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空港封鎖 オヤジはチャリンコを乗り回し、子どもはバトミントン

 スワンナプーム空港というのはそもそも、「タクシンが好きで造った」というイメージが強かった。タクシン政権のときに建設が始まり、開港直前の2006年9月にクーデターが発生。タクシンはドーンムアン空港から出国したままタイに戻ってこられなくなった。クーデター翌日に開かれた記者会見で、女性記者から「スワンナプーム空港は予定どおりに開港するのか?」という質問が寄せられたが、誰もが気にするところであった。クーデターの首班とされるソンティ・ブンヤラットカリン陸軍司令官はその質問に対し、「開港させない理由は見当たらない」と答えていた。

 一方で、スワンナプーム空港はタクシンが実現させた唯一のメガプロジェクトとして、政敵からも評価された。例えば、タクシンの政党と常に敵対していた民主党は、「タイに必要なのはメガプロジェクト。その意味でスワンナプーム空港建設は評価される。しかしその後が続かなかった」(コーン・ジャーティカワニット蔵相、2010年の談)。そのような意味で、パンタミットがスワンナプーム空港の封鎖に乗り出したのは、暴挙であることには変わりないが想定外というわけでもなかった。

出国ロビーでチャリンコを乗り回すオヤジ

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