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アイデンティティの告白 【前編】

①俯瞰の始まり age:2~3

古びたビデオのようにぼんやりとした発色の強い記憶。
ゴミ捨て場がある。その奥は崖になっていて、近寄ってはいけない。
そのゴミ捨て場で遊んでいた僕は、塀の横の狭い道を通って崖を下りようと試みる。それを、家族が止めた。僕は、僕と家族のコミュニケーションを、一瞬、俯瞰的に捉えた。”誰か”が、別の”誰か”を注意し、動きを止めた。
僕が出来事を記憶したというより、記憶の映像記録を僕が見たという感じ。
それが、あの地に居たときの唯一の記憶である。

②ごめんね age:4~5

たかひろくんと遊んでいた。
幼いながらに、勇気を競っていた。どちらがより高いところに登れるか。
どちらがより高いところからジャンプできるか。
たかひろくんは大股で上がれる段差を2段上がり、150cm弱の段差から飛び降りた。僕にはその勇気なく、その段まで上がることは上がるのだが飛び降りれずに躊躇していた。
「いけるよ」と、たかひろくんが僕の背中を押した。
僕はバランスを崩し、頭からアスファルトの地面に落下する。
救急車が来た。親が、僕に乗れと言っている。たかひろくんは、ごめんねごめんねと言っている。ごめんねというたかひろくんがかわいそうだった。
この赤いのは、額から流れている血である。ひとつひとつ、成育過程の知能で整理していく。僕の額から流れている血である。これは救急車。
僕は頭を結構縫ったらしい。

③自己喪失 age:12

昼までの学校を終え、帰宅後友人の家に遊びに行った。
友人通しで順番に通信ケーブルを使って対戦をし、
ゲームで盛り上がっていた。
その時、何かの拍子で僕は友人と頭を強くぶつけた。
ふと、ここはどこだと思った。僕は何をしているのか。
今思えば軽い脳震盪を起こしていたのかもしれない。意識を失うことは
なかったが、一瞬目の前の風景がぼんやりと見えた。現実感を失った。
手元のゲーム機のBGMが流れている。友人の家の匂いがする。
目の前に友人たちが居る。僕は急に、目の前の景色や文脈を理解できなくなっていた。
「記憶喪失にでもなったんじゃねえの」と友人が言った。
その瞬間、僕がいつも考えていたあらゆる恐怖や未知が脳内を駆け巡った。
記憶喪失、植物人間、幽霊、生と死、死後の世界、物語・空想の世界。
僕がいつも途中で考えられなくなっていた、あるいは、考えるのをやめていた事柄。
僕は、自分が自分であるという感覚、現実感を失ったまま何かを理解した。
僕には僕が誰だかわからないということを、理解してしまったのだ。
僕は当たり前に自分が生まれ、これまで生きてきたのだと思っていた。
当たり前に僕は存在し、当たり前に未来が続いていくのだと思っていた。
それらは、すべて間違いだった。当たり前なんかじゃない。
まだ、目の前の景色がぼんやり見える。
「自分が自分じゃないって感じがする。よくわからない、ちょっとやばい」
そんなことを言って、僕は午後3時に帰った。
いつもは6時ぐらいまで遊んでいるのに、方面が一緒の友人も付き添いとして嫌々一緒に帰ってくれた。
僕は僕がわからなくなった。僕を僕足らしめていた土台がなくなるどころか、これまでの僕自身が消え去ってしまった。
何をしてても、「僕は誰だ、なぜここにいる」という感覚が常にある。
これは映画か夢だと思ったが、僕の手はここにあるし、思い思いに物に触れることができる。家に着いたら、母親はテレビを見ていて、じき夕飯の支度を始めた。犬は寝ている。

学校に行ってもだめだった。なんとか自分でこの発作のような感覚を抑えるが、自分の意志に関係なく突然この自己喪失の感覚に襲われる。
ある時、この感覚に堪えられず、放課の間ずっと机に顔を伏せていた。体は火照り、不安から少し涙も出ていた。授業が始まると、僕は担任に保健室へ連れられた。
「どうしたんだ、気持ちが悪いか。頭が痛いか。」
「いや、わからないです。ただ死ぬのがこわくて、ずっとそれを考えてしまうんです。テレビで死後のやつとか見たし」
「誰でも死ぬのはこわい。先生もこわい。おまえは考えすぎだな」
力強く生きている担任に、この感覚が伝えられるとは思わなかった。
わざと解釈しやすいように、型にはまるような話し方をした。
保健室に入り、ベッドに座る。
事務の先生が来て、保健の先生がもうすぐ来るという。
保健の先生が来て、担任に話した時よりも脳をフル回転させて、出来るだけ考えていることを正確に伝えようと言葉を選んで話す。
「体調は何ともないんです。この前頭を打ったときに、生きてることとか、死ぬこととか……記憶喪失になったらどんな感じになるのか……わからないものを考えるようになって、現実感がないんです……考えても考えても何もわからない。なんで今ここにいるのか、死んだらどうなるのか」
「そう……えらいね、そういうことを考えられるっていうのはすごいと思うよ」
先生はポカリスエットをコップに注いで出してくれた。
親身に話しを聞いてくれて少し不安は紛れたが、無くなった訳ではない。発作的にあの状態になってしまう。
僕は、恥ずかしい話だが、こういう状態になってから親と一緒の部屋で寝るようになった。12歳にして、である。小学校入学からしばらくして自分の部屋が出来てずっと一人で寝ていたのだが、生死の不安から毎日寝れなくなってしまったのだ。自分の心音を感じることすらこわかった。それが、今わからないところの生きている証そのものだからだ。

親も、僕を知恵熱だと言った。考え過ぎだと。
この状態で、僕は小学校を卒業し、中学校に入学する。環境がどんどん変わっていくが、あの発作が止むことはなかった。ゲームのプレイ中だったらゲームを切る。漫画を読んでいたら本を閉じる。卒業式の練習中にも毎回なった。静寂の瞬間や、卒業生の歌で自分が歌っているときにもなる。体育館の天井を見つめ、幾重にも重なる支柱を見て忘れようとする。

家族、親戚、友人の家族らを見て信じていた、あたたかく確かに続く、当たり前の未来など存在しないとわかった。僕の空想に過ぎなかった。
僕は、1度死んでしまった。

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