君と夏が、鉄塔の上 大人の読書感想文 私の場合。

「鉄塔は家系図みたいなものなんだ」
本作に何度か出て来るこの言葉に、私の心がグっと抉られる。
自分の手を、少し苦しく感じた場所に当てて、大きく息を吸い込む。
グッとしたその場所が、鼓動を刻んでいる事を感じてから、
本をパタンと閉じて、一度心を落ち着けかせる。
私はそれを何度か繰り返した。
そうしないと読み続ける事が出来なかったから。


主人公の伊達は、鉄塔が好きな地味目な中学3年生。マイナーな趣味を持つ彼は、中学最後の夏休みを、特に何の予定もなく過ごすはずだった。そんな伊達の夏休みを、大きく変える人物が現れる。美人だが、最近奇行が目立つ同級生、帆月という女の子だ。以前までは友達も多く、活発な女子生徒という印象があった帆月だが、羽根つき自転車で校舎の屋上から飛ぼうとしてみたり、部活を転々とかえてみたりと、近頃は様子が変だ。そんな彼女が、不思議な事を言い始める。「鉄塔の上に男の子が座っている」、と。伊達は何の事やら、と思いつつも、帆月はお構いなしに、伊達を謎解きへと巻き込んで行く。その謎解きに、もう1人、巻き込まれていくのが比奈山だ。お化けが見えると噂される男の子で、その事がキッカケなのか最近は学校にあまり来れていない。

主人公の伊達は、序盤は嫌々ながらという姿勢を保ちつつ、帆月の謎解きに付き合っている様子だった。その一方で、鉄塔の男の子が見える帆月、お化けが見える比奈山に対して、何も見える訳ではない、特別な事が出来る訳でもない自分に、少なからず劣等感を感じている様子が伺える。帆月と比奈山が2人で話し込んでいる様子を見ると、疎外感さえ感じるほどだ。

夏休みが少し進むと、帆月の奇行にも「忘れられたくない」という理由がある事や、比奈山の家族に続く隔世遺伝の話など、お互いの知らなかった部分を学び、成長していく。そして3人の関係性も少しずつ変化する。暑い夏の空の下、何度も94号鉄塔に集まり、時には建設途中の建物に忍び込んだり、自転車を改造したり、沢山の会話を交わしていく。
伊達の中学最後の予定のなかった夏休みが、あっという間に輝いていくのが目に取れる。
蝉が五月蝿く鳴く様や、ぷかぷかと浮かぶ白い雲、水筒の麦茶に溶けかけの氷、温い水羊羹、汗がつたって枝分かれに濡れる髪の様子など、繊細な夏の描写も、この物語の眩しさを増していく。まるで、自分も中学3年生の頃に戻って、夏を感じているかのようだ。
夏休み終盤には、ついに、鉄塔の男の子の謎へと近づいていくのだ。
そして、私は、伊達こそが誰よりも特別な力がある事を目撃する。だって彼は、空まで飛べてしまうほどの、強い想いを爆発させるのだから。

そう、そんな成長していく少年少女の姿を描く、爽やかな夏の青春物語が本作だ。なのに、どうして私の気持ちは、一緒に爽やかな気持ちになれないのだろう。

この物語には、私がなるべく気づかないようにしている、蓋をしている感情を、突いて引っ張り出そうとする言葉達で溢れているのだ。

「人類は平等ではないのか!」と大げさに叫ぶ、伊達の友達、木島。
「忘れられたくない、忘れられたら死んじゃうのと同じ」、と言う帆月の言葉もそうだ。

登場する人間達だけではない。
鉄塔を筆頭にし、色々な物にも命がある、そう見えてしょうがなくなる。
まるで、それら全てを私たち人間に見立てているかの様に。

「忘れられた時、街は死ぬ」と、今ある建物を地図におこし、後輩へと遺そうとする地理歴史部。
「鉄塔の流れが家系図に見える」という伊達の表現や、鉄塔の役割、送電線の話。
鉄塔の赤いランプが呼吸をするように点滅している様や、
役目を終え、送電線が外され、解体されるのを待っている93号鉄塔の姿。
忘れられる事を受け入れるかの様に、送電線を辿り川へと向かう物の“記憶”達。
これらが、物質の話をしているのか、生きている何かの話をしているのかも、私は分からなくなっていた。
帆月が、その記憶達のパレードを見て何を感じたのか分からないけれど、
直後、彼女の大きな行動を推し量るに、感情が強く揺さぶられた事は間違いない。
きっと、自分とその記憶達が、どうしてもシンクロしたのだろう。

私も一度、ここでパタンと本を閉じた。

これらの描写が、鉄塔にも生命を与えていく。
伊達が表現していた通りに、鉄塔が、家系図の中での人を表しているのならば、送電線で繋がる先の鉄塔は、子孫という事になる。彼は、送電線の先へと電気を送るのが鉄塔の役目だとも表現していた。送電線はさながら、鉄塔たち、そして、私達人間が“生きて来た証”のようだ。そう考えた時、私の家系図は、ここで終わってしまう。送電線を張る事も、次へと繋げてあげる事も出来ない。電気を次へと送ってあげる、という役目を果たす事が出来ないのだ。
自分の“生きた証”を、残す事が出来ない、そんな鉄塔が、私だ。

ここで木島の様に、「人類は平等ではないのか!」と私も大げさに叫んでおこう。私がなるべく気づかないようにしている感情が、きっとこれなんだから。

だから、私は、何度か本を閉じたんだ。

私も、あの頃は、それが当然だと思っていた。
彼らと同じ年の頃は、信じて疑わなかった。
若さゆえなのかは分からないけど、未来を信じて疑わなかった。
当然、“そう”なるんだと考えていたし、希望しかなかった。
本作の中でも、伊達と比奈山が話している。
「俺の場合、普通の鉄塔と変な形の鉄塔が交互に続いて行くんだろうな」と。自分の能力が隔世遺伝で後世に遺っていくという、それが当然なのだと話しているその姿に、昔の自分を思い起こす。

あれから、月日が流れ、大人になり、だからこそこじれた今の自分は、
その時の想像からはかけ離れている形をしている。
この夏、少しだけ気づきたくないこの気持ちに、目を向けさせてくれた本作を読み切り、その後はやっぱり、私は気持ちに蓋をする。木島の様に、大声で叫びたいあの一言は、人前では決して言わない。それでも、私は鉄塔の様にしっかり立ってみようと、そういう気持ちにさせてくれた。送電線は流れていない。でも赤いランプは、ちゃんと点滅している。まだ、呼吸をしているんだから。顔面の片方からしか出なくなった汗を垂れ流し、片方の髪だけに枝分かれをつくる。大人になった自分は、思いがけない姿をしていたけれど、それでもこの夏、凛と生きてみようか。あと何回、夏を迎えられるかなんて、誰にも分からない。だからこそ。凛と。

もしかしたら、この滑稽な姿を見上げてくれる物好きもいるかもしれないんだから。伊達や、帆月や、比奈山の様に。

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