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クロスレビュー:「全裸監督 私はこう見る」 宇野維正、鈴木涼美、ペヤンヌマキ、大根仁

映画やドラマの感想は人それぞれ。語り合うのも楽しみのひとつです。『全裸監督』をどうご覧になりましたか? 映画ジャーナリストの宇野維正さん、作家で社会学者の鈴木涼美さん、劇作家、演出家のペヤンヌマキさん、映像ディレクターの大根仁さんの4人に聞きました。

〝ドラッグカルテル”ものに近い面白さ

宇野維正さん(映画ジャーナリスト)

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海外では、70年代から80年代にかけてのポルノ業界を題材にした魅力的な作品が作られてきました。きっと一番有名なのが、ポール・トーマス・アンダーソン監督がポルノ映画からポルノビデオの時代への移行期を描いた『ブギーナイツ』(1998年)。成人雑誌業界を描いた作品としては、『全裸監督』の中にも出てくるハスラー誌の編集長の伝記映画『ラリー・フリント』(1996年)。現在進行形のテレビシリーズにも、HBOの『DEUCE/ポルノストリート in NY』(2017年~)というとても優れた作品があります。

これは単純に称揚していいことではないかもしれませんが、日本は間違いなくポルノ大国で、いまではインターネットを通して多くのコンテンツが世界で消費されています。にもかかわらず、題材の扱いにくさもあってこれまで映画やドラマであまり描かれてこなかった。正直、村西とおるの作品は昔から苦手だったし、『全裸監督』が面白かったからといって彼を偶像化することには反対なんですが、全世界向けの作品として、今回この題材に目をつけたことは大正解だったと思います。

『ブギーナイツ』や『ラリー・フリント』にはなかった『全裸監督』の興味深い点は、2010年代のテレビシリーズで一大潮流となった、“ドラッグカルテル”ものに近い面白さがあるところ。たとえば、『ブレイキングバッド』とか『ナルコス』のような作品ですね。

日本の表社会では「わいせつ」に関する規制が強かったので、そこに「非合法なものを扱っている」というスリルが生じる。捜査との駆け引きであったり、流通ルートであったり、対立する組織が警察とつながっていたり、という側面が出てくるんですね。テレビシリーズに打ってつけの、抜群に面白い題材だと思います。

紙からビデオへとメディアが変化していき、同時にルールも変わっていく。たとえば、ヘアが解禁されたのが大事件になったりした。そういう過程をリアルタイムで知っている自分のような世代にとっては、ある意味で青春グラフィティのような作品にもなっています。

海外に比べると、日本のAVは圧倒的にバリエーションがある。もしかしたら世界中から日本は群を抜いてスケべな国民だと思われているかもしれないけれど、その背景には、法律の網の目をくぐろうとしてさまざまな企画性が生まれ、異常なほど多様化していったという流れがあった。そういったことに、『全裸監督』を見ると改めて気づかされます。

日本の映画で思い出されるのは、今村昌平の『「エロ事師たち」より 人類学入門』(1966年)です。原作の『エロ事師たち』は野坂昭如のデビュー作で、関西を舞台に戦後のエロ業界を描いたセンセーショナルな小説。三島由紀夫と吉行淳之介が激賞し、野坂昭如の作家としての原点になりました。

『全裸監督』はそれの80年代版で、なおかつ舞台が北海道というのが面白い。北海道が治外法権のようになっていて、だからこそ村西とおるの事業が瞬く間に拡大した。『全裸監督』は『エロ事師たち』以降のエロ事師を描いた作品として、日本の文学史、映画史における正統な後継にもなりえているわけです。

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山田孝之さんの演技は、肝が据わっている男のすごみをよく表していて、すばらしかったですね。誰も信じていないけれど、なぜか人当たりがよくて、言葉遣いだけが丁寧。姿形で似せるのではなく、目の据わり方で似せるというのはすごいと思います。「闇金ウシジマくん」シリーズに続いて彼の代表作になりましたね。

