見出し画像

【翻訳記事】なぜ格闘ゲームは難しいのか?

2022年8月6日より、格闘ゲームの祭典、”EVO”ことThe Evolution Championship Seriesが開催された。ここ数年、コロナ禍や主催者の不祥事などでドル円相場並に先行きが不安だったEVOだが、なんやかんやで今年はいつものラスベガス・マンダレイベイでオフラインイベントが無事に開催される運びになった。いち格ゲーファンとしては嬉しい限りだ。

というわけで、今回の記事ではEVO2022開催に寄せて、ある動画について注釈を交えつつ翻訳して紹介したい。この動画は、格ゲーに触れたことのない人の多くに共通する疑問や固定観念について考察したものだ。すなわち、『格ゲーって難しいんでしょ?』という問いについて。

分析:なぜ格闘ゲームは難しいのか?

格闘ゲームについていつも言われていることといえば、難しいゲームだということだ。これはしばしば、格ゲーを遊ぶ人が増えないことの理由付けにされる。けれど、私が思うに、初心者が勝てないこと自体は問題ではない。

私が従兄弟に『ウルトラストリートファイター4』の遊び方を2分だけ教えてから、CPU設定を最強にして遊ばせてみたときのことだ。彼は初プレイで10分もしないうちに、何度もパーフェクト勝ちを決めてアーケードモードをクリアしてしまった。ウル4はとてもイージーなゲームだと彼は思っていた。

……実のところ、従兄弟はザンギエフのダブルラリアットでCPUをハメているだけだった。それでは、ウル4の楽しさはほとんど味わえないに決まっているだろう。それに、CPUを倒したところで、インスタントラーメンを作る程度の満足感しか得られない。彼には人間の対戦相手が必要だった。格闘ゲームで対戦するには二人いなければ始まらない、そうだろう?

ダブラリ擦ってりゃ勝てるゲーム?

なので、私はガールフレンドにも2分だけ遊び方を教え、従兄弟と対戦させてみた。彼は再び勝利した……けれど、達成感はなかった。結局、彼はダブラリを擦り続けていたのだから。

この光景はひどく馬鹿げて見えるかもしれない。ここで私が言いたいのは、”格闘ゲームは難しい”という場合、それは実際には”格闘ゲームを楽しめるレベルまで上達するのが難しい”ことを意味しているということだ。勝つのが難しいということは必ずしも意味してはいない。

格闘ゲームを楽しめるレベルまで上達するのが難しいのであれば、いったい何が難しくさせているのだろうか?それに対してどういう手を打てるだろう?

コマンド入力について

真っ先に言われるのは、コマンド入力についてだ。実際、必殺技であれコンボであれ、コマンドの入力は非常に難しくなることがある。60fpsで動作する格闘ゲームの場合、しばしば”1フレーム目押し”と呼ばれる概念が登場する。これは、コンボを繋げる猶予が1/60秒しか存在しないという意味だ。

世界最強のプレイヤーでさえ、この目押しをいつも完璧にこなせるわけではないし、目押しミスが試合の敗北に繋がることもある。1フレ目押しは非常に難易度が高かったので、『ストリートファイター5』のような新しめのゲームでは、この猶予は最短でも3フレームとなった。ミュージシャンの視聴者に分かるように言うと、150bpmにおける32分音符と同じ長さだ。

猶予が長くなったおかげでコンボはずっとやりやすくなったし、練習ばかりする必要もなくなった。これで、ほとんどの人がコンボを決められるようになったはずだ。これは素晴らしい……だろうか?

