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FIRE・スローライフを目指す本当の目的

先日の僕のこんなツイートについて、深掘りします。

FIREやスローライフに憧れる一方で

そうした人たちを「反知性的で非社会的な無教養人」のように捉える風潮に反論したくて

というか、僕自身、そういう人たちを目指しているわけでなく、むしろ否定的なので、

時間をかけてなんとか言語化できたらいいなと

その皮切りとなる荒削りなツイートでした🙄

いきなりですが、人間が人間たらしめるのは知的であることかと。他の動物には人間ほど高度な知性はありませんからね。知は本当に万能で強力な武器だなと思います。

ただ、「FIREしてスローライフを送りたい」というと、どうもネガティブな意見がありますよね。
ポジティブな方向のFIREやスローライフを目指す方に向けて。

僕の目指すFIREやスローライフってどういう暮らし?

結論から言いますと、

「既存のフレームワークの中で努力する人生から抜け出して、自分でフレームワークを作って生きていく」

こんなところですね。

確かに、「今の世の中が辛くて、自分らしく生きられません。社会とか変わらず隠居したいんです」といった人にとっても、FIREしてスローライフという生き方は魅力的な生き方でしょう。

ただ、僕は今の世の中が辛いわけではありませんし、社会とは関わりを持って生きていきたいです。
自分の得意な形で世の中と関わっていきたいのです。

では、なぜ教養が必要なのか?なぜそんなに勉強したがるのか?

勉強は本来、至極の娯楽だと思っています。ただし、目的が外因的でなければという条件付きで。

  • テストで好成績を取らない怒られるから。

  • 就職のためにはこの資格は必要だから。

  • 会社で評価されるためにはこの能力が必要だから。

このような外因的な目的は、自己コントロール感を持てずに楽しくなくなります。

それよりも、

  • 人と違った発想ができるようになりたい

  • 本当に大切なことだけにリソースを集中して努力できる人になりたい

  • 何かに縛られずに自由に生きていきたい

などといったように、勉強とは内発的な動機でするものです。

僕は、「知的で独創的な思考や行動によって問題を発見・解決して現状を改善する」というところを、自分の価値の源泉に据えています。

それは、自分の得意なことだからです。

価値の高い人間に人やお金は集まってきますので、自分の価値を高める努力は怠ってはいけません。努力を続けるためには、それが自分の得意なことである方がいいですよね。

だから、僕は教養が必要だと考えていますし、僕は勉強をしたがります(笑)

結局、生き方は人それぞれ。楽な生き方をしましょう。

あれこれ書いてきましたが、結局、生き方は人それぞれだなーと。

お互いしっかり説明を尽くしても理解できない考え方もありますし。
それはそれでいいのかと。というより、生き方や考え方がバラバラだからこそ、人間は安定した社会を作っていけるもの。

敬意を持つことが大事ですね。

ただ、今の生き方が辛い人は改善した方がいいのではないでしょうか。

いったん現状をリセットするためにも、「少ないモノとお金で楽しく暮らす」をテーマに暮らしを整えてみてはいかがでしょうか。

僕の運営しているブログでは、「少ないモノとお金で楽しく暮らす」という生き方を発信しています。

自分の生き方を見つめ直すきっかけとして、ぜひ。

以上。

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