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人生幸せに生きるために僕が考えてきたこと

「幸せに生きるためにはどうしたら良いのか」
なんでも検索できるこの世の中でも、
こればかりは自分で考えるしかありません。

それは最終的には自分の中から生み出すもので
ある種の「芸術」と捉えても良いかもしれません。
生涯1番の大作です。

このnoteでは平凡な私が考えてきたことをまとめた記事です。
「なぜ、見ず知らずの奴の考えを有料で読まなきゃいけないのか」
そう思うのはごもっともです。

しかし、他人の「コアな人生観」はなかなか見えてこないものです。
普段の会話で人生観を語り合える機会など滅多にないはずです。
毎日を内省的に過ごす私の考えを読んでくれませんか。

思考の伴走にするにはこの上ない教材となるはずです。
ボリュームはかなりあります。
複数日に分けて内省のお供にしてください。

また、追記も重ねていきます。
一緒に考えを巡らせていきましょう。


基本的なこと

まずは人はなぜ生きるのかについて考えてみましょう。
私たちは決して能動的に生まれてきたわけではありません。
「よし、今から生まれるぞ!」と思って生まれたわけではないのです。

私たちの始まりには「受動性」があります。
自己を認識するのは、せいぜい5歳前後でしょう。
「生への能動性」を獲得するのはまだ先です。

自己を認識する5歳ごろ
私たちの「環境」というものは既に規定されています。
親の年収や性格、住む場所、身体的な特徴…

これがいわゆる「人生のスタートラインの差」です。
不平等だと思いますか?
これは理不尽なものですか?

僕はそうは思いません。
「不平等」とか「理不尽」という言葉は、
合目的性の下で定義される言葉です。

どういうことか?
「不平等だ!」と感じる時には何かの目的があるはずです。
「このクラスはテスト範囲を間違えて告げられたから他クラスより不利だ」
「ライブコンサートで同じ値段なのに遠い席で損している!」

これらは、
「テストでいい点を取る」や
「近くでアーティストをみる」
といった目的性の下で「不平等だ!」と解釈していますね。

では、人生における目的とはなんでしょうか。
「幸せに生きること」はビジョンであって目的ではありません。
目的は自分で作るものです。

となると、人生において「不平等だ!」と感じるのは、
あらかじめ決まっていたものではないことがわかります。
むしろ、目標達成を諦めるために「内なる声」が作り出した虚構かもしれません。

あるいは、敢えてそう考えてもいいかもしれません。
「人生における不平等とは、内なる声が作り出す虚構であって、
実際には不平等や理不尽さなどない」

「パスカルの賭け」というものをご存知でしょうか。

理性によって神の実在を決定できないとしても、神が実在することに賭けても失うものは何もないし、むしろ生きることの意味が増す

本当に神がいるかどうかは分からないし証明できない。
それでも、神が実在するとした方が得をするから信じる。
功利的な発想です。

同じことを、人生の不平等性についての議論にも当てはめられます。
人生のスタートラインの差など、目的に持ちようによって変わるもので、
決して不平等ではない。

功利的にそう考える、ということです。

ここまでをまとめてみましょう。

  1. 生とは受動性を持って始まり

  2. 「生への能動性」は獲得していくものである

  3. 受動性における不平等は虚構である

ここまでの議論、共感いただけたでしょうか。

せっかく新鮮な思考ができる状態になったところですので
あなた自身について考える時間をとってください。
メモを取るといいでしょう。

  • 自分の記憶はどこまで遡れるのか?

  • 小学生の頃考えていたことは思い出せるか?

  • 自分はいつから「生への能動性」を獲得し始めたのか。

  • 今、完全に能動的と言えるだろうか?

  • 受動的な思考になる場面はないだろうか。

  • 現時点での生きる目的を自分なりに言語化できるかどうか?

  • いくつの目的を持っているか?

  • 「生への能動性」を失うとしたらどんな時だろうか?

今日はこの辺で思考を寝かせてもいいと思います。
内省モードになったところで熟成させると
パルス波のような内省が定常波に変わります。

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