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時々刻々|#4 新型コロナウイルスを超えて

年金時代編集長

『時々刻々』の案内文に「年金時代編集長が年金についてマジメに語る」などと紹介されてしまったものですから、もともと文章を書くのが好きでもなく、どうも構えてしまいまして、せっかくコーナーを作ってもらったんですが、開店休業状態が続き、申し訳ありません。

新型コロナウイルスの感染拡大に世の中が震撼し、国会では年金改正法案(これは「年金時代」としては文章を書くのが好きとか嫌いとかに関係なく、書かなきゃならないテーマなんだと自覚しています。)の審議が始まりましたから、第4回「時々刻々」を公開させていただくこととしました。つけ加えておきますと、「年金についてマジメに語る」と大上段に構えると、またまた次の公開まで間が空いてしまいかねないので、「マジメ」には語りますが、気負いなく、そして、できるだけ頻繁に書いていくよう心がけますので、改めてお願いします。

さて、国会での年金法案の審議ですが、4月7日に緊急事態宣言が発令され、その1週間後の4月14日に衆議院本会議で趣旨説明、質疑が行われ、野党からは冒頭、「いま年金法案を審議している場合か」などの発言があるなか、緊迫した状況での審議入りとなりました。

厚生労働省も新型コロナ対策の最前列に立ち、対応していかなければならないなか、猫の手も借りたいほどの状況であるに違いありません。しかし、すべての手を止めて、新型コロナ対応に全力を注いでいたら、それ以外の分野の政策や制度運営に支障をきたしてしまいます。新型コロナ対応は緊急を要し、最優先しなければなりませんが、一方で、決めるべきことは粛々と効率的に(よもや年金法案を政局にするようなことはないでしょう。)審議されなければなりません。

とは言え、新型コロナウイルスによる地球規模での社会経済への打撃は、リーマン・ショックをはるかにしのぐほど強烈で、特に資本主義諸国にとっては2つの根源的なショックをもたらしたのではないかと思っています。

ひとつは、リーマン・ショックは金融資本の経営破綻に端を発した世界規模での金融危機でしたが、今回のコロナ・ショックは、資本主義経済システムのなかで起こったショックではなく、外部からもたらされたショックで、人そのものを攻撃しますから、人々が感染拡大を防止しようと、職場で働けなかったり、外出できなかったりする行動自体が、経済活動に従事できない状況を作り出し、経済システムそれ自体を機能不全に陥らせています。

経済システムのなかで起こったリーマン・ショックでは、経済システムによる対応(金融政策)が可能でしたし、経済システム自身の自己再生機能(ショックが大きければ、多くの企業に被害が及び、連鎖倒産することにもなりますが、そうした過程を経て、経済システム(資本主義経済)はショックを乗り超えてきました。)によって、立ち直ってきましたが、今回は、経済システムによる治療(経済政策や金融政策)だけでは、この状況を乗り越えることが不可能です。感染拡大の阻止に成功しなければ、経済を再生させることはできないのです。

経済システムの外部からもたらされたショックということと、もうひとつ根源的ということで言うと、新型コロナウイルスは経済活動(生産活動)を行う人間そのものに直接的なショックを仕掛けているということです。

そうしたことから、このたびの新型コロナウイルスへの対応を巡っては、人々の行動をどう抑制させるかということで、「強権主義」の国と「民主主義」を掲げる国――もちろん「強権主義」の国は、自らを「強権主義」による統治だとは言いませんが、「民主主義」の国は自ら誇らしく宣言するほど、「民主主義」を人類最上の政治思想だと考えています――のどちらが、感染拡大防止に効果的かというような、国がよりどころとする政治思想にかかわる議論も出てきたりして、国のあり方にまで、話が及んでいます。

世界に先駆け、感染が終息に向かった、と中国政府が声高々に言うものだから、やっぱり、びしっと強権的に自由を制限するほうが感染拡大を阻止するには効果があるんじゃないかと思う人もいたりするんですが、一方、民主主義を掲げる日本は、「自粛」という方法がとられ、自分で考え判断し、自ら慎んだ行動をとるという行動様式が選択されました(「自粛」「自粛」と連呼されると、それは一種の強制にもなるんですが。)。民主主義では、個人の権利が尊重されますから、自分は自由に外出したい、しかし、外出することが感染拡大につながってしまうから、外出は控えようと、自らの行動を規制することを基本とした対応をとっています。

このように、新型コロナウイルスは、人類への攻撃のみならず、民主主義にも揺さぶりをかけているのです。国や社会の存続を守ることにおいて、民主主義よりも強権主義のほうが優れているとは、民主主義諸国の統治者たちは考えたくないでしょうし、わたしも強権主義と民主主義のどっちがいいかと聞かれれば、民主主義と答えるでしょう。

しかし、民主主義が新型コロナウイルスやこれから将来においても発生するであろうパンデミックという人類に対する大きな脅威に立ち向かえる政治思想でなければ、アフター・コロナ社会になったとき、民主主義が国家を統治する最上の政治思想とは、言いづらくなってしまうのではないかと思っています。

そこで、いま、コロナ・ショックを乗り越える社会(あるいは国のかたちやあり方)がよりどころとする社会思想や社会原理をどこに求めればいいのでしょう。以前、年金時代の企画で、厚生大臣をなさった津島雄二さんにインタビューしたときに、「社会保障を考えることは、国のかたちを考えることだ」と教えていただきましたが、社会保障をテーマとする年金時代としては、避けてとおれない、根源的なテーマにぶち当たることになってしまいました。

次回は、アフター・コロナの社会や国がよりどころとする原理や主義ということについて、考えてみたいと思います(あまり間が空かないように、次回公開します)。

<了>

年金時代編集長(ねんきんじだいへんしゅうちょう)
1991年(株)社会保険研究所入社。『月刊年金時代』編集・記者を担当。2017年4月ウェブサイト『年金時代』を開設、編集長に就任。このほか『年金マニュアルシート』(著者:三宅明彦社労士)などの年金相談ツールの開発・編集・発行に携わる。







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