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なぜ私は、ニューボーンフォトの専門カメラマンになろうと思ったのかVol.1


おはようございます。きたじまかほ( https://www.instagram.com/kitazimakaro/ )です。

今日は私がなぜニューボーンフォト専門のカメラマンになろうと思ったのか書いていこうと思います。きっかけは2つあり、今回は1つ目のきっかけを書いていきます。


私は小さい頃から、【みんなと違うこと】がしたいなぁと心のどこかで思っていました。なので、学生時代は変わってるね。と言われることが、私の中ではすごい褒め言葉でした。

私の小中学校は、田舎だったためクラスは10人のみ。皆、地元の高校へ行く流れが一般的でした。でも私は、なんとなく、、みんなと同じ高校には行きたくないなぁと思っていたのです。


何か違う学校へ行く理由を探すために、ネットサーフィンをしていたところ、

「看護師になるための5年間の高校専門学校」というものを見つけました。

もともと母親より、「女の人は手に職をつけなさい。一人でも食いっぱぐれないように。」と言われていたこともあり

【看護師】という職業は最適だし、親もきっと反対せず応援してくれるはず。と思い両親に相談。もちろん、OKをもらい受験勉強をスタートしました。

なんとか推薦で合格することが出来、晴れて5年間の学生生活が始まりました。

看護師になりたい理由は特にないまま、入学したため少し他の生徒と温度差は感じていました。でも勉強すること自体は嫌いじゃなかったので、なんとか試験や実習、国家試験もクリアすることが出来、看護師資格取得。


就職活動では、まずは東京で働くことが一番の目標でした。

とにかく都会で暮らすことに憧れがあったのです。

特に働きたい科とかはなかったので、

給料・ボーナスが良いところ、寮があるところ

を条件に探し、就職活動しました。東京都内で上位に入るくらいのボーナスが出る大学病院へ就職が決まりました。


入社式にて配属される科が発表されました。

「NICU」

????

最初は何科なのさえわからない状況。

同じく配属された同期に聞くと、新生児の集中治療室らしい。

ほー。。


学生時代に勉強したことがない疾患ばかりで一からの勉強。

新生児黄疸、新生児一過性多呼吸、呼吸窮迫症候群、胎便吸引症候群、低血糖、21トリソミー、18トリソミー、超低出生体重児、、、、、、


様々な赤ちゃんを看護してきました。

その中でも私は、510gで生まれた赤ちゃんの担当看護師になりました。

そのママと交換ノートを始めたのが、ニューボーンフォトへの最初のきっかけだったのかなぁと今は思います。

ママが面会に来れない夜中の出来事や、今日頑張った検査、採血、お風呂に入ったよ、ミルクの量が増えたよ、等

赤ちゃんにあった出来事をママとの交換ノートに記載するということをしていました。赤ちゃんの写真や、体重カレンダーを作ったり、、時々ママからのメッセージがあったり、など

そこで赤ちゃんの写真を撮ることがすごく楽しい

と思うようになったのが1つのきっかけです。

何より、写真を見てママとパパがすごく喜んでいることがわかったのが1番嬉しく、やりがいを感じていました。


つづく




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