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非常事態を宣言した首相、一週間後に自分が失職

 2008年5月に再開したパンタミットのデモ集会。首相府に乗り込んで以降、より過激に、より大規模になっていった。当時の首相はサマック。失礼ながらビジュアル的にいくらでもコケにできるとあって、誹謗中傷はエスカレートする一方だった。

 サマックはかつて市民党という一大政党を率い、副首相まで務めた大物政治家だが、それ以降は苦戦した。中央政界に見切りを付けて2000年にバンコク都知事選に出馬。前代未聞の100万票突破という得票数を記録したが、就任直後から「何もしない都知事」という批判にさらされ、任期を全うして以降は目立つことはなかった。

 タクシンの愛国党が空中分裂したおかげで念願の首相の座を得たものの、当然のことながら「タクシンの操り人形」とみなされ、政治的にオリジナル性を出し切れず、昔ながらのアクの強さだけが目に付いた。とにかく、サマックが何を言って脅かしても、パンタミットには全く効き目がなかった。すでに「村」と化していた路上の集会場は、炊き出しで食事が配給され、水のみならず炭酸飲料などの各種ソフトドリンクが支給され、救急テントも設置され、警官隊を相手に乱闘する「警備員」も増員されるなど、システマチックに発展していった。

鳥かごに入れられたサマックの写真

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