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MICRO BLACK HOLE 2021年12月

新作を熱く語るBLACK HOLEと並行して、面白かった新作を広く紹介していきます。小説に限らず、映画やマンガ、アニメなど、更新月含め二ヶ月間で発表された新作を手広くレビュー。毎月末更新。敬称略。

<国内文芸>

『7.5グラムの奇跡』砥上裕將(講談社)

『線は僕を描く』でデビューし、その瑞々しくも胸に打つ青春小説で本屋大賞にもノミネートされた砥上裕將による連作短編集。今回の舞台は眼科だ。視能訓練士として勤める主人公野宮が、色々な患者や症例と出会い、治療を通して患者たちが抱える問題へと迫っていく。前作では自分がどう生きていくかが自身の外側から与えられ、つまり目標を授けられてそこに向かっていくことで自身を泥沼から掬い上げていく物語だった。一方で今作では自分がこの先どういう風になるべきかというのが中心にあることは変わらないものの、それだけにとどまらない。野宮は来院する患者たちに寄り添う中で、自分のありたい姿を見出していく。他人を想う中で自身がどう変わっていくべきなのか、展望を常に問い続ける構図になっている。「あたりまえの奇跡」をモチーフにした小説は数多あるが、それを十全に書き切れている小説は少ない。この作品はそれを成し遂げた稀有な作品である。今年ベスト級の一作だ。

『コージーボーイズ、あるいは消えた居酒屋の謎』笛吹太郎(東京創元社)

 本作はいわゆる<黒後家蜘蛛>形式を取ったミステリである。荻窪にあるカフェに集まったコージーボーイズたちが、持ち寄られた謎にうんうん唸っていく。一作一作の内容自体は小粒なのだが、山椒は小粒でもぴりりと辛いともいう。ひとつひとつのキレはもちろん、読了後はそのバラエティの豊かさに驚くことになるのではないだろうか。それというのも、それぞれの短編で伏線の扱い方にばらつきがあるからだ。ある作品では、一つの伏線が推理によってその在り方を変化させる。ある作品では、伏線同士が、意外な結ばれ方をして真相に繋がっていく。はたまたある作品では、真相そのもの自体が物語の見方を変えていく……、と三者三様な作品たちが高い水準で一つにまとまって収録されているのだ。だからこそ、もしベストを選べと言われたら、他より優れた作品が選ばれるのではなく、その人が好きなミステリの型を用いた作品が選ばれるのではないかと思う。お菓子のバラエティパックみたいな、楽しい作品集だ。

『日和ちゃんのお願いは絶対4』岬鷺宮(電撃文庫)

 現代的な淡い感性で変奏された王道セカイ系ラブコメ第4巻。現実の世界がコロナ禍という危機に瀕してもそう簡単には崩壊せず頼もしいしぶとさを見せる一方、日和たちの世界は加速度的に崩壊へと向かっていく。〈セカイ〉の中心に立つ少女と彼女に恋し彼女が恋した少年。眼前に迫った崩壊は彼らの前に徐々にアイロニカルな符号を示していく。既存作と比べてもなお一層漠然とした〈セカイ〉を描く本作だが、そのゆえに鮮烈な彼らの感情が一体どのような結末に至るのか。いま、この瞬間だからこそ「近い過去から分岐した別世界」のような臨場感を持って読める作品だ。恐らく完結は近いのでまだ手に取っていない人には是非にと薦めたい。

『ベストSF2021』(竹書房文庫)

 二〇二〇年に発表されたSF短編の中から珠玉の十一作を選出した傑作選。SFとは言っても「いかにもSF」なハードな作品ばかりではなく、むしろそういう直球から少し外れた変化球が豊富なのが『年刊日本SF傑作選』時代からの特徴だ。今年はそういった傾向が特に顕著であり、エッセイ風の作品からシュールなユーモア小説、ファンタジー、特殊設定ミステリー、ノンフィクション調のものまで、「SF」というジャンルの広さを感じさせる作品が並ぶ。個人的には伴名練「全てのアイドルが老いない世界」が白眉だった。巻末に二〇二一年発表のSF小説リストが載っているのも嬉しい。

<海外文芸>


『死まで139歩』ポール・アルテ(ハヤカワ・ミステリ)

