見出し画像

最近思った事考えた事(1:小山田氏の件 2:音楽は表現手段なのか 3:#創作檄文について)

最近思ったこといろいろ。

●小山田圭吾氏の作った曲なんてもう聴かない!という方も多数お見かけしたのですが、私は個人的には作品としての音楽と作者その人自身の問題とは別のように感じました。
最初なかなかゲスい感じに書かれたブログ記事っぽいほうを読んで寒気&吐き気がするくらいゲスいなあと思いながら『デザインあ』の音源をサブスクで聴いてみたんですが、純粋に音だけを聴けましたし、なんならなかなか楽しい作品群でした。
(ちなみにその後元々の小山田氏のインタビュー記事を読み直して考察されている記事やら更にそこから派生した記事やらを読んでそこまでゲス野郎という程でもないのかもとか、個人を攻撃するよりももっとそもそものいじめという行為自体について掘り下げていくべきなのではとか色々考えさせられましたし、何よりも元の記事に当たる事の重要性を思いました)

●音楽を作っている側の方で『自分にとって音楽は表現手段である』とおっしゃっている方をよくお見かけします。というかそちらが大多数の可能性なのかもしれません。それももちろんアリだとは思います。が私にとっては音楽自体が目的です。楽器演奏が手段で、そのバンド全員で鳴らしているその音その楽曲そのものが目的です。私は作曲者ではなくただのバンドのベース&コーラス担当なのですが、この曲を演奏したい!と私が思う曲を作る作曲者の元で、この人達と一緒に音を出したい!と私が思っているメンバーと一緒に鳴らしているその時のその音その曲こそが目的です。音の一部になりたいのです。
その音楽で何が言いたいのか?何を表現したいのか?じゃなくて、いやいやその音そのものを出してその音を音そのまま受け取って欲しいなあーと思うのです。音の中に情報全部入ってるじゃないっすか⁉︎っていつも思います。

●個人的に最近Twitterにて #創作檄文  という活動に参加しております。詳しくはこちらを↓

F-MADさんの呼び掛けの元、主に音楽系を中心としたインディーズのクリエイター同士で相互フォローして、まず皆で何万という縦横に繋がっているフォロワー数の上に立つ状態になり、知られずに消えていく事のない状態を作り出し、本当にカッコよい音楽こそがより多くの人に聴かれ支持されるような新たな場を作っていく、そしてさらにはその大きな土台を持ち得たならばその先さらに世に出るに当たって必要なメディアやスポンサーサイドの人達とも対等に渡り合えクリエイターの本質的部分を歪める事なくそのままを世に出す事が出来るかも、というような事だと私は理解しております。
この相互フォローは決して馴れ合いや傷の舐め合いなどにはならないような、本当に良いものだけを良い!と認める本気の人が集まることが望ましいのですが、
そこがすでに結構なかなか難しいぞ。。。とは思っております。
そして、この集合体の中で抜きん出てくるためには
パッと聴いただけで『よく分かんないけどめちゃくちゃすげー!』と思ってもらえる必要があるのでハードルはかなり高くなります。
でも、やってみる価値はある!と私は思っております。
まあ最終的に参加を決めたのはF-MADさんの音源を聴いて、なのですが。
まず最初に『札幌の風雲児が今急を告げる』というのを聴かせてもらって音も言葉も磨かれていて、ああこの人本気の人だー!と思ったので。

普段私の聴くジャンルとはちょっと違うので聴き方とか感想とかズレてたらすみません。
でも、なんていうかカッコいいじゃないっすか!すげーじゃないっすか!と思ったので。
ただの言葉遊びとか『やってみた』とかとは全然別次元で、こんなちゃんとした人居たーーー!とか思ったので。
まあ、つまり最終的には直感で参加したって事です。
なんかワクワクするぜ!ってことです。
だって自分ロケンローラーだし。

もしも #創作檄文 に参加してみようかなと思われたクリエイターの方、いらっしゃいましたら是非Twitterの方へお越しくださいませ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?