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「緩慢な自殺」をやめよう。生かされる命を最大限に活かす人生へ。

あなたは、人生を何歳までと想像するだろう。
この先80歳、90歳までと考える人が多数派だろうか。

サンプラザ中野くんは、爆風スランプのボーカルとしてデビュー。「Runner」の爆発的ヒットにより幅広いファンを獲得した。しかし、1999年に爆風スランプは活動休止宣言。その後、「歌手」「健康」「投資」を中心に、執筆など幅広い活動をはじめる。2008年にサンプラザ中野から「サンプラザ中野くん」と改名。

2020年に、中野くんは60歳の還暦を迎えた。十数年前に「人生125年という視座で暮らす」という道を歩みはじめた。チベット体操や、ビーガンの食生活など、さまざまな健康法を実践する理由についておだやかな口調で語ってくれた。

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サンプラザ中野くん | 歌手
1984年に爆風スランプのボーカルとしてデビュー。パワフルで奥深いサウンドにユニークで斬新な歌詞、パフォーマンスが話題を呼び若者を中心に圧倒的支持を得る。1988年「Runner」の爆発的ヒットにより、さらに幅広いファンを獲得。その後も数々の名曲をリリースし、ミュージックシーンに確固たる地位を築く。1999 年の爆風スランプ活動休止後は、「サンプラザ中野」としてソロシンガー/作詞家としてのミュージシャン活動はもとより、「健康」「投資」を中心に、TVやイベントへの出演、執筆など幅広い活動をスタートさせる。2008年1月からは「サンプラザ中野くん」と名前をリニューアルし、活動している。2020年、還暦を迎え最新ミニアルバム『感謝還暦』をリリース。


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このnoteを書いた人:田中 嘉
編集者、インタビュアー。

88年『Runner』誕生後、30代で体調が悪化して鬱状態に。


「Runner」が爆発的ヒットを記録した1980年代。当時の日本の音楽界は、アイドルや演歌が主流であり、ロック音楽の市場規模は決して大きくはなかった。爆風スランプのボーカルとしてデビューした中野くんは、ロックバンドとして音楽界で生き残るために躍起になっていた。

「当時の事務所の社長からは“お前たち、ヒット曲が存在しないバンドなんて、すぐに消えてしまうぞ。どうするんだ?”と問われました。日本人が忘れられなくなるようなヒット曲をつくろうと一生懸命でした」。

体調面では、決して万全な状態ではなかった。周囲に「痩せすぎだ」と諭されて、大量にプロテインを摂取して筋トレをする日々。私生活での飲酒量も次第に増えた。結果、体重はデビュー時と比較して25キロ増加した。

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「もう外出するのも、起床すらも辛くて、鬱状態でした。血糖値の変動が正常な範囲内に保てなくなっていたようでした。今になって当時の症状を専門家に聞くと、低血糖症という病名にたどり着きました」。

本人の不調に加えて、30代半ばで父親の癌による死が重なって、「健康」に目覚めたという。

「その時、父が倒れたんです。胸腺癌でした。病院に行っても治らないことがあると知りました。自分の体調不良と、父の死が重なって健康に目覚めたんです」

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現在は、ベジタリアンの食生活を送り、白砂糖も小麦粉も控えている。一日2食生活を心がけることで、快便、快眠になった。

その理由は、ある健康法との出会いによって、考え方が大きく変わったからだという。

「医学博士・甲田光雄先生の西式健康法を知って、健康への考え方が真逆になりました。甲田先生は半日断食を提唱しています。現代人は食べ過ぎであり、栄養を足すのではなく引くことで健康になれるという考え方に驚きました。以前は、ビタミン剤を摂取することで健康になるような、健康とは足すものという考え方でしたから」。

さらに、健康に関する知識を本などで学び、ホリスティック健康法のクラシカルホメオパシーのディプロマを2006年に取得。自身の食生活を中心に紹介した著書も翌年に出版した。

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チベット体操、みんなでやるから続けられる。

2020年9月。デビュー以来初の東京・中野サンプラザでの単独ライブでは、コロナ禍のため600人の来場制限を設けて20曲を披露した。デーモン閣下やバーベQ和佐田氏、岸谷五朗氏、寺脇康文氏らがゲストで登場した。

