見出し画像

2060年5月31日月曜日 高橋ケイコの話

「ケイちゃんごはんよー。起きてますかー?」

どこかで誰かの声がする。誰かがわたしの名前を呼んでいる。
この声、誰の声だっけ?

ああそうだ、「ママ」か。これが「ママ」ってやつなのね。
まじマンガみたい、こんな風に起こす人いるんだ…。

「はーい」と聞こえるはずもない返事をして、ベッドを降りる。布団と違って起きるのが楽だ。

手を合わせ、頭の上まで高く上げ、体をうんと伸ばしたら、そのまま一回打ち合わせる。パチン、っていい音。これは今日1日をハッピーにするおまじない。

気分が上がる自分だけのおまじないを作るといいよって話は、物心ついた頃、お母さんに教えてもらった。

さあ、挨拶に行こう。と、ドアノブを下げてドアを引こうとした瞬間、自動でノブが下がり、扉が開いた。

「ケイちゃん!起きてたのー?よかった!」
「あ、おはようございます、おかあ…じゃなかった、『ママ』」

お母さんと違って「ママ」は背が低いから、顔が近くてちょっと焦った。

「どっちでもいいのよー別に!いつも、好きなように呼んでもらってるの。ケイちゃんはファミリーはじめてだっけ?アレルギーはないって聞いてたから、好きに作っちゃったけど、嫌いなものあったら残していいからね。わたしはもう何度も参加してるんだけど、13歳の子といっしょなのは初めてで!飲み物何がいい?」

どこで息継ぎして喋ってるんだろう、と思っている間に、「ママ」の言葉に導かれ、気がつけばパジャマのまま、朝食の席に着いていた。

「いやーん、おはよう!君がケイちゃん!?昨日顔合わせできないでごめんね!今日早いからこれで!」
誰かが風のように視界の外でわたしに呼びかけ、去って行く。
「いってらっしゃーい」のこだまを追いかけて、もぞっと口から空気だけが出る。

ああ、いまの人が「パパ」か…。ちょっとお母さんに似てる。お母さんも今頃おんなじように駆け足で飛び出して行っているんだろうか。

ぼうっと眺めていると、コールドスクリーンの前に座っていた「お姉ちゃん」が立ち上がってリビングの扉を閉めた。

開いた扉を閉める、というなにげないしぐさだったけど、自分のうちでは見たことがないので、なんだか感動してしまう。

「ケイちゃん、おはよう。ごめんね、気がつかなくて。流したい動画、ある?」

お姉ちゃんが振り返って、微笑む。もう髪の毛もしっかり結んでいて、身支度が終わっている。

「あ、大丈夫です。うち、動画はもともと見ないんで…」

やばい、名前忘れたと、答えながら気づく。誰か早く呼んでくれないかな…。つうか、「お姉ちゃん」ももうカフつけてるんだ…。いいなあ、カフさえあれば、名前とかずっと出しとけるのに。

誰だよ、カフは子供の視力に悪いからダメ、とか言ったヤツ。

「じゃあ、地域のハイライトを流してもいいかしら」

不意に、頭の上で女の人の声がした。

「あ、愛さん、もちろんです」

お姉ちゃんが慌ててわたしから視線を上に移し、会話ごと引っ越していく。

「ありがとう。『おばあちゃん』って呼んでもらっていいんだけど」
「いやあー、いくら何でもさくらさん見た目若すぎるんで…」

「遠慮しなくていいのよー。だって自分で『おばあちゃん』選んだんだから。まあ、正直それなりにコストはかけてきたから、そう言ってもらえるのはうれしいけど」

おばあちゃん役の愛さんは、目がさめるようなブルーのロングスカートに腕が全部見えるほど袖が短いブラウスを着ている。

布にコストかけてるから、もしかしたら見た目より全然上なのかも。でも、おばあちゃんとは呼びにくいと思ってたから、わたしも愛さんて呼ぼう。

「ヨーコちゃん、『おじいちゃん』に朝ごはん運んでもらっていいかな」
「あ、はい!でも、わたしがあげちゃっていいんですか?」

「ううん、それは大丈夫。ヘルパーに乗せて置いてくれれば、自分で食べられるって」
「ヘルパーって何ですか?」

「食事とか、おトイレとか、生活の介助してくれるロボよ。見たことない?」
「へー。そんなのあるんですねー。わたし全然周りにお年寄りがいないから、見たことなくって。」

