書くことに迷ったら歌論を読もう!鴨長明のnoteマガジン『無名抄』を
歌論、和歌を論じた文と聞くと、多くの人が「むずかしそう」と思うでしょう。実際、古文を勉強している人に「歌論の問題をやってみようか?」というと、たいてい反応がよくありません。受験のために古文を学んでいる人は、だいたい和歌が苦手。まして、それの評論なんて……というわけです。
そこでおすすめなのが『無名抄』。これ、鴨長明のnoteのマガジンですよ。
和歌をまじめに論じた章もありますが、さまざまな歌人のエピソードや、自嘲しながらの自画自賛話など、硬軟バラエティーに富んでいます。どの章も短くて、すぐ読める! どこから読んでも楽しめます。
鴨長明は下鴨神社の祢宜の家に生まれ、和歌の才能もあったので、要領よく生きていれば華やかな生涯を送れたはず。ところが実際は、五十代半ばで「♪家族もねぇ 職場もねぇ 俺ら田舎さ行くだ 半径5メートルで暮らすんだ あーほうじょう(方丈)」という境遇になってしまいます。
そうでありつつ俗世間に未練たっぷりだったようで、『無名抄』に著名な歌人たちの失敗談を嬉々として(?)取りあげています。
たとえば、「無明の酒」という言葉があります。
無明は真理に対する無知。煩悩の根源です。
「無明の酒」は無明が人の本心をくらますことを酒にたとえた言葉。
それを……
訳:九条殿兼実公がまだ右大臣と申した時、人々に百首和歌をお詠ませになることがございました。その際、立派な歌人たちが間違ったことを詠んでしまい、人々にあだ名を付けられなさってしまったのです。後徳大寺左大臣実定公は無明の酒を「名もなき酒」とお詠みになられたので皆に「名なしの大将」と言われ……
また、富士に鳴沢というところがありますが、それを……
意訳:五条三位入道俊成は和歌の道の長老でいらっしゃいます。そうであるのに、富士の鳴沢を「富士のなるさ」と詠んで、人々に「なるさの入道、名なしの大将」と、まるで実定公とコンビを組んでいるかのように笑われなさったので、歌道にとってはじつに残念なことでございました。
超偉い左大臣実定や、定家の父で千載集(八つの勅撰和歌集、八代集の一つ)の撰者にもなる俊成のちょっとした言い間違いをあげつらい、さらに……
訳:お二人とも、これくらいのことをご存じないはずはないでありましょうに……きっと勘違いをなさってしまったのだなぁ。
嫌味たっぷりな印象です。
ちなみに九条殿兼実公は九条家の祖で、『鎌倉殿の13人』ではココリコ田中さんが演じます。
『無名抄』のこの章を読んでいたら、「実定、俊成、アウト~」と、『笑ってはいけない』の声が聞こえてきました。
鴨長明はこんなことを書いておきながら、この後の章で、
訳:千載和歌集には私の歌が一首入りました。……一首でも入ったことはたいそう名誉なことであると喜んでおりました……
心の丈をわりと素直に打ち明けていて、共感できます。鴨長明は『方丈記』の冒頭だけの人ではないのです。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にはあらず」しか知らないと、悟った人のようにも思われる鴨長明。『無名抄』では、こだわったり、こじらせたり、照れたり、ほくそえんだりしている、いとおしい姿を見せてくれます。
有名人でもないのに、ネットの大河に雫のような文章を垂らしていると、「淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし」と思えてきて、キーを打つ指が止まってしまう時もあります。
そんな時、俗世間や自分自身に醒めながら酔っているような『無名抄』を読むと、「三大随筆の作者だって、生身の人間だよねぇ」と、私は勝手に失礼なことを感じて、書くことに戻れます。
文庫でも手に入る『無名抄』。
「最近、どうも書けなくて」という時、ページを繰れば、薬になってくれるかもしれません。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?