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数理の目レトロスペクティブ|#8 支給開始年齢とドップラー効果

坂本 純一(さかもと じゅんいち)/(公財)年金シニアプラン総合研究機構特別招聘研究員

 今回は趣向を変えて、年金制度のような社会制度の中にも、自然科学的な現象が現れることを書いてみたいと思う。閑話をご容赦いただきたい。

 前回(#7)では老齢年金の支給開始年齢について、高齢者の平均余命が伸びるときの制度改正の選択肢のひとつとして支給開始年齢を引き上げることが議論されることに触れた。この支給開始年齢の引き上げは、逃げ切り世代が発生するという問題点があるが、平成6年改正や平成12年改正のようにこれを実施した場合、光や音という波動の観測の際に現れるドップラー効果と同じ構造の現象が現れる。

 特別支給の老齢厚生年金について、定額部分の支給開始年齢が現在引き上げられていたが、その規定は昭和16、17年度生まれの人は61歳から、18、19年度生まれの人は62歳からというように、2年ごとのコホート(出生年度が同じ集団)で1歳ずつ引き上げられている。この結果、例えば昭和16年度生まれの人が60歳に達した平成13年度には、これらの人の平均年金額は報酬比例部分だけとなるので、平成13年度の新規裁定者のうちの60歳の者の平均年金額は他の年齢層に比べて低い金額になっていた。平成14年度も同様に60歳の新規裁定者の平均年金額が他の年齢層に比べて低い金額になっていたが、この現象は平成15年度まで続いた。そして平成16年度からは、60歳と61歳の新規裁定者の平均年金額が他の年齢層に比べて低い金額となっていた。つまり、支給開始年齢の引き上げは、2年ごとのコホートで定められているにもかかわらず、新規裁定者の平均年金額の低い年齢層は3年に1歳ずつ上がっていくのである。

 この現象と同じものがドップラー効果なのである。ドップラー効果とは、発音体や観測者が動くときに実際の音とは違って聞こえる現象のことである。例えば救急車が近づいてくるとき、サイレンの音は甲高く聞こえるが、救急車が通り過ぎた後のサイレンは急に拍子抜けしたように低い音となる。あるいは、電車に乗っていて踏み切りを通過するとき、警報機の音は近づいているときは高い音に聞こえ、過ぎてしまうと低い音に聞こえる。

 この理由は、旧ソ連の物理学者ガモフの説明を応用すると次のようになる。東京から大阪まで昔のように歩いて旅する人がいたとしよう。そしてこの人が歩く道の横には大きなベルトコンベアーが大阪に向かって高速度で動いているとする。この人に東京から24時間ごとに手紙をベルトコンベアーに載せて送るとき、この人は24時間よりも長い周期で手紙を受け取ることになる。周期が長い音は低く聞こえ、短い音は甲高く聞こえるが、観測者が発音体から離れていくとき、その音の周期は実際より長く観測され、低い音に聞こえる。

 先程の支給開始年齢の引き上げも、観測者が発音体から遠ざかるときの現象に相当し、2歳ごとのコホートで支給開始年齢が1歳ずつ引き上げられたにもかかわらず、統計にはそれより長い3年という周期で平均年金額の低い新規裁定者の年齢が上がると観測されるのである。一般に、コホートごとに変化する量を付与するルールを作るとき、ドップラー効果が現れると言える。

                [初出『月刊 年金時代』2008年1月号]


【今の著者・坂本純一さんが一言コメント】


 平成6年改正の準備段階で、支給開始年齢の引上げは2つのコホートごとに行うのに、支給開始年齢の引上げが実現するのは3年ごとになるのはなぜかという素朴な疑問がきっかけだった。例えば、平成6年改正の場合、1941(昭和16)年度、1942(昭和17)年度生まれの男子は支給開始年齢が61歳と定められているが、この61歳という支給開始年齢が実現するのは2002(平成14)年度である。次に1943(昭和18)年度、1944(昭和19)年度生まれの者の支給開始年齢は62歳と定められているが、62歳という支給開始年齢が実現するのは2005(平成17)年度である。つまり、61歳という支給開始年齢が実現してから3年後に62歳という支給開始年齢が実現するのである。2年ごとのコホートで支給開始年齢を引上げているのに、引上げが実現するのは3年ごとという現象が起きる。

 毎年度の特別支給の老齢厚生年金の新規裁定者の統計で、その平均年金額が急激に下がるのも3年ごとに現れる。定額部分がなくなるためである。

 この現象を考えているときに、昔読んだガモフ全集のことを思い出した。その内容は#8の本文のとおりである。

 このドップラー効果と同じ現象が支給開始年齢の引上げについて起こることに気が付いた時、社会現象の中には物理現象と同じように認識できるものがあることが分かり、非常に面白く思った。しかしこのようなケースはまれであり、社会現象というのは動機や期待を持った人間が介在することにより、より複雑で弁証法のいう「正・反・合」が繰り返されたりするのであろう。

 私は経済学について全くの素人であるが、アメリカの経済学の一派では、経済現象を物理学の認識と同じように解析しようという試みがなされていると聞く。しかしそれはあり得ない発想だと思うし、そのようなアルゴリズム化は現実から乖離した思考を生み、社会に害悪をもたらす役割さえ果たしてしまうのではないかと危惧する。その表れのひとつが市場原理主義であり、リーマンショックを引き起こす。あるいは、天安門事件やチリのピノチェトによるアジェンデ大統領惨殺事件を引き起こしたのであろう。やはり経済学は伊東光晴先生が述べておられるように、道徳哲学(モラル・サイエンス)としての学問なのであろう。

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