「あー、今の子はニュースとか見ることないからそうよねー」
「ハイライトは見ますけど、ヘルパーの話とか…確かにないかも…」

会話にトイレ、と出て来たとたん、ふと寝起きに済ませてなかったことを思い出し、わたしはそっとイスから立ち上がった。

廊下に出ると、ちょうどトイレのドアをヘルパー(らしきもの)が開けているところだった。

わたしもヘルパーを見るのは始めてだ。ヘルパーはロボ、というより動く棚みたいだった。

「おじいちゃん」がヘルパーの手すりっぽいところを掴むと、ゆっくりと動いて、歩くのを支えてくれている。

「"ケイコさんですね。おはようございます"」

じっと見入っていると、ヘルパーの方から声をかけられた。親しみを感じるかわいらしい女性の声だった。

「あ、おはようございます。」

ヘルパーに話しかけたのか、おじいちゃんに話しかけたのか、自分でもよくわからない。中途半端な空間にピントを合わせてしまい、あやふやな笑顔になった。

おじいちゃんも顔を上げて笑って会釈する。おっきいサングラスをかけていて顔はよくわからないけど、あれも何かのデバイスなんだろうか。

「"お先にごめんなさい。ドア、開けたままでいいですか?"」
「もちろんです」
「"では、また後ほど。声帯をとっていて声が出ないもので。では失礼します"」

体の要請のまま、ロボットのゆったりとした挨拶を最後まで聞かずに、わたしはトイレに飛び込み、ドアを閉めてから耳に残った言葉を頭の中で繰り返した。

え?なに?あれ、見た目は棚で声は女の人だけど、おじいちゃんがしゃべってたの?それとも定型文的な?

ロボットだから適当にあしらったみたいになっちゃって…まずかったかな…。

「すごーい、これ何?セリフ自分でプログラミングできるの?」
ドアの外で「お姉ちゃん」が興奮しているのが聞こえた。

わたしは、便座に座りながら、カレンダーを眺めた。リアルに使われている紙のカレンダーを見るのは初めて。右下に「さくら」と印字されたシールが貼ってある。これは、「ママ」の「お持ち込み」らしい。

どこで買ったんだろ。さくらさん、いろいろアンティーク好きっぽいけど、プロフ全然見えないし、謎すぎ。

今日は2060年5月31日月曜日。
ファミリーは、今日から7日間。次の日曜が最後だから…6月6日まで、か。

せっかく普段は住んでない地域に来たんだから、給食前から学校も行ってみようかな。

5時間目はどこもだいたい学活だから、自己紹介もしやすそうだし。
ファミリー初日の王道らしいしね。

ファミリーやったことある友達は、せいぜい初日に期限付きプロフだけ交換して、あとはオンラインしか交流しないとも言ってたけど。合う人がいれば、期限クリアして長く付き合っている人もいるってことも聞いた。

いろんなところに友達が作れるのはファミリー生活のいいところ、って話もあったな。うん、部屋に戻ったら、予約入れとこ。

・   ・   ・

ファミリーに参加しよう、というのはお母さんからの提案だった。お母さんが以前からファミリー生活に憧れていたのは知っていた。13歳になれば、7日コースだけだけど、ファミリーに参加できる。でも、だからってわたしの誕生日その日にいきなり提案してきたときは、わが親とはいえ、びっくりした。まあ、いい話のネタだけど。

部屋に戻ると、キュイがお待ちかねだった。

「またわたしをおいていきましたね。」
「ごめん、ごめんね、寝ぼけてて」
「あと三回置き忘れると、管理者に通知されます。今日の予定は一件、コッペリアライブへ行く、です。」

忘れてた。コッペリアいかなくちゃ。突然すぎるお母さんの提案をスルッと受け入れたのも、ここが、コッペリアの聖地みたいな街にあるハウスだったからだ。

コッペリアは去年から応援してて、先月初めて定期リターンをもらったばかり。ここで勝たないと手に入らないアイテムも結構あるんだよね…。学校の帰りに寄れるかなあ…。

「もしもしキュイ、15時半に第一小学校を出て、コッペリアライブに寄って18時までに帰るとしたら、コッペリアには何分いられるか教えて?」

「現在地に一番近い第一小学校を設定した場合、87分です」

87分か。トーナメント一回できるかなあ…。
インナースーツに着替えながら、今日の占いを聞く。やるだけやってみろ、だそうなので、行くことにしよう。ラッキーカラーはブルーグリーン。

わたしは外出用の「ガウン」を羽織った。

「もしもしキュイ、ベースレイヤーはそのまま、第一小学校をレイヤー3、コッペリアライブをレイヤー5に設定して」

「 第一小学校をレイヤー3、コッペリアライブをレイヤー5、ですね。レイヤー5はコスチュームが変わるけどいいでしょうか?イメージを確認して、もしよければオッケーと答えてください 」

フードを被ってイメージを、確認する。
うん、一年分の労力と今のわたしの全力を尽くしたファッション。しかもラッキーカラーのブルーグリーンだ。

「オッケー」
に、決まっている。なんのためにコッペリアに行くと思っているんだ。第一印象で「超えてる」って思われなかったら終わりなんだよ、おわんこ。

ほんとは学校でも見せたいけど、学校で初日からこの格好は流石に突っ走りすぎ感あるな…。迷うけど無難なレイヤー3にしとこ。でも、万一コッペリアファンがいたら絶対つながりたいから、プロフでファン設定のタグがかぶった場合はメッセージを飛ぶように予約しておこう。

万一だけど、そこでつながって一緒に挑めたら楽しさ二倍だもんね。

しかし、いくら運営のお膝元とはいえ、さすがにファミリーにコッペリアファンはいなそう。

と、思ったとき、キュイが光って耳元に風が吹き、メッセージの受信を知らせた。

送信元は田島瑠衣人…あのおじいちゃんだった。


〈 続く… かは、知らない 〉


自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。