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わたしが子育てでいちばんよく使う言葉

いきなりですけど、わたしが子育てにおいても生徒とのコミュニケーションにおいてももっともよく使う言葉を当ててみてください。

皆さん、なんだと思いますか?
ぜひ考えてみてください。
なんでしょう・・・?

子育てでいちばんよく使う言葉

ヒント1
わたしの教室のスタッフに正解を教えたところ

「あぁ〜〜〜、たしかに!!」

と言っていました。

それだけ印象に残っているということなんですが、その言葉自体はごく普通の言葉です。

なぜ印象に残っているかというと、「そこでそれを言うんだ!?」という場面で使うからだそうです。

ヒント2
相づちの一種です。

いろんなバリエーションが作れます。

この言葉を言うと、どんな性格の子どもとも自然な会話ができます。

そして、子どもが会話をリードします。

子どもの本当の気持ちを引き出すことができます。

とても満足そうに会話を終えます。

終わりも子どもが自分で作ります。

万能な相づちです。

ヒント3

0才から20才までずっと使えます。

同じ言葉です。

わたしの息子たちは15才と17才(2017年当時)ですが、2人と会話するときもまだまだよく使います。

そして、彼らも同じ言葉をわたしに返すことがとても多いです。

息子にこう返されると「聞いてくれた」という気持ちになります。

もしかすると、お父さんがお母さんに返してあげると良い言葉かもしれません。

さて、なんでしょう?!

*  *  *

わたしが出した問題は、「わたしが」もっとも使う言葉はなんでしょう?です。

しかも、なんだと「思いますか?」です。

これがもし、「日本の子育てで一番使われている言葉はなに?」だったら、考えることが違ったと思いませんか?

子どもに「生きる力をつける」ためのプロセスは、この繰り返しです。

明確な正解のないことを自然に考えて自然に答えたくなる。

そんな問いかけをひたすら繰り返します。

哲学の問答ですね。

昨日、

「ほう、ほう」
「それで?それで?」
「どう思う?」

などの推理をいただきました。

これらは「わたしとは」違うけれども、推理してくださった方はきっと、いろんなことを考えたでしょう?

当てることよりもずっと、自分で考えることが大事なんですね。

ぜひ、メッセージであなたが気づいたこと、わたしがもっともよく使う言葉が何だと思うか教えてください。


わたしが、子育てにおいても生徒とのコミュニケーションにおいても、もっともよく使う言葉・・・

それは、

「そうなの」

です。

・・・いかがでしょう?
想像と比べて。

もっと意味のある、素敵な言葉だと思いませんでしたか?

語尾は下がるときも上がるときもあります。
下がっているときの方が多いかな。

子どもが何かを言ったとき、あらゆる場面で使います。

「◯◯ちゃんがねー、ちゃんとやってない!」
「そうなの。」
「今日、幼稚園でね、遠足だったの!」
「そうなの。」
「わたしね、かけっこで一番速くて、すごいねってほめられたの!」
「そうなの。」
「学校の先生、ずるいんだよ!僕にはダメって言うくせに、◯◯君がやったときは何も言わなかったんだ!」
「そうなの。」
「知ってる?もうみんな携帯持ってるんだよ!」
「そうなの。」

話の内容とテンションに関わらず、万能です。
ぜひ、あなたも使ってみて下さい。
そして何が起きたか教えてください。

感情をニュートラルに

「そうなの。」は、感情抜きに言うのがポイントです。

特に幼児の場合、一生懸命何かを言っている姿そのものが可愛くて必死で、

同意してあげなくちゃ
肯定してあげなくちゃ
賛成してあげなくちゃ
誉めてあげなくちゃ
感嘆してあげなくちゃ
驚いてあげなくちゃ
共感してあげなくちゃ

それで、すごくおおげさに反応してしまうことが良いと思ってしまいます。

これの何が問題かというと、そんな風に反応できるのは、話の内容が「気に入ったときだけ」なんですね。

「そんなことないわ!」って思う方もいらっしゃると思います。

もしかしたらそんなことないかもしれないけど、一度、きちんと意識してみてもらえますか。

すごくいい感じに相づちを打っているときって、話の内容が気に入ることで機嫌も良いときではないかってことを・・・。

「生きる力をつける親」の大事なステップは、無意識のうちに植え付けていた「子育て悩みの種」を

あっ、今植えちゃった!

