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自分を大切に想うこと

わたしの教室では、リトミックを中心に子どもたちが音楽を学びます。リトミックは小4までクラスを作ってありますが、そのあとも続けたい子がたくさんいるので、「パフォーマンスクラス」があって、小5から高校生までいます。

リトミックを学んだ子たちで、楽曲をパフォーマンスするクラスです。「音楽をやりたい」だけではなく、「ミューレ(わたしの音楽教室の名前)にいたい。」という気持ちで参加しています。

なので、わたしは、子どもたちが大人になるまで、「自分の特性を持ちながら、どう生きていくか」を教えられるだけ教えていたいと思っています。

このパフォーマンスクラスが、あるイベントに出演することになりました。7月末に出演が決定し、どの子が出られるか確認をしました。8月にアレンジやバンドメンバーを決め、9月から練習が始まっています。

昨日のこと。

ある小6の女の子が、地域のお祭りと時間が被っていて、どちらに出るか迷っている、という話をお母さんから聞きました。

わたしは、「お母さんは口を出さずに、すべてのことを本人にやらせてください。」とお願いしました。すると、悩んだ挙げ句、若干すねながら、こちらに出演することを決めた、との連絡が入りました。

わたしは、今年、一緒にパフォーマンスクラスに上がった同じ小6の女の子3人を呼び、話をしました。

まず、お母さんから祭と日程がかぶった、とだけ聞いているけど、その後、どういう経緯があり、どんな気持ちでこちらに出演することを決めたのか、と聞きました。

話を盛ることもなく、正直な自分の気持ちや経緯をしっかりと話しました。

理由は、「こっちに出たいな、と思ったから決めた。」とのことでした。

そこで、わたしは、「よく分かった。まずは自分の気持ちで決めたことは良いと思うけれど、あなたたち小6は、もう一歩進んだ考えをする練習をしよう。もし、こちらの出演を選ばなかったら、どんなことが起きると思う?」と聞きました。

3人はそれぞれ、「歌のパートバランスが変わる。」「立ち位置が変わる。」「メドレーで決めた動きが変わる。」など、いろいろ考えました。

「それが、じゃあ、辞めますとなったら、その後、あなたは来ないわけだから、何が起きているか見ないわけだけれども、ちょっと想像して言ってごらん。」と言うと、また、3人で具体的なことを答えました。

「それは、どういうことになるということかな。」と聞くと、「人に迷惑がかかる。」と言いました。

「そうだね、自分の行動でかかる迷惑にも少し気を回さないといけないね。

でもね、あなたが心からあちらに出たい、と気持ちを訴えたら、みんな、まだ半月あるからね、じゃあ、あなたのために何とかしてあげようと一生懸命やってくれると思う。だから、可能か不可能か、と言えば、可能だと思う。

これからあなたたちが大人から習うことはね、「人に迷惑がかかる」というのが一番大きなことで、やっちゃいけない、ということだと思うんだよね。

けどさ、本当は、もっともっと、大切で大きなことがあるんだけど、なんだと思う?」

子どもたちは一生懸命考えました。

それで、わたしは、こう言いました。

「あなた一人が抜けてごらん。

◯◯ちゃんや△△ちゃんは、寂しいんだよ。」

わたしがこう言うと、他の2人が、大きく大きくうなずきました。それまで、「パートが変わる」とか言っていたときとは全然違う表情で、心から、「そうだ!」っていう腑に落ちた顔をしていました。

「人が寂しいと思う気持ちが、何より一番大事なんだよ。

自分が思ってるより自分はずっと大切な人で重要で、一緒にやってる子にとって寂しいんだってことに気づかなくなってはいけないよ。

迷惑とかなんとかは、正直、どうにでもなるんだよ、本当は。

それより、自分が大切な人物だということを忘れちゃいかんよ。」

3人とも、とても晴れ晴れとした表情で練習に戻っていきました。
帰り、迎えに来たお母さんにこの経緯をお話しました。お母さんは、涙ぐみながら「何度も何度も先生に言われているのに、自分がいるだけで大切なんだってことを最近、伝えてなかった、と思った。いい機会でした。」とおっしゃってくれました。

ひとつの事例でした。
わたしの教室では、こういう子どもの人間ドラマが、毎日のように繰り広げられています。そこに関わることができ、幸せです。

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