欲を言えば、毎回、もっと話の続きを期待させる終わり方だといいなと思いました。次のストーリーに続く仕掛けは、テレビシリーズの醍醐味の一つでもある。そこはシーズン2に期待したいですね。

他のストリーミングサービスにないネットフリックスの面白さは、米英制作ではないドラマが世界中で見られること。インドの『聖なるゲーム』、スペインの『ペーパーハウス』、ドイツの『ダーク』、メキシコの『ナルコス』、そして日本の『全裸監督』――というふうに、看板になりうるテレビシリーズが生まれたのではないでしょうか。果たして、それが『全裸監督』でいいのか、というのはあるけれども(笑)。今後どう広がっていくか、楽しみですね。

宇野維正(うのこれまさ) 1970年生まれ。「ロッキング・オン・ジャパン」「CUT」などの編集部を経て、フリーの音楽・映画ジャーナリストとして活動。映画サイト「リアルサウンド映画部」アドバイザー。著書に『1998年の宇多田ヒカル』『小沢健二の帰還』、『くるりのこと』(くるりとの共著)、『日本代表とMr.Children』(レジーとの共著)などがある。


不幸も快楽もある。それがAVの現実

鈴木涼美さん(作家、社会学者、元AV女優)

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「女の子がAVに出る」というエピソードは映画やドラマでよく出てくるけれど、AV業界を描いた作品はあまり見かけません。『全裸監督』はこの世界を描いた代表的な作品になると思います。時代が「触らぬ神に祟りなし」の方向に傾いているので、多くの人に、バランスをとりたい気持ちが生まれている。そういった欲望に応えて、話題になっているのではないでしょうか。

AV業界はかつて注目され、現在も問題を抱えながら存続している業界です。いまはマーケティングに基づいた量産体制が主流で、監督の発想はあまり必要とされなくなった。『全裸監督』に描かれているような村西とおるさんの作品は、あの時代にしか生まれえなかったものだと思います。黎明期だからこその面白みを感じましたね。

80年代は、60年代、70年代の余韻が残り、無難なものが嫌われた時代。AV業界に関わらず、いろいろな業界で“ぶっ飛び系”の人が登場しやすかったんだと思います。メインストリームじゃないものがもてはやされ、警察に嫌われても、大衆には嫌われにくかった。いまとは時代の空気感がまったく違うと思います。

当時のAV業界で起こったある種のサクセスストーリーを、いまの世の中に出していいのか、という声もあるでしょう。私は、村西さんのようなアウトローをヒーローとして描き、その是非も含めて問う、というふうに受け取りました。批判も含めて作品だと思います。多様性が声高に唱えられているけれど、実際のところ、価値観は多様になっていないんじゃないか、といった思いも、製作の裏にあったのかなと感じました。

そもそも多様性と公共性は、なかなか折り合いがつかないものだと思います。AV業界は、常にそこに直面してきた業界です。AVの主役はほとんどが女で、女を輝かせ、女で食っている世界。そこには、女性に対するリスペクトも蔑視もある。出演したいとかお金がほしいという人もいれば、AVが存在しているだけで不快という人もいます。需要がありつつ、公共性を鑑みると、隅に追いやる必要がある。

時代によって価値観は変わる。タブーも、正しいと信じられている常識も、可変的です。あの時代を礼賛するのでもなく、いまを過信して批判的に振り返るわけでもなく、バブル期に起こったお祭り騒ぎを「いまだったらダメですよね」と見せるのは、私は好きですね。

原作などを元にした創作だと思いますが、『全裸監督』では、黒木さんと母親の関係が描かれています。娘を管理下に置こうとする保守的な母親と、そこから抜け出したい娘。娘が一般的に言われる幸福と別のものを選ぼうとしたとき、母親との確執が表面化することは多い。