「もう、あんなに自分も楽しめたライブは本当にはじめてでしたね!」。

60歳で20曲を歌う体力は、アスリート並と言えるだろう。

「ボーカリストは、カラダが資本なんです。他人に見られる立場のパフォーマンス業なので、カラダを整える高いモチベーションがあります。カラダはひとつしかないので、ギタリストのようにギターを買い換えるようなわけにはいかないですから」。

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チベット体操と出会ったのは50代半ばだった。

チベット体操は、ヨガに似た5つの儀式・体操を通して、チャクラと呼ばれる体内の7つのエネルギーセンターを整える運動である。長い間、山奥でチベット僧侶たちの間だけで行われていたが、1985年に再出版された『若さの泉』は30ヶ国語に翻訳されて、世界的なベストセラーとなり世間に広まった。

「ヨガは体験したことがあったのですが、ポーズが多くて、終わりが見えない感覚にイライラしてしまったんです。チベット体操は、全工程が5つの体操・25分間程度で終了するため、自分の性格にも合いました」。

毎朝5種類の体操をそれぞれ3回ずつ繰り返すことからはじめる。それぞれの回数を5回、7回...と毎週2回ずつを増やし、最終的に21回ずつ行う。

2020年から中野くんが新たにはじめた「チベット体操125」では、「みんなで暮らしのリズムを整える」プラットフォームであるネスト内で、ネイバーズ(参加者)と一緒に、オンライン上からチベット体操をリードする。

「チベット体操は継続しようとしては挫折してきました。あるとき、健介(ネスト代表)に誘われて、みんなを巻き込んではじめてみたら、責任感が出て継続できるようになって、これだと思いました。自分が一番みんなでやることの恩恵にあずかっていると思います」。

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人生125年を前提に生きる。


チベット体操125のリズム」では、チベット体操の実践だけに留まらず「人生125年を前提に生きる」という道を一緒に歩んでいくという。

なぜ、「人生125年を前提に生きる」という道を歩むのかーー。

「125歳の理由は、早稲田大学の創設者である大隈重信侯が“人間の寿命は125歳”と言ったからです。誰もやったことのない目標なんておもしろい! やってみよう! と思いはじめたのがきっかけです」。

読者の皆さんにも、100歳よりも長く生きる自分の姿を想像してみてほしい。数十年後、どこで誰と暮らしているだろう?。どんな活動をしているだろう?。

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人生125年の「視座」をもったとき、今をポジティブに楽しめるようになった。

「125歳まで生きると決意すると、人生をあきらめられなくて大変なんですよ。海外旅行の際に意思を伝えられる程度の英語力は身につけたくなります。自動運転車にも関心を持って、レベル2の新車をもう予約しちゃいました」。

寿命が125歳という前提では、健康やお金の知識も、社会との関わりもより必要不可欠になる。

一方で、自分の寿命を70〜80歳程度に仮定して、飲酒や甘いものを大量に食べるような生活を続けると、健康状態は次第に悪化するだろう。

「タバコを吸うことやお酒を飲み続けることは、緩慢な自殺と言われるそうです」。

健康的な食事は体づくりの基本となる。食生活において健康に悪影響を及ぼす行為は、自分の命にゆっくりと針を刺す行動と言っても過言ではないだろう。

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持続的な生き方の前提が、平和へとつながる。


中野くん自身も不摂生を続けて体調が悪化し、死期を意識した経験があったという。

「俺がなんでこの考えに至ったのかというと、30代で最悪の体調だったからです。体調が悪くて、仕事も生活も順調ではなくて、早く死にたいと思った瞬間もあります。飛行機に乗ると落ちればいいって。人生とは車の運転と一緒で、一瞬の気のゆるみが不調を加速させて、死という事故につながるんですよ」。

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「チベット体操125のリズム」では、人生125年という前提をシェアしながら、今を楽しむ暮らしの知恵を出し合う。自分の健康維持は、周囲の家族の負担軽減にもなる。また、チベット体操で心身を整えることで毎日をおだやかに過ごせているという。

私たちの命は生かされている。だからこそ、命に感謝して、寿齢125年を精一杯生きよう。世界中の人が125歳まで命を最大限活かす前提で暮らせば、世界はより平和で持続可能なものになるのではないだろうか。

チベット体操125のリズム
月曜日〜金曜日 | 8:30〜9:00
公式サイト:https://nesto.life/rhythm/tibet-taisou-125

取材・編集:田中嘉 撮影:本永創太



ありがとうございます!どうぞよい1日を!
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「みんなで暮らしのリズムを整える」プラットフォーム、ネストの公式noteアカウントです。 https://nesto.life/

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