見出し画像

人生リブート指南(1) オール電書にすれば楽なのは分かってるんだけどね、の話

どこかへ居を移して人生をリブート(再起動)させるにあたり、多くの方がぶつかる壁が「断捨離」でしょう。
今までの家財をそのまんま持って行ったのでは気分一新が図りにくいし、荷物が多すぎると引っ越し作業も大変です。
とはいえ、どれを残してどれを処分するのがベストな選択なのか、自分では判断がつかない……。
この超難題にひっかかって思考回路がフリーズしてしまっている人は星の数ほどいるかと思います。

私の場合は「大量の蔵書」が最大のネックとなりましたが、思い切って「趣味の本は九割方処分する」という聖域なき生活改革を断行したおかげでどうにかなりました。
「古本屋に売る」というのは本の処分法としては王道なんですが、「細かくジャンル分けし、その分野で最高値のつく店を探す」という損のないやり方をしていたのでは数年がかりになってしまう。
そこで、大損覚悟で「ひと山いくら」的な売り方をすることにしました。
それなりに価値のある本も二束三文で手放したりしましたが、おかげで蔵書の山は見る見る片付いていったのです。

私は「不快な思いをさせられたことは二度と体験したくないと考える男」ですので、「コレクションを捨て値で手放す」という苦い経験をしたことで、もう今後はむやみに本買いするおそれは無いでしょう。
たぶん、無いと思います。
無い……んじゃないかな?
……ま、ちょっと覚悟はしてます……。

本と言えば、最近の若者たちには紙の本を持たず、全てを電書(書子書籍)でまかなっているようなミニマリストが少なからずいるようですね。
しかし私たちの世代……いや世代の問題じゃないな、私たちのような紙モノ愛好者の場合はそうはいきません。
紙モノ愛好者というのは「本の匂いや手触りを楽しむのも読書の醍醐味」と考えるんです。
それに紙の本なら端末が無くても、電気が通っていない場所であっても読むことができますので「もしもの事態」というのを想定しなくて済むんです。

あと、物心ついた時にはすでにWEBが普及していたような子たちとは違い、私たちは「メールが普及した時点ですでに30代以上」でしたから、ネットって奴とはいつまで経ってもどこか他人行儀
だから「物理的に所有しない」という電書最大の利点が「最大の不安材料」になるのです。
私たちにとっては「所有=物品を得ること」であり、だから「手で触れられないものに金を払う」ということへの抵抗感がまずあります。

それ以上に大きいのが「デジタルデータなんかいつ消えてしまうか分からない」という猜疑心。
紙版とさほど変わらない値段で買った電書が、久しぶりに読もうと思ったら消失していた……みたいなことになりそうで不安なんですよ。
そんなわけで「電書に切り替えれば物理的負担から解放されて後々すっごく便利になる」という理屈は百も承知してるんですが、それでもなお「紙版」を購入し続けているわけ。

いや、ホントにちゃんと分かってるんですよ。
電書だったら、たとえ蔵書が何万冊あっても物理的スペースはキンドル端末1台分しか要しないということは。
もしもわが家の蔵書をオール電化ならぬ「オール電書」にできたら、今後の引っ越し作業はライトバンでまかなえるようになり、日本全国どこにでも気軽に移住することができる……。
このようなことをしょっちゅう思い描きながらも、背表紙を眺めてるとついニヤニヤしてしまう私なのでした。

画題「なんのための電書だ」

電書


読者のみなさまからの温かいサポートを随時お待ちしております。いただいた分は今後の取材費として活用し、より充実した誌面作りに役立てていきます。