなあ。

イ:若干、金田さんの影響が強かったのかなあ。

よ:まあ、金田正一っていう選手が一人で支えていたチーム、確かにあったけど、むしろなんか最近でいうと暗黒時代の阪神タイガースみたいな。

イ:あ、ありますね。金田さんの名前は、亡くなられて残念なんですけど、あの、取材中に亡くなられたと聞いたので。その、パク監督が、金田さんに関する話をすごくされていたので、本当は。彼に関する話とか自分が聞いた話、いろんな話もされていたんですけれども、映画には合わないから載せられなかった部分もありますし、

よ:あー、なるほど。またね、なんかあの取材を重ねてさらにブラッシュアップして、するとなんかいい作品になるんじゃないかなと思って。今後はどうされるんですか。

イ:私は3月末ぐらいか、もしくは3月まで日本にいて、その後に完全帰国するんですね。しばらく、しばらくは。それで韓国でこの映画をもうちょっとは一般公開できるように、いろいろしたいなっていうのは今の現状なんですね。もっと他の所にも見せて、いろんな人がたくさん覚えてもらって。ただ福士選手だけの話じゃなくて、その中にちょっと潜んでいるお互いの関係の問題とか、まあその中で苦しむ在日っていう存在に関する話とかも、ちょっと見てもらいたくて、それでスポンサー探しとか、まあ、配給とか、そういうのをやろうとしています。

요: 근데 원래 다큐 작가가 되려고 무사시노 미술 대학에 입학한 건 아니었다고?

이: 네 그렇죠.

요; 원래 뭐 하려고 일본에 유학을 왔어요?

이: 일본에 유학 온 분들은 다들 그런 분들이 되게 많은데 애니메이션에 저는 흥미를 가져서. 원래는 그래서 이 대학 입학 할 때도 맨처음에는 “저는 애니메이션 하겠습니다”라고 면접 때도 말을 했었어요.

요: 아 근데 애니메이션하고 다큐하고 완전 다른 완전 180도 다른 세계가 아닐까요?

이: 그렇죠. 좀 많이 동떨어져 있는데, 다큐는 사실은 애니메이션을 좋아하기 한참 전부터 집에서 봤었어요. 이게 왜 그러냐면 저희 집은 케이블이 안 돼가지고 케이블 케이블 TV 로 부모님이 안 해주셔가지고, 그래서 이제 학교 끝나고 와서 틀면은 항상 다큐만 하는 거에요. 말하자면 그 동물의 왕국, 그런 거를 하면서 이제 그냥 볼게 없으니까, 나는. 만화 영화도 안 하고. 그나마 그 중에 재밌는 게 다큐를 보게 되니까는 약간 다큐가 좋아졌었던.

하지만 애니메이션을 보면서 잠깐 잊고 있었던 그런 게 이제 일본에 와서 영화를 만드는 가운데 다큐 수업이 있었던 거죠. 이제 이 학교에 입학해서 다큐 수없을 하면서 다큐를 만들어 보니까는 그 당시에 그런 기억들도 떠오르고 약간 새로운 무언가를 하게 되는, 그러면서 다큐 진짜 재밌다 좀 더 하고 싶다라는 마음이 있었고 영화도 좋아하기 때문에 여기 와서 영화 영화 도 만들고. 그런 가운데에서 다큐도 만들게 된 거죠, 말하자면.

요: 그렇구나. ただ残念ながらそういうわけで現状、もう武蔵野美大の卒展も終わってしまったので、現状日本では見ることができません。なんとかね、日本でもう1回上映できるといいですね。

イ:この間聞いた話では、もう一度だけどこかでちょこっと上映したらいいんじゃないんですかっていうような話は、今されてはいるんですけど、何の確定もなくて。

よ:なるほど。

イ:その連絡が来るかどうかも分からず、これを一旦韓国に持ち帰って、日本での一般公開を思っているので、ぜひとも日本でも上映されたらなー、っていうのが私の気持ちです。