と自覚することです。


*  *  *

良かれと思って、相づちに好意を表現していると、3才くらいの子には「ママの気に入ることと気に入らないこと」の判断材料になってしまいます。

3才か4才くらいの子にどうでもいいことを決めさせようとすると(たとえば、赤と白、どっちがいい?など)

「ママは?
ママはどっち?」

と聞く子がいます。

子どもって、生まれながらに

「ママを喜ばせよう」
「ママが嬉しいと自分も嬉しい」

って思っています。

母親と自分は同一人物だと思っているからです。

そんなことも自分で決められない!
顔色をうかがってる!

のではなく、ママを喜ばせたい(=自分が喜びたい)んですね。

だから、無意識に相づちを打っていると、知らないうちに子どもはお母さんの価値観を受け取ってしまうことがあるんです。

無意識というのが問題です。

2才くらいまでのお母さんは「この子はわたしの感情をそのまま自分だと思っている」ということを知って接するのが大事だと思います。

*  *  *

「そうなの。」の使い方レッスン、3つのポイント!

(1) 感情をニュートラルに
(2) 肯定も否定もしない
(3) 待つ

まず、
(1) 感情をニュートラルに

これだけ聞くと「冷たい!感情を込めて返事してあげないなんて、子どもがかわいそう!」と思われるかもしれませんね。

ぜひ、試しにやってみてください。
「感情を込めない」というのは、「無表情で冷たく言い放つ」とは違います。

大好きな相手に「あなたは、今、何かを言っているね」と思っただけで自然に優しい顔になります。

その自然な顔で、自然なトーンで、静かに「そうなの。」と言います。

子どもはとっても嬉しそうな顔をするはずです。

なぜかというと、これこそまさに「受け入れられた」という感覚だからです。

(2)肯定も否定もしない

「そうなの。」に似ているけれど、「そうだね。」は子どもにとって意味がまったく違います。

「そうだね。」は完全な同意なので、「ママのお墨付きをもらった」、すなわち「正しい」という意味が加わってしまいます。

「そうなの。」は、良いとも悪いとも、正しいとも間違ってるとも思わず同意も理解も示さず、ただただ、「あなたは今、そう言ってるんだね」という「認知」を表すのです。

やってみると意外と難しいことに気づきます。

なぜなら、わたしたちは、親になると、子どもの行動や考えすべてに善悪のジャッジを下すのが親の役目だと思っているからです。

それが無意識のプレッシャーになってるんですね。

(3)待つ

実際に「そうなの。」を使ってみるときっと何かひとこと付け加えたくなりますよ。

たとえば
「そうなの。それで?」
「そうなの。なんで?」
「そうなの。良かったね」
「そうなの。ひどいね」

言われてみると分かりますが、ひとこと加わると、相手の出方が分かって安心しませんか?

たとえば愚痴や悪口を言っていて「そうなの。ひどいね。」と言われるとヒートアップするし、

「そうなの。それで?」と言われると続きやオチを考えるし、

話がどこへ向かうかを相手にコントロールされてしまいます。

子どもに「そうなの。」と言ったら、間が空いてもそのまま待ってください。

子どもは言いたいようにしか言いませんから「間が空いた!」なんて気にしません。

続けるか終わるか、身勝手なほどに自分で決めます。

幼少期に「考える」子が自分の意見を言えるようになる

「自分の意見がない」
「自分の気持ちが言えない」

という悩みが出てくるのは、高学年から中学生くらいです。

それまでは従ってくれていた方が都合が良いし、そもそも、自分の意見を言わなくてはならない場面がほとんどなしに過ごせます。

一見、意見を尋ねられているように思える場面も、本当はいくつかの「正解」が用意されていて、無意識のうちに空気を読んで、その中から選択しているに過ぎない場合が多いのですね。

「どう思ってんのっ?!」って怒りながら聞くとき、本当には聞いてないでしょう?

