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時々刻々|#5 新常態の社会を支える理念について

年金時代編集長

前回の「時々刻々」(2020年5月8日公開)では、「次回、アフター・コロナの社会や国がよりどころとする原理や主義ということについて、考えてみたいと思います(あまり間が空かないように、次回公開します。)」としましたが、このていたらくです。ぐずぐずしているうちに、世の中どんどん進んでいってしまいました。しかも、世の中の基本的なしくみとか、あり様が大きく変わるときって特にそうなんですが、たとえば「革命」なんかの状況もそうですが、すごく世の中の動きが速いんですね。

そんなわけで、「アフター・コロナ」なんて、前回言っていましたが、どうやら、「新常態」、「ニュー・ノーマル」という言い方が、コロナ禍の社会のあり様を指すひとつの言い方のようです。そういう意味では、コロナ禍が「常態」と、世の中はすごくキャパの大きな認識を示しています。いまの世の中のあり様が、いわゆる常態と言うのですから、これに基づき、社会経済のあり方を再構築・再編成していくと、腹をくくっているということなんです。人間って、ほんとに順応性の高い生き物という気がします。なかには、新常態ということの意味合いに、「ウイルスとの共存」というような達観した認識を示す論調もありますが、「共存」などという構えそのものが傲慢なような気がします。ウイルスは、人類にとっては恐れおののく「自然」であり、そうした謙虚というか、なんでもわかってしまった、克服してしまったかのような気持ちは持たないほうがいいような気がします。

そこでこうなってしまったからには、新常態における、社会の動きのなかから、その方向性のようなものを探ってみたいと思いました。注目している世の中の動きとして、①民主主義のあり方としての「公共性」②デジタル資本主義の台頭③SDGS(エス・ディー・ジーズ、Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標))――の3つを挙げたいと思います。というわけで、前回「時々刻々」で、コロナ対応における「強権主義と民主主義」ということに触れたので、その続きで、①民主主義のあり方としての「公共性」、ということについて考えてみたいと思います。

そこで、日本におけるコロナ対応の国の基本姿勢は「自粛要請」であったわけですが、自粛を要請するって、おもしろい言い方ですが、まあ、それはそれとして、「自粛」という行動様式は、民主主義という考え方とある意味、マッチした対応だとは思っています。基本的に、個人が自覚して、外出等の行動を自粛することで、感染拡大を防止する方法がとられました。日本の感染者数・死亡者数が諸外国に比べて少ないのは、「民度」の違いというような、教養のない言い方ではなく、日本における文化や生活習慣、あるいはDNAも関係するかもしれない、また、人に迷惑をかけないというものの考え方、そういうことも含めた、日本社会が有している総合的な対応力みたいなものが、新型コロナの感染拡大を抑止するよう作用したんじゃないかと思います。そして、その具体的な行動様式が「自粛」だったのではないでしょうか。

それはそれとして、「自粛」は、民主主義という考え方に立脚し、しかも日本国憲法第十三条の「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」という考え方にも立脚した行動様式だと思うのです。
旅行や人が集まる場所に行ったりすることを避けるのは、自分が感染を防止するとともに、自分を除く他者、もっと言えば社会に感染拡大させないという「公共の福祉」に反しないような行動をとったわけです。

そういう考え方をすると、コロナ禍の新常態においては、公共性に反しない民主主義というのは、社会思想的に一皮むけた民主主義のあり方ではないか、さらに言えば、「公共性」という考え方は、新常態における社会を支える理念として、もっと重きを置いていいのではないかと感じています。もちろん、憲法第十三条にあるように、人権とか自由よりも重きが置かれてはいるんですが、改めて思いました。

<了>

年金時代編集長(ねんきんじだいへんしゅうちょう)
1991年(株)社会保険研究所入社。『月刊年金時代』編集・記者を担当。2017年4月ウェブサイト『年金時代』を開設、編集長に就任。このほか『年金マニュアルシート』(著者:三宅明彦社労士)などの年金相談ツールの開発・編集・発行に携わる。




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