よ:はいというわけで。あのこの作品は本当にたくさんの人に見てもらいたいなと、私も思ったので。

사실 저도 80년대 한국 프로야구 저장 생생하게 기억하고 있거든요. 왜냐면은 그때 초등학생이었는데 뭔가 한국의 프로야구가 있다 라는 영상인가 방송에서 영상 봤나? 아니면 신문에서 사진 봤나? 근데 굉장히 놀랬죠. 왜냐면은 자이언츠가 있네, 라이언즈가 있네, 유니폼도 뭔가 비슷비슷하네, 근데 뭐 얼굴도 체격도 비슷비슷하고 그런데 뭔가 다르네. 아 뭔가 이런 비슷하고도 다른 그런 패러럴 월드 같은 게 혹시 있나, 그런 거 그렇게 관심을 가졌던 게 아마 제가 한국이라는 나라를 걸 알게 된 계기가 된 여러가지 계기가 그때 있었는데 그 중 하나였지 않을까, 지금 기억이 나는 건 그런 거예요. 그러니까 삼미슈퍼스타즈 같은 이름도 그때 좀 알게 됐고. 왜냐면은 삼미슈퍼스타즈 라는 그럼 약한 그 프로야구 팀이 있다는, 아 삼미슈퍼스타즈, 아 슈퍼스타즈는 일본엔 없네, 그런 식으로 뭔가 제가 한국이라는 나라를 알게 된 기억 중, 처음 기업 중 하나였던 거 같고요.

그니까 근데 나중에 그 海峡を越えたホームラン、세키카와 나쓰오 씨의 소설인데 그때 일본에서 유명했던 니우라나 그런 선수가 뭐 한국인으로 한국에서 뛰고 있구나 이런 식으로 알게 됐고 그래서 87년 88년 됐고 KAL 사건도 있었고 서울 올림픽도 있었고 여러가지 한국에 대한 정보가 많이 많아졌고.

그때는 일본에서 사실 1차 환국붐이라는 게 그 87년 이었어요. 사실 그때 뭐 한국말 배우자라는 붐이 어느 정도 일어난 게 그 사실 80년대 후반이었거든요. 서울올림픽 있으니까 좀 한국을 알자 한국에 가자 아니면 한국말 공부하자.중학생이었는데 한국말 공부를 시작하면서 2주일로 죄절한 그런 기억도 있습니다.

이: 야구가 어느 정도 영향을 주신 거네요.

요: 야구는 굉장히 많이 주었죠. 그러니까 제가 95년도에 한국에 유학을 했을 때도 뭐 시간만 있으면 친구랑 같이 잠실 야구장 갔고, 한신타이거스 팽이 없기 때문에 지금도 팬이지만 해태 경기가 잠실에서 있으면 거기 가고 거기에는 선동열 선수가 아직 마무리 투수로 있었거든요.

이: 선동열 투수면 현역으로 봤다는 게 얼마나 재미있는 일인데.

요: 아 그래요? 근데 선동열 선수는 그때는 현역으로는 좀 약간 후반기에 들어온 시기였고, 선발 투수가 아닌 마무리 투수였고 해태도 그렇게 강아지는 않았어요. 그 다음해인가 주니치로 온게.

이: 아 그 때쯤이구만. 그러면 아주...

요: 그러니까 LG 선발 투수는 이상훈.

이: 이상훈 선수를 이렇게 이케 현역으로 볼 수 있다는… サムソン・リー。

よ:日本ではサムソン・リー。그때는 8시 넘으면 공짜로 들어갈 수 있다는 그런 규칙이 있었어요.

이: 요새는 힘듭니다 해 봤어요.

요: 요새는 안 돼요?

이: 해 봤어요. 제가 8회? 7회 이때쯤 가서 들어가려면 먹더라고요. 잠실구장 가가지고 안 된대요.

요: 안 됐어요? 8시 됐으니까 공짜로 몇 번 들어갔죠. 물론 뭐 처음부터 뭐 입장권 사 가지고 들어가는 것도 많았고.

이: 목동구장을 가끔 해 주긴 했는데 잠실은 좀 안 해 주더라고요.

요: 목동 구장면 아마 가능할 것 같고요.

よ:というわけで、ぜひ日本でも上映されたらいいなと思ってますんで、ちょっと是非あの、今後もまたちょっと、映画のブラッシュアップもしつつ、作品を是非また作成を続けてほしいなと 是非出ます。

イ:はい、是非お願いします。本当にはい、あの、野球を知らない方でも見れるようなドキュメンタリーを作りたくて、ちょっとまあ、そういう説明も入ってたりしていたので。本当は野球だけの話じゃなくて、いろんな、いろんな面が感じられるドキュメンタリーだと思うので、そういうところを含めて、皆さんがちょっと見てもらえたら嬉しいなっていうことを思ってたりしています。

よ:はい、というわけで、どうも遠いところありがとうございました。

イ:ありがとうございました。

よ:本日の番外編はこれにて終わります。さようなら。안녕히 계세요.

이: 안녕히 계세요. 감사합니다.

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