母親というのは自分の古いタイプの分身です。娘は、母親を味方につけることもあれば、縁を切る場合もあるし、ほどよい距離感で嘘をつき通して、母親用の顔を作っている場合もある。私自身、母親との葛藤を言語化したのは、母の死後でした。

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小雪さんが演じる、前時代的な女性の象徴としての母親は面白かったです。「足を洗いなさい」というところとか、小雪さんがこわくて、印象的なシーンでした。

強要問題とかを抱えている業界を楽しそうに描いていいのかという批判はあると思います。ただ、そういった解決すべき課題が業界のすべてを表しているわけではありません。

夜の業界は、悲痛に描かれがちですよね。『吉原炎上』(1987年)みたいな話がみんな好きだから。女の子の闇の部分がクローズアップされることが多いけれど、ただ暗い側面だけを切り取ることは安易だと私は思うんです。

ピンクできらきらしているところに不幸があり、それを忘れる快楽もある。そういう空気感が現実。『全裸監督』は「きらきら」も描いているので、私の好みです。

鈴木涼美(すずきすずみ) 1983年生まれ。慶應義塾大学在学中にAVデビュー。東京大学大学院修士課程修了後、日本経済新聞社に勤務した。著書に『「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか』『身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論』『愛と子宮に花束を』『おじさんメモリアル』、『オンナの値段』『女がそんなことで喜ぶと思うなよ』などがある。

欲望むきだしの世界にたどり着く人たち

ペヤンヌマキさん (劇作家、演出家、脚本家、AV監督)

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私は、「ブス会*」という演劇ユニットを主宰しながら、AV監督をやっています。20年くらいAVの撮影現場を見てきたので、『全裸監督』にはもともと興味がありました。村西とおるさんにもお会いしたことがあります。

まず、黒木香さんの物語が並行して描かれているところがいいな、と思いました。森田望智さんはすばらしかったですね。作品のなかで黒木さんが欲望を表出させるのと同時に、森田さん自身も女優として開眼しているように見えました。あえて言うなら、なんでわき毛がアイデンティティなのか、もっと深く知りたかった気もします。

森田さんのインタビュー記事に、「現場でAV女優の方のお芝居を見て感化された」というお話があってうれしかったです。いま活躍しているAV女優の方たちは、カメラの位置を把握してセックスがきれいに映るように自ら動けるし、お芝居のアドリブ力もある。それに体もすべてさらして仕事をしているから、肝が据わっているんですよね。彼女たちのプロフェッショナルな仕事ぶりは、私も普段から尊敬しています。

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抑圧されていた人がなんらかの興味を持ってAV業界にたどり着く。それは私自身も同じでした。欲望がむきだしになる世界ですから、人間というものが現れる。そこに集まってくる人たちに興味があったんです。

私にとってAV業界は、いろんなコンプレックスを解消してくれる場所でした。思春期のころからエロには興味津々だったけれど、そんな自分はダメな人間だと思っていた。でもAV業界では、エロいことは素敵なこと。それが救いになったんです。『全裸監督』で、黒木さんが神社でエロ本を見るシーンには、自分を重ねましたね。

否定せずに肯定する、というのがエロの業界のよさだと思っています。

AV業界に入ったばかりの20代前半のころ、自分のなかに「世間一般」みたいな概念がありました。たとえば、面接で女優さんが「乱交が大好きです」と言えば、私は「普通やんないですよね、彼氏がいるのに」とか、「すごいですね! 私はしないけど」という感じだった。勤めていたAV制作会社の社長に、「『いいですね! 私もやりたいです』って嘘でも言うんだよ」と怒られたんです。

言霊ってあるんですよね。試しに言うようにしてみたら、だんだん「いいですね」と思えるようになって、傍観者から当事者に変われました。見下しているつもりはなくても、「私は違う」と思っていた。そんな姿勢では、心を開いてもらえません。

