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痩せればかわいくなるのか?

オンライン授業が続くと、中々大学の友達には会わなくなるもの。そんな中先日久しぶりに、女友達3人で集まり代官山でフランス料理のランチを…!

会話はもっぱら、就活の話や自粛期間なにしてた?なんて話題。そんな中でちょっと引っかかることがあったので今回はそのことについて。

○キロ痩せたの!

自粛期間、筋トレやダイエットをしている人は沢山いたと思います。絶好の機会ですし。私も腹筋に縦線を入れることにどハマりし、クランチやプランクを中心にピラティスやダンソレーションを楽しんでいた1人。

ただ私、体重というものを健康の指標としか見ていない。痩せたい、体のラインを綺麗にしたいと思う時、私は数字よりも自分の視覚、そして触覚を頼りに体づくりをします。だって数字、他人の目に見えないよ?

友達の「○キロ痩せたの!××ちゃんも○キロ痩せたんだって!」という言葉に、数字に一喜一憂する姿に言葉では共感しながらもなんだかうーんと思ったのでした。

細い≒かわいい

なんで自分磨きをしよう!手始めにダイエットだ!となるのか本当に分からない。細ければかわいいのだろうか。たしかに人によっては垢抜けて見えたりするし、女性の場合胸元や鎖骨周りに肉がない方が洋服を着こなせる場合も少なくない。ここで私が言いたいのはたるんだままでいい、という事じゃなくて、「ほどよく」でいいんじゃないかな、ということ。

私、中肉中背になりたいんです。身長153センチ、体重は測ってないので分からないけど上から82-64-88、骨格ウェーブでかなりこじんまりした体です。私は10歳の時に初経がきて、そこから体の発育があまり進みませんでした。「細くていいね」と、小さな頃から言われてきました。なぜ、細いといいの?たしかに背は低いながらも女性らしいお洋服の着こなしを楽しめます。だけど私は友達のやわらかな腕、ふくよかに膨らむ胸に大きな憧れをその思春期の心に抱いていました。

私の下着のサイズは概ねD65、しかしあくまで下着のサイズ。バージスラインがやや広めですが体の厚み、トップとアンダーの差はあまりないので決して多くの人が想像するDカップのお胸ではありません。ここでも改めて、数字(数値)は見えない、が言えると思います。

女性らしいやわらかな肩周り、大きさと言うよりもしなやかなシルエットを作る乳房、そんな上半身になりたいと願わずにいられません。単純に沢山食べて太ったって、私の場合そこに肉が付くような体では無いので、基礎代謝を上げたり筋トレをしたりしています。もしかしたらないものねだりかもしれないけれど、私はこの痩せ型が少しコンプレックスに感じる時がある。

多分、社会になぜか「細い=かわいい」みたいな謎の固定観念がある。怖い。食事を抜いたり断食をしたり食べても嘔吐したり…そんなダイエットをする友達が私の周りに少なからずいます。けど彼女達のダイエットは断続的、かつ辛そう。なりたい自分になるために、精神を削る必要があるのかな?私は健康的っていう言葉が大好き。健康的な色っぽさ、あると思う。決してグラマーなボディである訳では無いけど色っぽい。それってとても魅力的だと思う。必要な栄養を摂取する、体温をあげるために運動やストレッチをする、ストレスを自ら作らない。なんだかその方が伸び伸びと生きられる気がするんです。そのままで充分素敵じゃない!私は友達にそう言いたくてたまらない。本当の意味での健康的って、体も心もヘルシーな状態のことを言うんじゃないかな。

自分磨き

かわいくなろうとしてる女の子って素敵。でもね、自分磨きをする時に自分を否定することではなく、肯定することから始めてみてほしい。

「ここがたるんでる、痩せなきゃ!」「肌をもっと白くしなきゃ!」じゃなくて、「私の体のここのラインいいかも、ここをいかせないかな」「私ってこういう色が似合う!次リップを買う時こんな色にしよう」みたいな。

楽しんで欲しいの、自分であることを。もちろん常には難しい。私だって自分に納得いかない日が沢山ある。けど自分の大好きな部分を知っていると、きっとそんな日も乗り越えられる。

心と体は密接に繋がっていると思います。私は専門家ではないけれど、この記事がかわいくなりたい誰かの目にとまれば幸いです。今日もゆるりとストレッチをしながらnoteを書く私的自分磨きマインドのおはなしでした。


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