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立ち位置を振り返ることは「まいごの羊」を見つけるようなもの

小さいひつじが いえをはなれ、
ある日ひとおくへ あそびにいき、
花さく野原の おもしろさに、
かえるみちさえ わすれました。

これは「まいごの羊(小さいひつじが)」の1番。「讃美歌21」や「こどもさんびか」に収録されている子ども向けの讃美歌である。

新約聖書、マタイによる福音書の中でイエス様がたとえを使って話されたのがもとになっている。

話の内容はこちらのスライドアニメで。

たくさんの羊たちが広い野原にいる中で、一匹の羊がいつのまにか群れを離れてあちこち行ってるうちに、迷子になってしまった話。

このことを昨年書こうと思っていたのだけど、続きが書けないまま、半年以上下書きのままになっていた。

久しぶりにnoteに書こうと思って考えていたら、下書きのままになっていたこの記事を見つけた。

まいごの羊の話を振り返って、今の私にもなにかつながっているような気がしてきたので、書いてみようと思う。

立ち位置を考える8月

毎月ブログに書いている「#大切にしたいこと」8月はこんなテーマにしてみた。

もともとはTwitterに書いていた投稿をもとに書いたのだけど、Twitterにはこう書いてみた。

「コロナ禍の中で」と書いたけど、考えてみると、コロナ禍でなくても自分自身、立ち位置を考えなければならない時期になっているような気がしてきた。

仕事、ライフスタイル、年齢、交流、向き合い…。

これから自分はどんな道を歩めばいいかを考えるために、まずは今の自分の立ち位置を考える必要がありそうな気がしてきたのだ。

そういえば先月もこんな感じだった。

方向性を考えていこうと思っていたけど、先月だけでは結論が出なかった。でも考える時間が作るようにしてきたと思う。

そのきっかけが、友達が運営しているオンラインサロンで取り組んでいる「センターピン」。

センターピンとは「ものごとを進める、動かす上で一番中心になるもの」。

タスクと混同されそうだけど、センターピンを考えることで、タスクが見えてくるということに気づき始めたので、毎朝センターピンを決めるようにしている。

一日を振り返る中で、自分がここからどう進んでいこうかを考えるのに、立ち位置を振り返り、今後の流れを見つけていくのが8月のテーマになりそう。

まいごの羊が見つかった時

まいごの羊の話に戻る。

聖書の中でイエス・キリストが例えとしてこう話している。

「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで探し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」
(ルカによる福音書15:4~7)

 100匹の羊のうち、1匹の羊が迷子になってしまう。羊飼いは1匹ぐらいいなくなっても…と思いそうだけど、諦めずに探して、ついに迷子になった羊を見つけたというたとえ話。

この話は何度も聞いているので理解しているつもりだったが、改めて読み直すと、自分に当てはまる所が出ているような気がしてきた。

「まいごの羊」は自分自身。迷子になった私を見つけてくれるのは神様。迷子になった状態で自分で迷子から抜け出そうともがいても上手くいかない。

上手くいかない時には誰かに助けてもらってもいい。そう思うようになると、気持ちが楽になれそうな気がしてくる。

一度は家を離れた羊が羊飼いとともに家に戻ることができたように、これからどこへ行くんだろうと迷いそうな自分自身もいろんな人達に助けられながら戻ることも出来る。

自分の立ち位置が分からなくなっても、示してくれるものがあると思い、少しずつ進んでいきたい。

アイキャッチはFree-PhotosによるPixabayからの画像。「羊」で検索したら出てきました。何百匹もの羊たちを束ねる羊飼いってすごいなぁ。


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