いまではいいところを見つける癖がついて、自然と女優さんを褒められるようになりました。「すっごいいいお尻ですね!」とか。監督が男性であれば、女優はたとえ褒められなくても「エロい目で見られている」とか感じられるかもしれないけれど、女性監督の場合、「冷めた目で見られているんじゃないか」と心理的な距離が開いてしまったりする。そう思われたら、一緒に作品は作れませんよね。

村西とおるさんの「ナイスですね!」は、まさにとにかく肯定するということなんだと思います。どれくらい事実に基づいているのかわかりませんが、『全裸監督』で、英会話教材の営業からスタートしたことがわかって面白かったです。とりあえず褒めること、なんとなく英単語を織り交ぜる。営業で教えられたことが、根幹にあるんですね。

題材としてAV業界は面白いと思います。私自身、AV業界でいきいきとしている人たちを見て、作品にしたいと思い、撮影現場の控室を舞台にした『女のみち』という演劇を作りました。

AV女優は、不本意で出演しているというふうに捉えられがちだと思います。でも、現場で一緒に作っていると、自分が輝ける場として、やりがいを持って仕事をしている人もたくさんいる。もちろん、多くの問題を抱える業界ですが、不幸でかわいそうな人たち、という偏った見方ではなく、ひとつの職業として見ていただけたらと思います。

ペヤンヌマキ 1976年生まれ。早稲田大学在学中に、劇団「ポツドール」の旗揚げに参加。卒業後はAV制作会社シネマユニット・ガスに勤務。現在はフリーの映像ディレクター・脚本家としてAVやテレビドラマなどを手がけるほか、演劇ユニット「ブス会*」を主宰する。著書に『女の数だけ武器がある。 たたかえ!ブス魂』がある。

悲しき成功者を描く、一種の大河ドラマ

大根仁さん(映像ディレクター)

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率直に言って、期待を超えて面白かったです。日本でしか描けない題材で、ラジカルなコンテンツが出てきたと思いました。

『全裸監督』の狙いはきっと、映画『ソーシャル・ネットワーク』(2011年)とか『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(2014年)のように、悲しき成功者をおかしみをもって描き、リッチな映像と音楽でカッティングしていくということだと思います。しかも長尺で一人の人間の半生を描くわけですから、一種の大河ドラマですよね。

実在の人物をドラマの主人公としてどう魅力的に描くか、実際に起きた出来事の取捨選択と、そこにどうフィクションを挟んでいくか、難しかっただろうと想像します。僕もいま、NHK大河ドラマ『いだてん』の演出をしていて、明治時代から1964年の東京オリンピックまでを扱っているので、実在の人物や史実を扱う難しさは実感しているところです。

俳優がすばらしかったですね。山田孝之くんは“逆ボディーメイク”で、絶妙な肉の付け方をしていて。撮影中もずいぶん食べていたみたいですね。村西とおるの体にしか見えなかった。

森田(望智)さんは、黒木香さんと醸し出すムードが一緒で。新人女優で、「この子誰だろう」っていう匿名性があるのもいいんでしょうね。黒木さんをテレビで見たのは何十年も前ですが、「ああそうだ、こういう感じだった」と呼び戻されました。当時、黒木さんが出ていた朝生(「朝まで生テレビ!」)とか、よく覚えていますよ。面白いし新しいし、カッコいいな、というふうに見ていました。当時はフェミニズムとかそこまで考えてなかったけど、彼女を映すテレビ側の“オッさん目線”に嫌な印象を持ったことを覚えています。

村西が北海道で開いたビニ本屋の「北大神田書店」も、なんか記憶があるなと思ったんです。そしたら、倉本聰さんのエッセイ『北の人名録』に出てきていて。ドラマ『北の国から』を書いていたころに出会った北海道の面白い人やエピソードを紹介してるんです。村西さん自体は出てこないけど、富良野についにビニ本屋ができて、みんなで遊びに行くというくだりがある。北大神田書店っていう名前が実にいい、って倉本さんが書いているんです。なんでこの名前なのか。カモフラージュだったんですかね。

