ブロック塀 (ホラー掌編:2000字程度)

あらすじ……
 オ姉ちゃん……サヨウナラ……
 あの夏の日。
 ゆずくんとお別れをしました。©Fortuna 2020


 ゆずくんとお別れをした、あの夏の日のことです……。 
 
 こういう時世なので、目下のところ、自宅(母と暮らしています)で仕事をすることが多くなりました。
 午前はキッチンのテーブル。午後からは書斎で仕事をしています。私の場合ですが、一日中同じ場所にいるより、変えた方が飽きることなく集中できるのです。
 一週間前のことです。
 その日もキッチンのテーブルにパソコンを置いて、コーヒーを飲みながら仕事をしていました。
 母は朝早くからパートのため、平日の朝において、この時間帯に家にいるのは私一人だけです。
 十時ぐらいでしょうか。

「お姉ちゃん!」
 窓の外から声が聞こえます。

「ねぇ! お姉ちゃんってば!」
 
 何だろう……
 作業途中のデータを保存すると、立ち上がって左手の窓を開けてみました。この窓からは、お隣さんの家を隔てているブロック塀が見えるのですが、その模様のすきまから、目がこちらをのぞいていました。

「あ、ゆずくん!」
 その目は、お隣の息子さんのゆずくんでした。
 ブロック塀まで1メートルほどの距離なので、表情も見えます。何だか笑っているようでした。
「あれ? 今日は学校じゃないの?」
「ううん、今日まで学校休みなんだ。明日からは学校だけどね。お姉ちゃん暇? 遊ぼうよ」
 私の目線ぐらいあるブロック塀の上から、両手を突き上げて、ぶんぶんと振っています。

 あら、ゆずくんって、こんなにも身長高かったかしら……
 ゆずくんは小学三年生で、身長も小柄な方でした。 

「ゆずくん、身長高いのね」
「違うよ、椅子の上に立っているんだよ。椅子から下りると何も見えないよ」
 すると、ゆずくん顔が模様のすきまから見えなくなりました。
「椅子に立つと……ほらね!」
 再び、ゆずくんの顔がすきまから現れました。
「あ、そういうことね!」
 私は納得をしました。

 それはさておき、ゆずくんと遊びたい気持ちはありますが、今日中に仕上げなければならない仕事がまだ終わっていません。

「ごめんね、ゆずくん! お姉ちゃん、今日は忙しいの」
「えー、そうなの……」
「また今度遊ぼうね」
「わかったぁ……。じゃあね!」
 木でできた椅子の背もたれを、重たそうに抱えながら家に入っていく、ゆずくんの後ろ姿が見えました。

 
 その次の日の朝です。
「マスク、学校でもきちんとするのよ」
「うん。行ってきまーす!」
 元気な声がお隣から聞こえてきました。
 これからゆずくんは学校に行くのでしょう。
 それにしても、こんな夏の暑い気温の中、風邪をひいてもいないのにマスクをして登校するなんて、不憫だなと心から思います。

 夕方になりました。
 書斎で仕事をしていると、母が部屋の中に入ってきました。
「どうしたの?」
 机に向かったまま母に訊きました。
「今、電話があったんだけど、お隣さんのゆずくん、下校途中に交通事故で亡くなったらしいよ」
「えっ」
 私は振り返って母の顔を見ました。
「左折するトラックに巻き込まれて……」
「そう……」
 何だか、言葉では言い表せない胸騒ぎがしました。

 
 その翌日の朝。
 今日もキッチンのテーブルで仕事をしていましたが、昨晩は何だかよく眠れず、眠くて仕方がありません。
 あくびを噛み殺して目を覚まそうと、椅子から立ち上がり伸びをしたときです。

「ねェ、オ姉ちゃん……」

 えッと思いました。
 ゆずくんの声が、窓の外から確かに聞こえました。

「オ姉ちゃん……ねェ、オ姉ちゃん……窓をアケテ……」
 
 いつもの元気な声とは違い、悲しそうな暗い声です。
 もしかしたら、ゆずくんは亡くなっていないのかもしれない、ということを考えるようにしましたが、やはり怖くて窓を開ける勇気はありませんでした。
 
 しかし、何度も何度も何度も何度も窓を開けてくれと呼び続けます。
 
 私は、早くどこかへ行ってくれとお願いすることしかできませんでした。

「そッか。オ姉ちゃん、僕ノ声、聞こえないんだネ……」
 ぼそっと言う、ゆずくんの声が聞こえました。 
 もちろん、窓を開けてゆずくんの幽霊姿を見てしまったらという、怖さはありました。しかし、この言葉を聞くと、かわいそうに感じて仕方がありません。
 昨日に母が言っていたことが間違っていて、ゆずくんは元気だったという明るい落ちを期待していますが、もしこの世からいなくなってしまったとしたら、最後にもう一度会って、ゆずくんにお別れをしたいと思ったのです。
 
「ゆずくん! ごめんね! 今、開けるからね!」
 私は勢いよく窓を開けました。
 が、目先の有様《ありさま》から後悔をしました。
 
 ブロック塀のてっぺんに、上半身裸のゆずくんがいました。
 真っ赤な姿で、ゆずくんの顔には所々血が飛び散っています。
 へその辺りから下がなくなっていたので、この事故がいかに悲惨だったのか、いやでも想像ができました。 
 
「オ姉ちゃん……アえてよかった……サヨウナラ……」

 ゆずくんは、青ざめた私の顔を見てニッコリと笑うと、上半身を後ろへ倒して、音もなく消えました。


一年間更新がなかったとき、私はこの世にいないかもしれません……。