何者かになりたかったあの日と何者にもなれていない今日

(こちらは2016年11月に書いたものです。別ブログから転載。)


先週、「SCOOP!」を見て来ました。


大根仁監督の作品が大好きなので、こちらも無条件に楽しみにしていました。
見終わった感想。

…あああ熱い!!!!

熱かった。予想以上に熱かった。
終盤になるにつれて次第に自分の中からも熱い感情がこみ上げてきて、終わりの方は目から溢れてくる熱い汗がずっと頬を伝っていた。

正直、見るまでは福山雅治の色気で押し切る気なんじゃないかと斜めに構えていた自分もいた。
ごめんなさい。色眼鏡で見てしまってごめんなさい。
今回も最高でした。


(以下、若干ネタバレ含みます。)


映画の中で一番印象的だったのは、終盤にさしかかるところ。
福山雅治演じる都城静が、中学生の頃に影響を受けたらしいロバート・キャパの写真集を眺めながらつぶやいた一言。

「結局俺は何者にもなれなかった」

「でも俺には写真しかないのかもな」

確かこんな感じの一言だったと思う。

何者にもなれなかった人が、自分にはこれしかないってすがり続ける。
端から見たらものすごく滑稽かもしれない。
でも私もどちらかといえばその類いの人間なので、その思いがとても切なくて痛かった。

十代の頃、デザインやイラストの世界に生きたい!と強く思ってから、
何だかんだと「やっぱり私にはデザインしかないかも」とこの世界に居座り続けている。
十年弱この仕事をさせていただけているのは本当にありがたい限りです。
これから先も、こうやって自分を納得させ続けて、それでもなお何者かになることを思い続けて生きていくのかな…。
いや、そんな思い(有名になりたいとか承認欲求とか)はとうの昔にケリをつけて遠くに置いてきたはずだけど。

でも、何歳になっても、やっぱり熱量は大事だ。
熱さを持った大人はいくつになっても素敵だ。
やっぱり熱い想いはずっと持ち続けていかなければ。

静は、映画の最後に予想外の大仕事をやってのけるけど
(それで彼は彼の思う「何者」かになったんだと思う。
夢が叶って結果オーライというにはあまりにも残酷だけど)
かつて何者かになれることを願い、夢を持って、そして破れて、
気付いたら何か薄汚い大人になってて、
でも心の底ではそんなかつての夢を諦めきれない大人がまた熱くなる。
いろんな方向の熱さがあったけど、副編集長を演じた滝藤賢一の熱さにはかなり心打たれました。
でも一番すごかったのはやっぱりリリー・フランキーかも。
とち狂ったおっさんを演じさせたら彼の右に出る者はいないよ…。本当に狂気しかなかった。

世の中にごまんといる何者かになりたかった人たちは、
今日もきっと何者にもなれずに一日を終えているんだろう。
でも世の中のごまんといる人に対しての何者かになるより、
そばにいる大事なたった一人(二人でも三人でも何人でもいいんやけど)に対して、
自分が何者かになれていたら、それはとても幸せなことだと思う。
そういう意味では私も未だに何者かになることを願い続けている。

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