個人的には、上達に必須でない限り、1フレ目押しはあってもいいと思う。例えば、バスケットボールで3ポイントシュートを決めるのは難しい。けれど、シャキール・オニールはNBAの歴史上で3ポイントを決めた回数がもっとも少ないながらも、今も伝説的な選手のままだ。一方で、難しすぎるからという理由で3ポイントシュートを廃止したら、名場面が失われてしまうことだろう。

3ポイントラインのないコートは寂しい

ゲームの上達に必要でなければ、コマンド入力の難しさ自体は問題にならないと思う。ここでは、リュウの鳩尾砕き(通称”大ゴス”)を例に取ってみよう。大ゴス始動で最も簡単なコンボは、入力猶予が長い昇龍拳を連打して繋ぐものだ。しかし、ダメージを増やしたいなら、1フレ目押しを繋いでコンボを伸ばすこともできる。

ここで重要なのは、プレイヤーは”簡単なコンボと難しいコンボを選べる”ということだ。ウメハラならほとんどの場面で難しいコンボを選ぶが、アレックス・ヴァイエはそこまでしない。けれど、どちらも素晴らしいプレイヤーである。私は1フレ目押しをやるのは嫌いだけれど、それが選択肢として存在しているのは好きだ。

それでは、初心者参入を阻むハードルの高さを決定づける、根本的な要因についてはどうだろうか?つまり、必殺技やガードや投げといった、ほとんどの格闘ゲームに共通する要素の難しさについてだ。これの解決に関しては、2つのアプローチがあるはずだ。

シンプル化の試み

1つめの方法は、コマンドの入力をシンプルにすることだ。

かつて存在したPC向けの基本無料格闘ゲーム『Rising Thunder』では、あらゆる必殺技がボタンひとつで出せるようになっていた。しかし、初心者を助けるアイデアとして私が気に入ったのはそれではなく、”キネティック・アドバンス”という上級者向けの攻撃キャンセルシステムと、よりシンプルな”キネティック・ディフレクト”を選ぶことができた点だ。キネティック・ディフレクトを選ぶと、ボタンを2つ同時押しするだけで初心者でも簡単に相手のコンボから抜け出し、自キャラが10秒近く殴られ続けるのを見るだけというストレスから逃れることができる。

私の友人の一部がRising Thunderにハマったのは間違いなくこのシステムのおかげだ。しかし、当て投げ(打撃技をガードさせた直後に投げ技を使うことで相手のガードを崩す、見切りにくいテクニック)や飛び道具連射といった古典的な小細工にフラストレーションを感じるプレイヤーは数多かったことについては指摘しておく。

教育の重要性

新規プレイヤーを引き込む方法の1つはコマンド入力のシンプル化であり、もう1つは”教育”だ。しかし、これはこれで、多くのアプローチを含む巨大なトピックとなる。

個人的には、明快な解説の付いた高品質な動画は大きな助けになると考えている。ありがたいことに、今や、こうした動画はこれまでになくたくさん公開されている。私が見た動画のほとんどはそのゲームのファンにより作られたものだった。こうしたファンメイドのコンテンツはどれも素晴らしいし、ゲーム会社が作ってくれる、作品のチュートリアルモードに繋がる公式動画を見るのも好きだ。

チュートリアルモードといえば、YouTube番組"Extra Credits"がチュートリアルのシステムの改善について言及し、一人プレイモードを用いた興味深いアイデアを披露していた。

プレイヤーにゲームシステムの使い方をよりよく理解させるためのやり方は色々ある。例えば、無敵技について説明するときはゲームがスローモーションになり、大きな文字で『無敵技のチャンス!』と画面に表示されるというようなやり方とかね。

Dan

初心者にとって格闘ゲームを楽しむのがとても難しい最大の理由について、Extra Creditsは意図せず示唆していたように思う。

認識すべきなのは、真の格闘ゲームを経験できるレベルまで辿り着けるようにもっと手助けしない限り、プレイヤーになりうる観客が実際に格闘ゲームを手に取ることは決してないだろうということだ。

Dan

この、”ゲーム会社はもっと手助けしたほうがいいぜ、さもないと売れないぞ”というメンタリティは、ハイレベルなプレイができるようになるかはあくまでプレイヤー次第であり、決してゲーム会社にあるわけではないということを理解できていない。というのも、カプコンはチュートリアルもなければトレーニングモードすらない『ストリートファイター2』で35億ドル(インフレ調整済み)もの売上を記録しているからだ。

