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阪神・淡路大震災から26年。『しあわせ運べるように』思いを馳せて…

26年前の1995年1月17日。阪神淡路大震災が起こった日。

私は東京にいて、出勤前、バタバタしていた支度中にTVのニュースで知った。

TVに映った光景を見て、声を失ってしまった。

出来ることが何もなかった

1年前の春、初めて神戸に行き、関西在住の友達と異人館やハーバーランド、メリケンパークなど楽しんだときの事を思い出した。

外国情緒溢れていて好きな街になった神戸にまた行きたいと思っていた神戸が、大変なことになっているのが信じられなかった。

地震が起きて数日後、関西在住の友人の安否が心配だったので、すぐに届かないと思っていても手紙を出したり、電話をかけたりしていた。

友人は家族含めて無事でホッとしたけど、それぞれの場所で地震にあったときの話を聞いて、辛い気持ちになった。

離れていても何か出来ることはないかと思い巡らしていたけど、ニュースや新聞を通して刻一刻変わっていく状況を見守るくらいしかできなかった。

26年かけて得た「正の遺産」

阪神淡路大震災が起きて26年。いろんなところで震災関連の記事を目にしたけど、印象に残った記事の一つがあった。

震災というと、甚大な被害をもたらす「負の遺産」を取り上げられることが多いが、実は「正の遺産」もあるという記事である。

阪神・淡路大震災が契機になって、生まれたことがいくつもあるそうだ。

・ボランティア元年
・震度階級に「5強」などを新設
・東京消防庁にハイパーレスキュー創設
・災害派遣医療チーム(DMAT)発足
・カセットコンロ・ガスボンベの規格統一
・水道レバーが「下げ止め式」に
・地震保険が普及する

災害ボランティアや震度階級、DMATなどは地震や災害が起こると取り上げられているので知っていたが、カセットコンロや水道レバーなどの規格変更も阪神淡路大震災がきっかけだったというのは知らなかった。

何気なく使っているものが、規格を変えたことで少しでも地震の影響を防ぐものになっている。震災などの災害で失ったものも大きいけど、得たものもあることを今後に活かしていくことが大切ということを忘れないでいたい。

『しあわせ運べるように』

阪神淡路大震災がきっかけで生まれた歌がある。

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『しあわせ運べるように』

この曲が作られたのは震災が起きた1ヶ月後。学校の音楽の先生が作詞作曲して、避難所にもなっている小学校で披露されたという。

阪神・淡路大震災から約1カ月後の1995年2月27日、
兵庫県神戸市立吾妻小学校で小さな発表会が行われました。
避難所にもなっていた吾妻小学校の校庭に
児童約200人が電子ピアノを取り囲むようにして集まり、
避難住民、ボランティアの方々と一緒に合唱をしました。
この日、初めて『しあわせ運べるように』が披露されたのです。
小学生の澄んだ歌声が被災地に響き渡り、
たくさんの方々が涙されました。

小学校で披露されたこの曲は、神戸の再生を願う「復興の歌」として、
鎮魂と希望を込めた「心の歌」として歌い継がれ、やがて東日本大震災や熊本地震など大きな被害を受けた地域でも歌われ、全国に広がって行った。

「しあわせ運べるように」を作詞作曲した音楽教諭が今年3月に定年退職するため、今日、学校で教諭として最後の指揮を取ったというのがニュースで紹介されていた。

コロナ禍で学校での練習が思うようにいかなかったというが、当日は校庭で間隔を空けて子どもたちが声を出して歌っている様子が映し出されていた。

校庭にいる子どもたちは震災を直接体験していない。でも、歌を通して震災の出来事を思い、歌い継いでいこうという思いを持っていると思う。

「しあわせ運べるように」。震災の鎮魂歌という役割だけでなく、コロナで心も体も辛い思いを持っている人にとっても希望の歌になっていく事を願わずにいられない。

コロナが落ち着いたら、また神戸に行きたいな。

過去に書いた

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過去に書いた1月17日の記事はこちらから読めます。


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