絡みのシーンもよかった。僕はかつてテレビ東京の深夜がホームグラウンドで。2009年に『湯けむりスナイパー』というドラマを撮っているんだけど、そのときはまだおっぱいを撮っても大丈夫だったんです。あのころが最後だったと思います。2014年の『リバースエッジ 大川端探偵社』のときには、撮れなくなっていました。法律で決まっているわけじゃないからテレビ局の自主規制なんだけれども。つい最近もコンビニから成人誌が撤廃されましたけど、公共の場でエロスが規制されるのは時代の流れで仕方のないことかもしれないけど、ネットはまだまだ自由ですよね。Netflixに『全裸監督』のような作品が登場したのは、ある種の必然とも思いますし、作り手としてとても魅力的なメディアだとも思います。

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美術も全体的にすばらしかったです。70年代、80年代の日本、都会の風景って、どうしたって貧乏くさくなっちゃうんですよ。リアルさを追求した部分もありつつ、ハッタリをきかせているところがよかった。オープニングのトイレのシーンとか、日本にあんなトイレはない。ああいうハッタリ、僕好きなんですよね。

脚本をチームで作ったというのは興味深いです。僕はオリジナルの脚本は書きませんが、原作物の脚本は書くし、脚本家の方が書いたものを演出するケースもあります。たとえば『いだてん』は、宮藤(官九郎)さんの脚本は根幹が強いから、足しても引いても大丈夫で、意外と合議制でやっている部分があるんです。

でもそういうケースはまれで、日本では脚本に関して、脚本家の聖域というか、一人の脚本家が筋を通して書くべきだという考え方が根強い。それだと限界もあるし、もっと他者の意見を入れたほうがいいと思うんです。演出に関しても、『いだてん』では何話か共同演出という、1話の中に複眼的な演出を取り入れるやり方にチャレンジしましたが、目線が増えることで広がりも奥行きも出るんですよね。

チームの合議制による脚本作りはやったことがないので、やってみたいですね。ネットフリックス作品でも、たとえば『ブラックミラー』とか抜群に面白い。エピソード毎に尺が違うのも、物語に適正な尺でいいじゃないかというネットならではの強みですよね。あらかじめ枠と尺が決められているテレビドラマでは絶対にできない。ああいうのを見ていると、やっぱり脚本作りのシステムとか、話数とか尺の制限とか、そういうところから抜本的に変えていかないとかなわないんじゃないかなと思います。

構成でいうと、1話がめちゃくちゃ面白かった。「村西とおる」になるのはAV監督になるときなので、普通に考えたら、1話の終わりでAV監督になるところまで描いてしまうかもしれない。そうしないで、AV監督以前の部分を丁寧に描いて、キャラクターを構築しているのがすごくいいなと思いました。でも僕だったら、AV監督時代の村西とおると、過去のエピソードをシャッフルするような、それこそ『ソーシャル・ネットワーク』のような構成にしたかもしれない。やっぱり見ていていちばんワクワクしたのは、白ブリーフ一丁でカメラを担いで「お待たせしました!」の姿ですから。あれをもっと見たかった。

でも2話、3話……と見続けているうちに、これはシーズン2を狙っているんだなと。シーズン2は、きっともっとドロドロしたところが出てくるんでしょうね。僕も撮りたいですよ(笑)。

そういえば先日、某所で山田孝之くんと久しぶりに会ったんですけど、ちょっと時間に遅れてきたんですよ。そしたら来るなり「お待たせしました、お待たせし過ぎたかもしれません」って(笑)。あれはズルい!!

大根仁(おおねひとし) 1968年生まれ。2010年、ドラマ『モテキ』でブレイク。監督作品に、映画『モテキ』『恋の渦』『バクマン。』『DENKI GROOVE THE MOVIE?〜石野卓球とピエール瀧〜』『SCOOP!』『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』『SUNNY 強い気持ち・強い愛』など。現在、NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリンピック噺~』の演出を手がける。




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