中学生になって本当に自分の意見を言える子は、それより前の段階で、自分の意見とは何か考えることができている子です。

だからぜひ、今日から始めてみてください。
ニュートラルに返事をする習慣を。

*  *  *

「そうなの。」を使うタイミングは、お子さんが何か話しかけてきたときです。

まだ実感としてよく分からない方は、頭の片隅に「ニュートラル」という言葉を置いておいて、今は「ふぅん」と思っていてください。

これまで読んでくださったあなたは、ぜひ、「そうなの。」を、一日何回くらい言うか意識してみてください。

*  *  *

キャラ的に「そうなの」が言いにくいお父さんもいらっしゃると思います。

その場合は「そうか」はいかがでしょうか?

ただ・・・、

お父さんの場合は、同意しようが賞賛しようが、お母さんほど子どもにとってジャッジメントの意味を持ちませんので、実はそんなに気にしなくてもいいんです。

「お父さんの顔色をうかがって意見を言う」子って、あんまりいないと思いませんか?

よっぽど怖いお父さんだったらあり得るかな?

いずれにせよ、お母さんほど子どもが同化している感じはしないのではないでしょうか。

それはその通りで、子どもはお父さんとは同化しないようにできているんですって!

お父さんにおすすめの書籍はこれです↓

『フランス家庭事情』

フランスには、さまざまな家族の形があり、父親との関係が複雑なケースがたくさんあります。

血のつながりの無い親子もいっぱいいます。

すると、いったい父親ってなんでしょうか?

フランスの小児科医、アウド・ナウリ先生は、

「母親と子どもの間に距離をつくる、それが父親の役割なんです」

と言っています。

最初、子どもにとって母と自分は同一人物です。

そのうち、

「あれ?
僕が痛くてもお母さんは泣いてない。

もしかして、僕とお母さんは同じじゃないの?」

と気づきます。

「僕とお母さん」は、I and Youです。

そこにお父さんが加わるとI, You, and Him!!!

そう、第三者の出現です。

これによって、完全にお母さんは自分とは違う、ということを知るそうです。

これは子どもにとってたいへんなことです。

*  *  *

僕とお母さん「と」お父さん

人間の三角関係社会性の第一歩です。

お父さんというのは、お母さんと子どもを引っぺがすという大事な役割を持っています。

子どもとお母さんが会話しているところへサササと近寄り、

「ふむふむ、いやぁ、オレはそうは思わないな」

「へぇ〜〜、いいじゃん、いいじゃん」

無責任に首を突っ込んでいるだけでいいんですね。

少なくとも、存在だけで子の自立に一役買ってると思うと、

「うちのパパってイクメンじゃない・・・」

とガッカリしていたママもちょっと元気になりませんか?

シングルママは、信頼できる第三者の介入を意識してみるといいかもしれませんね。

お父さんにはもうひとつ、お母さんの努力をねぎらう、という大事なお仕事があります。

「それでいいと思うよ」
「よくやってるよ」

ぜひ、ひとこと声をかけてあげてください。

それでお母さんは明日もがんばれるんです。
(家事ではありませんよ、子との関係です。家事は家族みんなのお仕事です)

お母さんも、お父さんが会話に入ってきたら大事な役割だと思ってくださいね。

*  *  *

「そうなの。」作戦をいつ始めるか、ですが、今すぐ、子どもがどんな年齢でも今すぐに始められます。

あなたのお子さんが0才ならマザリーズとして。

赤ちゃんに話しかけるときの独特な口調のことをマザリーズと言います。

よく、YouTubeなどで赤ちゃんに話しかけている欧米のお母さんの口調を聞けますよね。

日本のお母さんの中には、あんな風に抑揚たっぷりに反応のない赤ちゃん相手に語りかけるのが苦手な方もいらっしゃるように思います。

そんなときには、必殺、万能の相づち「そうなの。」を使ってみてください。

そのときは抑揚たっぷりに。

おじいちゃんやおばあちゃんが上手に

「そうなの〜、◯◯なのね〜」

なんて言ってる姿を見たことはありませんか?