 ポール・アルテファンはもちろん、殊能将之ファンも待望していた一冊であろう。今まで邦訳されたアルテ作品の中で、彼の天然ぶりが一番炸裂した作品であり、そして確かに殊能先生が絶賛したのも分かる気がする仕上がりになっている。シリーズとしてはポケミスから出ていることからも分かる通り、アラン・ツイスト博士シリーズの内の一作。ツイスト博士シリーズが邦訳されたのは2009年の『虎の首』が最後みたいなので、かなり久しい再会だ。さてメインどころの密室状況といえば、なるほど確かにかなり奇妙だ。部屋の中に大量の靴がばらまかれている。その種類はさまざまで、とにかく床を余すことなく一面に靴、靴、靴。靴は埃を被り、部屋に踏み入れた形跡はなし。なのに部屋の中央部に死体が転がっている、という話である。つまり雪密室ならぬ埃密室ということだ。しかし、この作品の一番の持ち味はここではなく、前半の密室が見つかるまでのストーリーテリングにある。それが作者が師と仰ぐカー顔負けの語りになっているのだ。それでぐいぐい読まされた果てに埋まっているのは、天然爆弾なのだから末恐ろしい。もちろん密室はちゃんと紐解かれ、中々に地に足ついたトリックが披露されるのだが、それにしても終盤のあの翻弄のされ方は、中々味わうことのない読書体験だったと思う。読んだ直後は褒めていいのか正直迷ったのだが、噛めば噛むほど味がしてくるというか、とにかく凄い作品だった。

『2034 米中戦争』E・アッカーマン、J・スタヴリディス(二見文庫)

 舞台は僅か十数年後の至近未来。アメリカに真っ向から挑戦するだけの軍事力を実現した中国は、南シナ海の秩序変更へ向けて大胆な一手に打って出る。しかし、イランやロシアの思惑、アメリカ国内世論の沸騰によって事態は中国の想定を超えてエスカレーションしていき、二個米空母打撃群の壊滅という取り返しのつかない段階に至る……。NATOの最高司令官も務めた元米海軍大将の戦略家が、起こり得る最悪のシナリオを小説という形態で示した作品。軍事的な細部や登場人物の心情だけでなく「概念としてのアメリカ」を中心とした現在の国際秩序についての思考も豊富だ。雰囲気抜群のミリタリー・サスペンスの良作として読めるが、昨今の世界情勢から導き出された一つの未来予測としても面白い。 

『スターメイカー』オラフ・ステープルドン(ちくま文庫)

 20世紀のイングランドから飛び立った一人の男の意識は宇宙を駆け、幾万もの文明の興亡と統合、意識の進化と拡大を経験し、やがてこのコスモスの造物主たる〈スターメイカー〉と相対する。神学体系のごとき巨大な思弁が宇宙物理学、空想生物学、文明論などと結びついて空想の大伽藍を打ち立てる。『幼年期の終わり』や『ソラリス』などの「知性」を主題とするSF小説の原点に位置するような作品で、出版から一世紀近く経った今でもその濃密すぎる世界観は全く色褪せていない。『最後にして最初の人類』の方の文庫化も待たれる。

『ガラスの顔』フランシス・ハーディング(東京創元社)

『嘘の木』などで話題を掻っ攫ったフランシス・ハーディングの新作である。<面>と呼ばれる課金性の表情を顔に纏って生活する地下都市カヴェルナに迷い込んだ少女のネヴァフェル。彼女にはカヴェルナに来る以前の記憶がなく、また他人とは違った表情をあらわにする。そんな彼女は、自分の存在理由を探すため保護者のもとを抜け出し、カヴェルナの深奥部へと向かっていく。さまざまな危機に巻き込まれるも、そのたびに彼女は機知を発揮し、ときには人に助けてもらいながら、よりカヴェルナの奥深くへと潜り込んでいく。これは広い視野をもって細部までしっかりと構築された世界を冒険していく重厚なファンタジーであり、ひとりの少女が他者との関わりの中で自分の在り様を見つける青春小説でもある。「自分はここにいる」と、最後にネヴァフェルが掴み取った結末が多くの人に見届けられることを祈る。

『レイン・ドッグズ』エイドリアン・マッキンティ(ハヤカワ・ミステリ文庫)

