ラグビーの歴史⑥

95年の大敗から1年が経ち、日本ラグビーの中心に、はやくも平尾誠二が帰ってきました。

もちろん選手としてではない。代表監督に就任したのでした。

ここで指導者としての平尾誠二を中心に、この時代のラグビーの考え方を見て行きたいと思います。

まず一つ言えるのは、指導者・平尾誠二は戦術家ではないということ。平尾のラグビーにコンセプトはあるけど、具体的な方法論の人ではない。

神戸製鋼で、最初に求めたのは前を向いてプレーをしようて事だけだと思う。

相手を見て行動を決める。

そこで適切なアクションを起こす。

基本的な考えとしては、ここからぶれない人ではありました。

結果、それが日本最初のオープンラグビーに繋がった。
イアン・ウィリアムズが、この考え方に、オーストラリアから持ち込んだスキルをあわせて、初期の神戸製鋼オープンラグビーが完成したと言えます。

その後、大西一平がこれを引き継ぎ、イーガンの加入や国内の有力選手が加入するチームになりました。

お陰でよりハード面が充実し、システマチックなスタイルにはなりますが、ともかく、平尾誠二が植え付けた、前を見て判断する日本式オープンラグビーの根底は、今も神戸製鋼に残っています。それは皆さんご存知の通りだと思います。

日本代表監督としても、コンセプトの大きさを重視し、育成にも非常に力を入れたのも平尾さんでした。

キャプテンには外国人であるマコーミックを指名します。さらに前にブログでも書いたように、95年のオールブラックスの選手まで代表に呼んでしまう。

小さな事にこだわり過ぎない。
そして前を向いてプレーする。
走り負けない。

平尾さん自身が絶対の自信があるから出来ることを、日本全体に植え付けようとしていたんだろうなと思います。

そしてそれは一部では正しいかったんでしょうが、早すぎた部分もあったのでしょう。

W杯前には成績面では結果を出したものの、本戦では試合を難しくしてしまい、シンプルに攻めて来た相手にもあっさり敗退してしまいました。


平尾誠二のコンセプトを具現化出来る体制は、あの頃の日本にはまだ整ってなかったんだろうなと思います。

世界のラグビーがシステマチックになって行く中で、平尾誠二が決めた指針に対して土台を組み立てたり、設計図を書いたりする人間はまだ居なかったのでしょう。

現代のように細かく分けられた組織なら、もっと平尾誠二の能力が活かされたかもしれません。

本人がパスを繋ぐこと
ラグビーの演舞の様な部門があれば間違いなく世界一になれると言ったことと

それじゃあ勝てないと言ったことは日本にとって大きな財産だったはずなのに
その本質を未だに日本は理解してないんでしょう。

その価値観と勝利が繋がらない事を20年前にはもうわかっていたのに結局形に出来ないままだったのは平尾誠二本人の力の限界だったのかな?とも思います。

日本ラグビーの形にこだわり続けるのかどうするのかを苦悩しながら大型外国人達の力を借りて現実的な策もとらないと行けない苦悩が見えたが変則ルール故に希望があったように感じる99W杯だったのかな?と思います。

それでも最後まで自分を信じ続けた平尾誠二は立派な日本ラグビー宗教の崇拝されるべき人物の1人としてこれからも生き続けるんだろうなと思います。

そして20世紀最後のW杯が始まります。

プロ化の流れが大きく影響したわけではないけれど、これまでと意識を大きく変えたチームが優勝した大会と言えます。意識の変化は二つの面で強く出ました。

優勝したのはワラビーズです。

この大会はなによりピラーディフェンスをまだどのチームも攻略出来なかったいうのがあります。それがまず一番でしょう。

ブランビーズというクラブで意識付けされた約束事を守る能力が、人とボールを守るという意識から、さらにスペースを守るディフェンスへバージョンアップして繋がったのかな?と思います。

人とボールとスペース。

どこから守るかの議論は尽きないと思いますが、一つ明確な基準がここで出来たかな?と思います。

もうひとつの意識の変化は、準決勝で、フランスがオールブラックスに勝利した後のワラビーズの各選手のコメントに表れています。

口々に、分析して対策しないとというコメントがワラビーズの選手から出ました。

オールブラックスが敗れたことに対しての驚きはもちろんですが、今までの自分達が良いラグビーをすれば勝てると言う時代のラグビーから、明らかに変わった証拠でしょう。

この流れを、なかなか受け入れられなかったのがオールブラックス。王者に返り咲くまでまだ長い時間を必要とします。

戦力的には間違いなくNo.1だからこその葛藤かと思います。
実際、ロムーへの対策が次々にうたれたのに、それでもなお個人の判断での打開を試みたオールブラックスは、もちろん意地もあったんでしょう。

そのこだわりがあってこそ、現代のオールブラックスのラグビースタイルが出来たのは間違いありません。

後でその辺も話しますが、日本に一番足りない部分でもあるんじゃないかな?と思います

少し話は変わりますが、
ちょうどこの時期に、日本人のスポーツへの関心やマインドもかわり出したかなと思います。

今まで日本国内で完結していたんが、更に活動の幅が広がり出しました。

基準が対世界になったとも言えます。

これは現在30歳前後の自分たちが一番感じてる(た)ことかな?と思います。

ラグビーファンと呼ばれる人たちが多い、そこより上の世代とは明らかな感覚の違いがあるんじゃないかな。


その象徴が、先日、引退したイチローかもしれません。

プロ野球からメジャーへ選手たちの目標が変わり、JリーグもセリエAに変わりました。

俺はこの時期にコーチからラグビーを見ることを教えられ、当時はスーパー12を見て当たり前に世界で通用する選手になるんだ、なれるんだと思っていました。

国内を軽視するわけではないけど、世界と戦うことを当たり前に感じ出した世代なんだろうなと思います。

それがラグビーでも自分に近い世代の選手達がボクスをやぶった1番の理由なんじゃないかな?と実は思っています。

その後、サンウルブズでプレーする選手達も、世界と戦うことはなにも特別じゃないと感じてた部分はあったんじゃないでしょうか?

そもそもの目標の一歩目を踏み出しただけと言う感覚だったんが、いつの間にかそれがわからずに、サンウルブズは特別なことなんだとなってしまったことが、今回のような結末になったんじゃかいかな?と思います。

ラグビーの得点方法でもっとも価値のあることはトライです。

ただ昔はトライはコンバージョンにトライするためのトライでした。コンバージョンしないと点が入らなかったからです。

あくまでサンウルブズという存在はトライだよね。

確かに、トライすることにもっとも価値はあるけど、本質的にはコンバージョンも決めないと。

そこまでいかない、いけないのが、日本のラグビーがさらにもう一歩進まない原因なのかな?と思います。

追記まさに今日本はしっかりトライはした状態でコンバージョンをしっかり決めて次へと言う状況かもしれませんね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?