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Give Peace A Chance


3月。いよいよ、他人事でなくなってきたウィルスに怯えながらも東京で行われたライブに出演し、渋谷の街行く人々がどこか希望に満ち溢れているように感じ、このまま終わるのかななんて楽観的に考えていた。昨年オーディションを経て出演した夏フェスの終わりは関係者のみのクローズドライブであり、関係者の方々は全員マスクをしているという異例の事態だった。そんな少しのもやもやはありながら新年度を有意義に過ごそうと決意し、慣れない運転で京都に帰ったものだ。

3月半ば、出身大学の軽音楽部の追い出しコンサートに出演し、東京からわざわざ京都に帰ってきた友人とかつての学生生活を思い出したりしながらも、話題にのぼるのはウィルスのことだった。

実家の鳥取に帰って家族で酒を酌み交わし、次はGWだなといつもどおり別れた。

安易で楽観的な私の考えと裏腹に事態は急激に悪化していき、仕事は無くなり、ライブもなく、バンド練習もできない、人にも会えないなど、何十もの苦しみは積もっていった。


5月になって普段なら毎日外に繰り出している季節の中、苦しみは続いている。いつも救われている楽曲がさらに染み入る。ジョンレノンの『Give Peace A Chance』である。ジョン・レノンとオノ・ヨーコがベッドの中から反戦を訴えるベッド・インという平和キャンペーン中に一発レコーディングされた楽曲。

若者たちが戦争反対のムーブメントを起こすきっかけとなったこのベッドインの中で力強く録音された一曲は私にとっては反戦歌ではなく「行動を起こす」きっかけの曲になっている。ジョン・レノンはインタビューにおいてみんな平和に行こう!と歌ったわけではないと発言している。もちろん戦争反対のメッセージは明確にあったと思うが、本質は以下のとおりである。

「僕らはここでゴスペルをやってるのではない。試しにこういう変化はどうだろう? と提案しているだけなんだ。僕らは未来に発言を持つ権利を持っていると思うんだ。そして、その未来は僕らの心の中で作られると思う」。

引用:https://www.udiscovermusic.jp/stories/john-lennon-yoko-ono-bed-down-hot-100より


歌詞の良いところは狭義にも広義にも捉えることができることである。
私だけの歌詞、みんなの歌詞になり得る。


合唱により生まれるパワー。平和であることは「好きなことをできる世の中になる」ということである。理論武装で何事にも批判する人々。自分が正しいと思っている正義マン。自粛警察。そして「普通」が普通じゃなくなった日常。この曲は今こそ、みんなの心のなかに留めておくべき歌ではないだろうか?なにもみんな否定するために生まれたわけではないだろう。アンバランスになった世の中を整えるのはストレートなメッセージだ。未来に希望はあるのだろうか。アクションをすべきと思いながらもなにひとつ行動に移せない僕が京都の小さな部屋から出す希望は、どうせ生きるのなら明るい未来でいたいということである。そのために数ヶ月部屋にこもって、未来への投資をしてきたつもりだ。努力は他の人に比べたら、足りないんだろうけど。


今こそ私達が叫ぶべきメッセージはGive Peace A Chance、「平和を我等に」ではないだろうか。私達の未来は私達で決めよう。

今日はなんかダラダラと脈絡のない話をしてしまった。
反対に楽曲制作の方は良い曲作れそうだったので、6歩進んで2歩下がったかな。そんな一日。


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