あなたのお子さんが6才以上ならニュートラルな「そうなの」で、すぐにわたしの言っていることが実感できると思います。

みなさんの感想

子供に自分の感情をのせたあいづちはダメだったんですねー。
難しいなー。

ダメじゃないですよ!!

どんなことがあっても、お母さんは自分をダメだと思わないでください。

なぜなら、それも子どもは受け取ってしまうからです。

試しに一度、ニュートラルに「そうなの。」と言ってみてください。

もし、いろいろなことに気づくことがあれば「こういうときに使えるな」っていうタイミングがつかめます。

もし、自分にはしっくり来ないと思ったら、とりあえず、保留。

そういう人もいるんだ、くらいに流してください。

頭の片隅にこのことを残しておけば、あるとき、ふと、何か違う感覚が訪れます。

これは、わたしの教室に通うお母さんがよく証言してます。

最初は「なに言ってるのかな」って思ってて、あるときふと湧いてくるんですって!

「なぁ〜〜んかこの状況、前に聞いたことがあるぞ!」って。

先生の問いかけ、考えてみました。 
「いいねぇ」かな?と思いました。 
私自身は、意識してなくても、娘に対して否定的なことばが多いかも。と思いました。 ちょっと、何してるの?とか、ダメだよー。とか。 
いいねぇ。 と言われたら、嬉しくて、話したくなって、受け入れられてるような気がして、気分が良いなぁと思いました。

なるほど、いいですね。

ご自身を振り返ったり、自分だったらどう思うかまで考えてくださったんですね。

発表後にも感想をいただきましたよ。

すごく参考になりました。 
確かに、感情で子供への反応が変わってますね。 
フラットな「そうなの」 は、まだ練習中ですが、 やはり子供がスラスラ話してる印象があります。

すぐ実行して何か発見して消化してくださいました。
ありがとうございます。

ニュートラルはとまどう方も多いと思います。

3歳半と1ヶ月の子の母です。 
これは相づちに限った話なんでしょうか。 
言ってる事はわかります。 
ただ、母親は、子供が小さいうちは好き嫌いなどを抑えて接した方がいいのかな、と思ってしまいました。 
私は、世の中にはいろんな考えの人がいるということを子供に知ってもらいたいとも思います。 
それとも、母親の影響力がそれだけ子にとって大きいという事なのでしょうか。

相づちに限った話ですよ。
それも、子どもから何か発信してきたときの話です。

好き嫌いというよりも、是非を無意識に返してしまわないということです。

無意識に○か×かに相当するサインを送ってしまわないように気をつけると、子どもの本当の心を引き出すことができます。

母親の影響は大きいのは確かなのですが、どのくらい影響するかは子によるようです。

観察が必要ですね。

この答えは…「それでそれで?」だと思います。
私自身、聞き手にこの言葉を言われたら、聞いてくれた、自分の話に興味を持ってくれた、もっと話したいという気持ちになるからです。

