円谷英二・ 大伴昌司・ 小山内宏 『怪獣画報 〔復刻版〕』 : のどかな時代
書評:円谷英二【監修】、大伴昌司・小山内宏【著】『怪獣画報〔復刻版〕』(秋田書店)
1966年(昭和41年)に刊行された、子供向けの読み物本である。
表紙の画像を見て貰えばわかるとおり、「写真で見る世界シリーズ」の1冊として刊行されたものだが、当然のことながら、本物の「怪獣」の写真というのはほとんど存在しないから、本書に収められている写真といえば、それは「円谷プロ」の特撮テレビドラマ『ウルトラQ』『ウルトラマン』、あるいは円谷プロが関わった特撮映画である「ゴジラシリーズ」などのスチール写真に限られる。つまり、それ以外の9割以上は「イラスト」だ。しかも、この当時の本だから、カラーページというのが無い。カラーは、表紙画と、キングギドラの口絵だけである。
一一しかし、だからつまらないのかと言えば、そんなことはない。私は十分に楽しめたし、その楽しさは、単に懐古趣味によるところだけではないのだが、そのあたりは、以下の内容紹介で、おいおいご理解いただけよう。
本書は、次の4部構成となっている。
(1)今も生きている怪獣
(2)生きていた怪獣たち
(3)ゆかいでおそろしいSF怪獣
(4)ウルトラ怪獣決戦画報
(1)の「今も生きている怪獣」とは、「ネス湖のネッシー」に代表される、少なくとも本書刊行当時は「もしかしたら、本当にいるかも」と思われていた、正体不明の「怪物」を指している。
(2)の「生きていた怪獣たち」というのは、要は「今も生き残っていた恐竜たち」というほどの意味で、「恐竜」に代表される古代の生物が、ほとんど進化しないままのかたちで生きている(らしい)、といったものを指す。
そのため、ここには、すでに実在が確認されている生物も含まれており、もしかすると、これは故意になされたことなのかも知れない。実在する「怪獣」を混ぜておけば、それに気づいた子供が「だとすれば、他のだって、実在するかもしれない」と考えて、ワクワクするからである。
ちなみに、本書では、『ウルトラマン』などに登場する、完全に架空の「怪物」(人型異星人を含めて)を「SF怪獣」と呼んでおり、それ以外の「怪物」を、「恐竜」まで含めて、「怪獣」と総称している。完全に、今の人間と同じ形をしている生物は「怪物」の内ではないようだから「怪獣」でもない、というような感じのようだ(ルッキズムの疑いあり)。一一ともあれ、今の感覚からすると「怪獣」という言葉の指し示す範囲はかなり広く、かつフレキシブルなもののようである。
(3)の「ゆかいでおそろしいSF怪獣」というのは、前記のとおりで、完全に「架空のもの(人間の創作)」だと、明らかにされているもの指している。したがって、この章で紹介されるのは、特撮テレビドラマや映画に登場する「怪物」たちである。
(4)の「ウルトラ怪獣決戦画報」は、『ウルトラQ』や『ウルトラマン』の登場する怪獣たちの「架空対決イラスト」を掲示し、そこへそれぞれの怪獣の紹介文と、「両雄相戦わば」こうなるかも、といった対戦予想コメントを付したものである。
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さて、本書が刊行された「1966年」とは、私の4歳時である。
正確にいうと、本書元版の「奥付け」では、本書の初版刊行日は「1966年12月5日」となっているのだが、この年は、初の「ウルトラシリーズ」である『ウルトラQ』が「1月2日から7月3日まで」放映され、シリーズ第2弾の『ウルトラマン』が「1966年7月17日」から(翌年4月まで)放映されているので、本書に収められている「ウルトラ怪獣」は、『ウルトラQ』と『ウルトラマン』前半のそれだと、大雑把にそう理解しても良いだろう。詳しくも調べればわかることだが、そこまでは止しておこう。
そんなわけで、本書は『ウルトラQ』と『ウルトラマン』によってにわかに巻き起こった「怪獣ブーム」に乗って刊行された、ごく初期の「怪獣本」だと思われる。
だからこそ、「ウルトラシリーズ」と「ゴジラシリーズ」の怪獣だけでは、頭数が足りないので、(1)や(2)の「謎の生物」も、大雑把に「怪獣」と呼んで、1冊にまとめたということなのではないだろうか。
