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「神秘的なことは馴染み深いところで起きる」『永遠のソール・ライター展』に行ってきた

83歳にして「衝撃の世界デビュー」を飾った写真家ソール・ライター(1923-2013)の全貌を明らかにする展覧会に行きました。2005年出版の写真集『Early Color』の反響で注目されたソール・ライターは、没後創立されたソール・ライター財団によって遺作が整理されています。

写真を撮ることは生きること

「カラー写真の先駆者」、「ファッション誌の表紙写真の第一人者」「伝説の写真家」という位置づけの多いソール・ライター。しかし、今回の美術展を観ての僕の感想はちょっと違いました。

ニューヨークの、それも生活圏内を中心に写真を撮りつづけた。
積極的に作品を売ることをせずに過ごしてきた。
ビジネスや政治などに関心を示さない一生だった。

そんなソール・ライターにとって写真を撮ることは生きることでしかなかったようです。これらのエピソードはいずれも、写真で名声を得ようという色気をまったく感じさせませんね。

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1950年代ファッション誌の表紙を飾るなど一線で活躍したソール・ライターは、その後一線を退き、ふたたび生活圏内の写真を撮る生活に戻ります。再び脚光を浴びるのは、80歳を過ぎた晩年『Early Color』の出版によってでした。

有名になった後もライターの生活は何も変わらなかった。カメラを持って散歩、コーヒーを買って、帰宅したら愛猫レモンの世話。世間になびかず、また、有名になることと関係なく、自分の“美”をマイペースに追い続けたソール・ライター。(美術手帖)

彼にとって、生きることは写真を撮ること、息をするようにシャッターを押していたに違いありません。

心のある写真

「生活圏内で写真を撮る」以外に彼の写真の特徴として、「違和感を撮る」ことにあったように思います。

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日常の中に潜む違和感。それを見つめることで見えてくる神秘。その神秘を被写体にシャッターを切る。彼の人生はそんな活動の連続だったに違いありません。

ポリーヌ: なかでも、ソール・ライターの作品には、日本語でいう「心」が、重要だったんじゃないかと思っています。
── 心。
ポリーヌ: はい、そうです。英語でもフランス語でも、「頭」と「感情」はそれぞれ、別の言葉で表現するんですけど、日本語の「心」というのは、頭でとらえたものと、感情でとらえたものが混じり合っている、そういうものだと、理解しています。(ほぼ日引用)

この記事にもあるように、ライターが撮り続けた写真には、写真を対象物や構図としてみるのではなく、それらに対して寄り添う「心」、違和感や神秘を切り取るものだったのです。

インスタ映えの時代に

翻って今日、人々のほとんどが片手にスマホカメラを持ち、写真を撮る時代となりました。「インスタ映え」に象徴されるように、ネットで話題となる写真のほとんどはそのインパクトと話題性に依るものです。

帰り道、現代の東京、渋谷だったら、ソール・ライターだったらどんな写真を撮るだろう?なんて考えていたら、やはりそんなことを考えていた方noteがありました。

みなさん写真スキルが高くて素敵な写真ばかりですね。僕はスマホでなんとなーく撮るだけなのですが、それでも「日常に潜む違和感」を大切に写真を撮ってみたいと思いました。またお会いしたいですね、ライターさん。

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