なるほど、大好きな相手から言われたらなおのことですね。

そうだよね だと思います!
共感、共感(*^^*)
明日が楽しみです💕

正解の前日ですね。
楽しみにしてくださってありがとうございます。

お2人とも、ぜひ、ご自身で考えた言葉をお子さんに使ってあげてください。

そして、「え〜、それはどうかな」とか「そんなこと言って欲しくないな」ということを言い出したとき、つまり、共感できないときには「そうなの」を使ってみてください。

次に、苦悩のおたよりをご紹介します。

私にとってはとても難しいです。
どうしても感情が入ってしまいます。

ですよね。
人間ですからね。

それでも、何も考えないより何かがきっと作用します。

ニュートラルでいるというのは、ある種、訓練みたいなものかもしれません。

困ったときが起きたときにも使えますから、今は難しくてもぜひ覚えていてください。

たとえば、わたしは、教室に通っていて「行くのが嫌だ」と言い出した子をどうしたらいいか、という相談を受けたとき、

「お母さんがこの子にとって続けるべきだと思うなら、ニュートラルな気持ちで「そうなの」と言って淡々と連れてきてください」

と伝えます。

親の信念を伝えるときに、ニュートラルは効き目があります。
そのことを、今はただ知っておいてください。

次は、理解の上での違った視点を紹介します。同じように感じた方がいらっしゃると思います。

良い出来事だけに良い反応(あいづち)っていうのは確かに賛成できないというか、良いことや成功しなければ認めてもらえないんだ…ということになってしまうことですよね。
でも、どんな出来事に対しても…そうなの~の同じトーンもちょっと的外れな感じを子どもの方からも感じるのかなと。
やっぱりうれしいことや成功体験は、いつもよりちょっと過剰反応してくれたほうが、子どもとしても共感力が高まったり、何かをやり遂げるモチベーションが高くなる可能性はあるのでは?
これがよく言うほめて育てるの一部分であり、承認欲求を満たすひとつのやり方ではと思いました。
同じトーンではなく、時には大喜びして、過剰反応もありっていうことでしょうか。こんなことは少ないので…たいがいは失敗や悩み、困難が多いでしょうから。

その通りですね。
時には過剰に反応をすることもあります。思わず出てしまう感情で行動するということもありますよね、人間だから。

それにしても…新卒で中学校に英語教諭として勤めていた頃、6年前まで小中学校で臨採として働いていた頃、教育委員会の生涯学習課で勤めていた3年前に知っていたら…私の仕事は変わっていたでしょう。
今から、またチャンスがあれば…そうなの~派で仕事をしていきたいですね。

そうなんですよ!
「そうなの」は、教育現場でこそ使える対応だと思います。
わたしもそれを子育てに応用しているに過ぎません。

実は、予想の段階で正解されていた方がひとりいらっしゃいました。

私が考えた答えは『そうなんだ』でした。
相手の考え方や存在を、そのままでいいんだよ、と受け入れる坪井先生が言いそうかなーと。 過去のブログ数年分から坪井先生の性格を推定しました☆

完全に見抜かれていましたね。

わたしの教室のスタッフに、感想を聞いてみました。

おばちゃん目線でいくと、小さい子がいっしょうけんめい(にみえる)大人に話しかけるって、すごくかわいく見えるんです。

ましてや自分に話しかけてくれてたら、それだけで「かわいいねぇ。うんそうだね、いいよいいよ」って肯定が入ってしまう。

それが、佳織先生はすごくクールに感じました。(「かわいいね♡」が入ってない感じというのかな。)