だが、これが「怪我の功名」といったことなのかもしれないが、子供たちにも「架空の怪獣」だと(半ば以上)理解されている「SF怪獣」あるいは「ウルトラ怪獣」と、「もしかすると実在するかもしれない」と考えられていた(1)と(2)の「怪獣」を併せて紹介することにより、子供たちの頭の中では、虚実の被膜が限りなく曖昧になって「夢が膨らんだ」というのは、容易に想像できるところである。
実際、私が子供の頃には(1)に属する「ネッシー」や「雪男」や「ビッグフッド」などを扱った「擬似ドキュメンタリー」テレビ番組がしばしば放送されて、子供たちの想像力を煽ったものである。
そのせいで、例えば近所の小さな池を見ても、ここから恐竜の頭がニョキっと出てきたら、なんてことを、私もよく考えたものだ。なんと素直で可愛い少年であったことか。
とは言え、私自身は、本書を子供の頃に買ったというわけではない。
もちろん、刊行時4歳だったのだから、買ったとしてもそれは親だし、なにしろこの種の「図版」の多い本は、当時だって、それなりに高価であった。当時の定価が「330円」というのだから、今なら「3,300円」くらいの感じなのではないだろうか。
つまり、欲しいと思っても、スネ夫のような「お金持ちの子供」しか買ってもらえなかった本だったというのが、買わなかった理由のひとつ。
あと、私が本書を手に取って「当時の私なら、あまり欲しがらなかったかも」と思うのは、表紙のイラストが「ウルトラ怪獣」ではなく「巨大恐竜」だったからである。
もちろん、子供は「恐竜」も好きは好きなのだが、しかし、当時の子供たちが熱狂したのは「ウルトラ怪獣」なのだから、「恐竜」が前面に出た『怪獣画報』というのは、「ちょっと違う」と感じただろうと思うのである。
一一しかしながら、本書を、今になって手に取ってみると、「今だから楽しい」という部分も大いにある。
それは、子供の頃には想像もできなかった、本書の「作り手の姿」が、そこかしこに透けて見えるためである。
ちなみに、本書の執筆者の一人である大伴昌司は、私が以前入会していた、ミステリー小説(推理小説)のファンクラブ「SRの会」の先輩だ。もっとも、世代が違うので、お会いしたことはなかったのだが。
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本書冒頭の(1)の前説と、それ続く「ネス湖のネッシー」の紹介文は、次のようなものだ。(※ 引用にあたっては、ルビはすべて省略している)
どうだろうか?
『しかし、ほんとうに怪獣はまったく地球上から姿を消してしまったのだろうか。そうではない。』一一この自信満々の「断言」による名調子が素晴らしいではないか。
今なら「コンプライアンスに配慮して」ということではなくても、「信じるか信じないか、それはあなたの自由です」とかいった、つまらなくも、へなちょこな表現になってしまうのではないだろうか。
では、どうして、こんなに確信に満ちた「大ボラ」が吹けるのかといえば、それは無論、「子供たちに夢を持ってほしい」と本気で思っていたからで、それで「金儲け」しようなどというケチな意識でやっているわけではなかったからである。
つまり「罪のない嘘」だという確信があったからこそ、「罪の意識」なく、嘘をつくことができたのだ。
こうした観点から、「ネッシー」の紹介文を見ていくと、次のような感じで楽しめる。
『スパイサーという人がネス湖を自動車でまわっているとき、怪物が前をよこ切った』一一へえーっ、ネッシーは陸上で目撃されたこともあったのか。初めて知った。
『ウィルソンという医者がぼやけているが、その姿を写真にとり』一一ああ、あの影絵みたいな、横向きの写真だな。
『おまけに頭には二本のつのまで』一一あった、あった。しかし、私個人としては、あの角は、恐竜らしくなくて好きではなかったな。たしか、ネッシー映画で、角を生やしているのがあったような。これ(『ウォーター・ホース』)だったかな?
『オックスフォードとケンブリッジの二つの大学では調査隊をつくり、ネス湖の怪物の調査にのり当した。/そして、いろいろしらべた結果』一一って、ここまで詳細にわかるには、捕獲しないと無理なのでは? やっぱり「聞き取り調査」だけなのだろうか?