 ショーン・ダフィシリーズの五作目にして、ダフィの人生にとって大きな転換点が描かれる。内容はといえば、なんと新本格もびっくりの謎が用意されている。四方を大きな城壁に囲まれた城の中庭に横たわった一つの死体。誰にも出入りすることができなかった時間に突如現れたそれは他殺体だと発覚する。つまり、超どでかい密室殺人の話なのである。そんな外連味もありながら、警察小説としてのプロットは流石のもの。シリーズ読者には分かると思うが、もちろんダフィは簡単に捜査をさせてもらえず--というのも、車に乗るたびに爆弾が仕掛けられているか一々チェックするぐらい差し迫った状況なのだ--今回も今回とて命の危機に瀕しながら、謎の解明へと勤しんでいく。といった感じなのだが、やはり新本格大好きっ子としては、密室を検討するシーンがいっぱいあったのが嬉しい。空から死体を落としたのではないかとか、遺体が左右逆に靴を履いていた理由と深く関わっているのではとか、そんなダフィたちの会話に引き込まれていく。巻を重ねることに面白くなっていくシリーズであり、またあのラストがどう繋がっていくのかという意味でも、次作の邦訳が待ち遠しい。

<映像作品>

「キングスマン:ファースト・エージェント」

 とにかく派手、派手、派手な傑作スパイ映画キングスマンの前日譚。スタッフを見ても、予告を見ても、今回も派手で魅力的なガジェットがいっぱい登場するんだろうなとワクワクして劇場へ向かったが、なんとお出しされたのは世界大戦を舞台にした硬派なスパイ映画だった。劇場版名探偵コナンを見に行ったら、スケボーもキック力増強シューズもなし、アクションシーン一切なしで、ゴリゴリの古典館本格ミステリが出てきたといえば、私の困惑は伝わるだろうか。とはいえ、作品としての完成度は前作に劣らない。むしろ今までのキングスマンをチャラついたイメージで敬遠していた人がいれば、そういう人たちこそ是非見に行って欲しいまであるのだ。世界大戦を終わらす、そのためにどう在りし日のキングスマンが暗躍したのかが描かれる。もちろんシリーズファンは必見。キングスマンたちが共有する信念の源流を見に行って欲しい。

「偶然と想像」

 ふと起こってしまった偶然が、日常を非日常へと変容させていく。そんな短編が三つ上映される。特に良かったのは一話目の「魔法(よりもっと不確か)」。偶然発生したワンシチュエーション三つの会話劇のみで、登場人物たちの過去や未来、彼らの好みや性癖その他もろもろまで、見ている人に想像させる素晴らしい一品。現実にありふれているような三角関係を、観客に想像させることで一気に非日常へと飛躍させていく。この一話目のさらに最初の十二分程度、そのタクシーの中での仲のいい二人の会話は、「会話劇」のお手本のよう。技巧的である。他の二つも見事なもので、そうきたかと観客席を唸らせる。教授に復讐するために、彼女にハニートラップを仕掛けてもらおうとする二話目の「扉は開けたままで」では、他人とのズレを気にするヒロインと、既にズレきっている教授との静かなやりとりが面白い。三話目の「もう一度」は偶然によって笑っちゃうようなすれ違いを起こした二人が、互いに心の底に抱えていたものを吐き出していく。上映されている映画館が少ないのがネックだが、それでも足を運ぶ価値のある作品だった。

「ラストナイト・イン・ソーホー」

 サスペンスとしては一級品。カメラワークも素晴らしく、どう結末を迎えるのか、その一点に全集中したかのような疾走感は今年の他の映画を振り切ったといっていい。ただし、扱っているテーマがテーマであり、それをエンタメとして消費しているという指摘も間違ってはおらず、その点だけは手放しで褒めることはできない。ただその一点に目を瞑れば、傑作だったと断言できる。1960年代のソーホーに憧れるヒロイン、エロイーズは念願かなってロンドンのデザイン専門学校に入学する。田舎から出てきた彼女は、ロンドンという闇鍋のような都会に翻弄されながら、ある夢を見る。夢の舞台はまさに六十年代のソーホー。そこにはサンディという歌手を目指す美しい女性がいて、エロイーズはサンディと自身を重ね合わせながら、歌手への道を歩んでいく。ただし徐々にその様子がおかしくなっていくのだ。煌びやかな街は一転して闇に飲み込まれ、エロイーズにとって楽しみだった夢は苦痛の対象へと成り下がる。ただし夢はエロイーズを逃してくれず、ついには彼女の現実にまで影響を及ぼし始め……。観ている気分としては、終わりの分からないジェットコースターだった。なにが起こるのか一切想像もつかない。どう終わるのかも全くわからない。結末は突然で、今までの映像の意味が全て明かされたときには素直に驚いた。抜群のセンスで撮られた作品であることは間違いない。是非観て欲しい一作ではあるが、絶対になんの情報も入れたくないという方以外は、とりあえず1960年代のソーホーがどういう場所だったかという知識を入れていくことをおすすめする。おそらく前提知識として監督はそれを盛り込んだのだと思う。おすすめです。

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