だから私からすると、もっと肯定というか、うなずくかと思った、とかにっこりするかと思った、とか拍子抜けな感じがしたんだと思います。

あ、これがニュートラルなんだなって感じました。

そもそもミューレにおける、佳織先生のたたずまいが、周りの集団(年齢、性別?)に関係なく普段からほぼ一定なのを感じます。

わたし自身は、相手が子どもであっても真摯に話を聞いてあげているだけ、という自覚です。

そのときは「かわいい♡」とは思っていないです。

ひとりの人として、話の内容に集中しています。

「ニュートラル」について、教室での体験をご紹介します。

わたしの教室は、ほとんどの子が4才以下から通っていますので、社会性が身に付く前から接しています。

が、ときどき、5才以上で入会して来る子がいます。

すると、私にあらゆるテストを施します。

優等生ほどそうです。

「この先生は何を良しとするのか」

を探ろうとするんですね。

でも、わたしはずっとニュートラルなので、先生の評価ポイントを発見できず、最初は戸惑います。

イラ立つ子もいます。

わたしが、新しく出会った子どもに対して、なぜニュートラルに接するかというと、指導を施す前に、

「あなたには良い面も悪い面もあるでしょう。
まだ未熟な子どもだからね。

良い心のときもあれば、負の気持ちを抱くこともあるでしょう。
人間だからね。

先生は、どうであっても起きたことに対応するだけだし、誉めても叱っても、あなたを受け入れるという気持ちは変わらないよ」

というメッセージを伝えたいからです。

あれこれやっても先生は変わらないということを理解すると、赤ちゃんのようにツルンと一皮むけたような本来の顔になり、探ることはなくなります。

「この先生は善し悪しで自分を判定しない」ということが分かるからでしょう。

そこから先は、わたしのことなんか気にせずに、感じるままに音楽を表現して恥ずかしがらなくなるし、失敗を恐れなくなります。

わたしは、先生としての在り方は「何者でもなくなる」ということではないかと思っています。

親の在り方も、目指すところはそこかもしれません。
なかなかその域には行けませんが。

高学年になると、子ども自身が「ミューレ(教室の名前)は素のままでいられる」と言います。

子どもがそのことを自覚しているのは驚きだと思いませんか?

つい先日、「◯◯ちゃんは△△なんだね」と言ったら、

「うん。
でも、学校では違うの。
ちーんってしてるの」

って、小学校1年生の子が言いました。

小1で既に、素の自分とそうでない自分を自覚しているということです。

こんなおたよりをいただきました。

ニュートラルなそうなの。って思っている以上に難しいけれど、それを知ったか知らなかったかでは全然違う子育てになりそうですね。

無条件に子どもの存在そのものを認め、子ども自身も認められていると実感することはその先のあらゆる教育の基礎となります。

親が持たせてやれる自立のためのもっとも大切な手荷物ではないでしょうか。

「そうなの」という言葉そのものに固執するのではなく、

“評価を加えずに「どんなあなたも受け入れる」という土台をはっきりと自覚し、子どもにもそれを伝える”

それができていれば、何をやってもいいんです。

なぜ、わたしがニュートラルな「そうなの」を多用するか。
それは、子どもに対する自分の基準をリセットするためです。
それだけ自分が未熟だからです。

無意識の思い込みや、色眼鏡や妄想や期待や落胆、そういうものを退治するためです。

いつも瞬時にものごとを判定するほど人間が仕上がっていない。
だからせめて、ニュートラルに子どもを観察するんですね。

わたしが、親として「そうなの」を多用するのは、子どもが自分で自分の気持ちを整理して、対策を考えようとする前の段階で、今の混乱や逃げや甘えをお母さんにぶちまけて、次のステップを踏み出そうとしているときです。

自分の責任だとか自分次第だとか分かっているけど、決戦の前に一度親に甘えておきたいというとき、出すだけ出させてそっとしておくと、時間をかけて内省して何をすべきか自分で考えて覚悟を決めるように思います。

また、学校から帰って来た直後はニュートラルに迎えることが多いです。

言いにくいことや負の報告も同じテンションで受けてあげるから何でも言いなさいと思っているからです。

まず事実を静かに毅然と聞いて「どう思った?」と聞きます。

わたしが言いたいことはすべて分かっているようなら、それ以上は何も言わず、時間をあげます。

「しまった、この子、全然分かってない!」と思ったら、その瞬間に魂を込めて叱ります。

それから、子どもが自分の友人や先生、夢の話、成果の話、後悔の話などをしているときもニュートラルに「そうなの。」と聞くことが多いです。

何故かなぁ…?

このような話をしているときの子どもは、親でも立ち入ることのできないような確固たる自分の世界を持っていて、でも、まだまだ子どもなので親には言いたい、…言いたいけども何の感想も言って欲しくない、入って欲しくないと思っているような感じがするからかな…。

とても誇らしそうで、あぁ、人として今まさに成長している瞬間を見せてもらっているのだなと、まぶしく見ています。

それは我が子だけでなく、すべての子どもに共通して思っていることかもしれません。

わたしが無になることで、本来なら自分の中で完結する感情表現に立ち会わせてもらっている。

とてもありがたいことです。

これで「そうなの」の話はおしまいです。
読んでくださってどうもありがとう。

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