いずれにしても「イギリスの有名大学が調査隊を結成して」とかいった話は、たしかに何度か耳にしたことがあるし、イギリス人が「大真面目な顔で、ユーモアとして」、こうした報告をしたのかもしれない。この調査結果を発表する側の学者や学生は無論、それを取材しに来た記者たちも、ニコニコしながらそれをやっていたのなら、とても素敵なことだと思う。
それにしても、この調査隊が『いろいろしらべた結果』とか『イギリス空軍もいろいろ講査した結果』と、この『いろいろ』調べたという「大雑把は言い方」が、とても魅力的である。「細かいことはいいじゃないか(ヤボなことは訊くな)」ということではないだろうか。
一一と、このように、いろいろと「想像が膨らみ、深読みができて」楽しいのである。
これに、このページに添えられている首長竜の顔が、また怖い。
やっぱり、謎の怪獣というのは、「ファンタジー」的な楽しさだけではなく、「怖さ」を伴っていなければ、深みに欠けるものになってしまうのである。
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あとは、目についたものを拾っていく。
(1)に含まれるもの。
「大西洋のガラス海へびのなぞ」は『 全長十メートル以上幅六十センチの長いひものような怪物だが、ガラスのように透明で、うみへびのようにくねくねとおよいでいた、という。 怪物には目や耳があるのかどうか、わからなかった。アメリカの魚類研究センターで専門家を動員してしらべたが、正体はわからない。』とあるのだが、これは「リュウグウノツカイ」のことではないだろうか? 深海魚だから、この当時には、まだ発見されていなかったのかも知れない。
「南アメリカの大怪魚 アマゾンのアラバイマ」というのは、紹介文や添えられているイラストからして、どう見ても「ピラルクー」なのだが、どうして「アラバイマ」なのか? 現地名なのだろうか?
「謎の空とぶ怪獣ペガサス」には、モロに神話獣ペガサスの絵が添えられており、「それはないだろう」とも思ったのだが、『アメリカのニュージャージ州』で目撃されたという報告が入っている、というので「怪獣」の内なのであろう。
そんなのがありなら、私もうちの近所で「バルタン星人を見た」とか言ってやろうかな。気狂い扱いにされることもなく「また、しょーもないことを言っている」とスルーされるだけだろうし。
「前世紀の怪魚シーラカンス」も、ここに入っている。この頃はまだ、ハッキリと生存が確認されていなかったのだろうか?
ちなみに『すごくくさいにおいがするそうだ。』とある。初めて知った。
「 南極で見たゴジラ怪獣」一一『一九五八年、日本の南極観測船「宗谷」が南氷洋をすすんでいる時、船長が海中からあらわれた怪獣を見つけた。/それは、高さ十五メートルもあり、おそろしい顔をした恐竜そっくりで、映画ゴジラのような怪獣であったという。』
こんな話も知らなかった、もうお亡くなりになっているだろうが、是非とも「宗谷」の船長に、お話を聞きたかった。
(2)は、恐竜の紹介なので省略。
(3)は、本命の「ゆかいでおそろしいSF怪獣」である。
「電波怪獣ガラダマ」である。崩されたダムに立つガラモンの、有名な写真が添えられているが、紹介文に「ガラモン」という言葉はない。
しかし、考えてみれば、『ウルトラQ』の本編でも「ガラモン」という名称は一度も出てこなかったような気もするので、もしかすると、この段階では、ガラダマから登場したこの怪獣には、まだ名称がなかったのかも知れない(そもそも『ウルトラQ』の時代に「怪獣」という言葉は、一般的なものとして存在したのか?)。だとすると、『ウルトラマン』に登場した、ぬいぐるみを使い回したミニ怪獣「ピグモン」が先で、ガラダマから現れたオリジナルの方が、それに合わせて「ガラモン」と名付けられたのかも。一一マニアの方なら、ご存知の話かも知れないが。
「 宇宙怪獣化け物のエイのボスタング」一一『ウルトラQ』に登場した、巨大エイ・ボスタング。『宇宙怪獣化け物』という二重形容的な表現も、(たぶん校正漏れではあろうが)雑な表現で面白い。「エイ」の前の「の」は不要だろう。
