見出し画像

命と自由について。

以前、自由と死について書いた。今回は似たようなテーマだが、『命と自由』について書きたいと思う。

いきなりだが、シンガポール🇸🇬という国をご存知だろうか?そうそう、マーライオンで有名な煌びやかなあの国。

では、その国が、「明るい独裁国家」と呼ばれていることは?

じつのところ、授業で扱われるまで私はその事実を知らなかった。東南アジアの小さな観光国家だと思っていた。しかしその実態は、絶対的な法と政権で国民を統治する、独裁国家だという。

私が尊敬する武道家で思想家の内田樹さんのブログを引用すると、

"シンガポールの「唯一最高の国家目標」は「経済発展」である。政治過程や文化活動などはすべて「経済発展」の手段とされている。労働組合は事実上活動存在しない……学生運動も事実上存在しない。「国内治安法」があって……政府批判勢力は組織的に排除される。……野党候補者を当選させた選挙区に対しては徴税面や公共投資で「罰」が与えられる。新聞テレビラジオなどメディアはほぼすべてが政府系持ち株式会社の支配下にある。"___『日本のシンガポール化について』内田樹の研究室、2013年

なるほど。これだけ聞けば確かに独裁国家だが、この体制でシンガポールは国家経営に成功している。そして、Bloomberg発表の『2019年版外国人が住みたい・働きたい国ランキング』で堂々の第二位だ。2018年には一位に輝いている。

まさに、法家思想を体現させた国である。

"法家思想とは、春秋戦国時代に興った思想の学派の一つをいう。実力競争を是認し、人情や古い道徳を排して、法律によって世を治めよと主張する学派である。漢文では法家思想の大成者として韓非子(??〜前223)を覚えおけばよい。”___『学研 よくわかる漢文』

ここで問われているのは、(金によって守られる)命か(危険を冒して手に入れる)自由、そのどちらを優先するのかという本質なのだろう。これは、今のコロナ禍で揺れる世界への問いかけでもあると思う。独裁体制で国民の自由を縛ることで感染を抑えた(らしい)中国と、国民の自由を優先した結果感染が拡大したアメリカ。そのどちらが良いのか、一概に決めることはできない。

だが私個人では、命よりも自由を重視したい。

「命があるから自由を謳歌できるので、前提である命の方が大切ではないか」という意見もあるだろう。確かにその通りだ、その考えも十分わかる。わかるが、私は共感できない。命があっても自由がない世の中はとても苦しい。自己表現ができず、常に自分は縛られていると感じながら生きることは、死よりも辛い。

"……「つねに政治的正しいことを言い続けている人」はやっぱり疲れる。生き物として無理がある。……非妥協的で、原理主義的な「政治的正しさ」に固執すると、人間の生身がその負荷に耐えられないことがある。……「人間らしく生きるためなら、人間を止めてもいい」というのは、僕にはどう考えても人間的な推論とは思えないのです。"___内田樹『内田樹による内田樹』、140B、2013年、36〜39頁

うーむ、尊敬する内田先生の考えとは正反対かもしれない。彼は、命よりもまずは生きること、が人間的だと言っている気がする。だが、私はそれでも良い。

現代が、韓非子の生きた弱肉強食の戦国時代ではないから、命が当たり前に保証する社会に生きているから、このような考えができるのだと思う。そしてそれを理解した上で、それでも私にとっては自由の方が大切だと断言したい。

人々の自由や欲望を際限なく解放すれば、社会は崩壊する。それは防ぐべきだろう。だが、考える能力をもった人間の、その思考する自由やそれを発信する自由を縛ることは、極論だが自然の秩序に反すると思う。

『官を侵すの害』という漢文がある。これは冷たく人情を一切否定した究極の法の話だが、そのような世の中では人々には自由や、そこから生まれる余裕がないから、新しいものも創造できないし人々は幸せにはなれないだろう。



5/25/20(5/16/20) Montag/あかつき冬丸/

***写真は、シンガポールではないが、三年前のカンボジア旅行での一場面。これは見切れているが、山中の滝で地元民たちが水浴びをしていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?