格闘ゲームは知識量比べというドン詰まりから抜け出さなくちゃいけない。その代わり、初心者を”ボタン連打マン”から卒業させて、格闘ゲームが提示する問題を通じて考えることのできるプレイヤーにする必要がある。僕が提案しているのは、競争の重圧や他者を気にしないで済む最強の安全地帯である一人プレイモードはそのための最適な場所だってことだ。

Dan

本当に難しいのはゲームそのものではない

チュートリアルのためのツールをゲーム内に搭載することには大賛成だ。しかし、一人プレイモードで多肢選択式クイズをこなしたところで実際に上達することはないだろう。そこはゲーム中で最強の安全地帯なのだから。

格闘ゲームにおいて、達成感を得られるような高いレベルまで上達するのが非常に難しいのは、プレイヤーが自分のコンフォートゾーンから出て対人戦で何度も繰り返しボコボコにされなければいけないからだ。

プレイヤーは一対一で戦うゲームをプレイし、画面に映るキャラクターの一人を操る。プレイヤーがガードに失敗すればこのキャラクターは苦痛の叫びを上げるが、誰も助けてはくれない。セーブやロードなど存在しないし、責任を分かち合うチームメイトもいない。そして試合に負けたとき、ゲームはプレイヤーに向けてデカデカと"YOU LOSE"のメッセージを表示し、大声でそれをアナウンスしてくる。『モータルコンバット』では、自分のキャラクターの恐ろしい死に様フェイタリティをご褒美として見せつけられる。それもこれも、プレイヤーが己を守ることに失敗したからだ。

格闘ゲームを上達するためには、負け試合のリプレイをまるごと見返して、何を間違えたのかを確認しなければならない。格ゲー上達の旅路では、現実の人間に敗北を煽られ、勝利を憎まれ、格ゲーやめろと言われることもある。遅かれ早かれ、クソガキに挑発された上にパーフェクト勝ちを決められることもあるだろう。それに感情的なリアクションを取ってしまったとき、90年代に酒屋のスト2で鍛えられたナイフ傷の古強者にこう言われる、”メソメソすんな”と……。

ちょっと話を盛りすぎた。重要なのは、ゲームのシンプル化やチュートリアルの充実をしたところで、こうした辛い出来事は防ぎようがないという点だ。この観点からすると、格闘ゲームにハマるのが非常に難しいというのも無理からぬ話だ。”あったまる”のはいい気分ではないけれど、転ばずにスケートボードを学べないのと同様に、これは避けられない。

あったまってこその格ゲー

それでも格ゲーは素晴らしい

今、こうして書き立てたのは、格闘ゲームのとても残酷な部分についてだ。私が言いたいのは、それでもなお、格闘ゲームの長所は短所をきっと上回っているということだ。そして、しかるべき試合での勝利はそれまで感じ続けてきた鬱憤をまるごと晴らしてくれるし、その勝利は誇るべきものになるということだ。

格闘ゲームで”レベルアップ”するとき、プレイを向上させる要素は巨大ゲームパブリッシャーの運営するサーバーなどではなく、己自身の脳に蓄えられていく。これまで勝てなかったり、負かされると思っていた相手に勝つのには唯一無二の達成感がある。実際、しかるべき時にしかるべき相手を倒すことこそが、格闘ゲームキャリアの始まりとなるのだ。少なくとも、誰々を倒した某という名声が得られるのだから。

格ゲーの試合は決着が早いので、番狂わせや逆転が起きる可能性が高い。だから、それが起こったときにはすさまじい熱狂が巻き起こる。けれど、それには代償もある。熱狂が起こる瞬間、そこにはひどく機嫌を悪くする人が同時に生まれてしまうのだ。哲学的な言い方をするならば、そこには陰陽イン・ヤンが形作られるというわけだ。

こいつらはユン・ヤン

上達のための学びには、時にウンザリさせられることもある。それもまた旅路の一部だ。とはいえ、私がこれまで会ったプレイヤーの大多数は、オンラインでも対面でも、本当に親切な人ばかりだった。時には、初心者に遊び方を教えるために戦うプレイヤーに出会うこともあるだろう。彼らは、バカバカしいほどに闘争心の強いこのコミュニティにおいて、とてもありがたい存在だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?