それにしても、紹介文の「昭和レトロ」感が、とにかく素晴らしい。曰く『このひれの力の強さはものすごい。一ふりのパンチ力はなんと巨人軍の王選手が十三万人並んでいっせいにホーマーを打った力と同じだし、そのたたく力は戦艦大和の四十六センチ砲の一せい射撃した砲弾九発分のはかい力とおなじとは、おそろしい怪物だ。』
もはや解説の必要もあるまい。
「南極からあらわれたペンギン怪獣」一一そこに「ペギラ」の写真が添えられている。「ペギラ」が「ペンギン怪獣」だったとは、初めて知った。
言われてみれば、その名称とその体型。しかし、顔がなあ…。何より、私にとって、ペギラはペギラなんだし。
「貝の怪獣ゴーガ」一一こちらも、紹介文が時代を反映。『怪獣ゴーガをたいじするために出動した自衛隊もさんざんやられてしまう。このとかし液をあびせられ、砲門を揃えた六十一式戦車隊も三十秒でつぎつぎととけてしまい、空中から攻撃したF一〇四戦闘機もふきかけられたとかし液で、たった十秒のあいだにとけておちてしまった。』
戦後初の自国開発戦車であった六十一式。主力戦闘機は、アメリカのF104だった。あのとんがったやつである。「とかし液」という、わかりやすくも、身も蓋もない表現が素晴らしい。
(4)の「ウルトラ怪獣決戦画報」。
「ベムラー対ラゴンの血戦」一一『(※ ベムラーは) 宇宙怪獣としては、やや小がら(身長30メートル)だが、宇宙の死刑囚といわれる凶暴な怪獣。ウルトラマンに追われて、地球に逃げこんできた。/この宇宙の死刑囚(ベムラー)と海底怪獣(ラゴン)が対決すればどちらが勝つだろうか? ベムラーは水陸両用型の怪獣。ラゴンは海底が得意だが、陸では弱いので、なんとかベムラーを海中に引きずりこもうとするだろう。それにベムラーの武器である熱火線も、水中では使えない。ベムラーの角をつかんで海中へ引きずりこもうとするラゴン、だがベムラーも宇宙を流れとぶてごわい怪獣。四十万馬力をふりしぼって反撃する!!』と、「妄想が膨らんでますなあ」という感じ。それにしても、ベムラーは、アトムの4倍の「力もち」だったのか。
「マグラーとチャンドラーの血戦」一一チャンドラーは説明文に『翼はあるが、あまり重すぎるので空を飛ぶことはできない。』とあるにもかかわらず、添えられたイラストでは、しっかり空を飛んでいるのはご愛嬌。
また、チャンドラーは『 とても、おこりっぽく、マグラーと戦うのも、いつもチャンドラーの方が先にしかけていく。』のだそうである。たしかに、そんなご面相ではある。
「ガボラ対ウルトラマンの血戦」一一『 ウランを求めてあばれまわるガボラには、さすがの科学特捜隊も歯が立たない。このままでは日本全国が、いや地球があぶない!! 早田隊員はついにウルトラマンに信号を出した。宇宙の彼方から矢のように飛んで来た正義の使者ウルトラマンとガボラの一騎うちだ。』
ハヤタ隊員がウルトラマンに変身するためのアイテムである「ベータカプセル」は、当初の設定では、単なる「救難信号装置」だったのだろうか?
いずれにしろ、私の所蔵しているベータカプセルでは、変身もできなければ、ウルトラマンも呼べない。きっと、レプリカなのであろう。安かったからなあ。
植物怪獣「グリーンモンス」の紹介文。一一『植物のくせに自由に動きまわることができる。』と、これも今なら「コンプライアンス」的に問題のある「差別表現」。
グリーンモンス曰く「植物が動けないなんて、単なる偏見ですよ。南方熊楠でも読んで勉強してください」。
「ウルトラ怪獣はここで暴れた」という、怪獣の出現地を示した日本地図だが、圧倒的に関東圏が多い。
これは、ロケの都合上とかいったケチな話ではなく、やはり「将門の怨霊」など、まつろわぬ民の呪いが「帝都」に凝っているためではないだろうか。
「ウルトラマンのひみつ」一一新番組のヒーロー、ウルトラマンの紹介記事なのだが…。
「40秒 ウルトラマンはレッドキングを水平打ち一発!! カラータイマーは青」「1分50秒 しかし、レッドキングの足げりにウルトラマンはピンチ。カラータイマーは黄色くなった。」一一そう。なんとカラータイマーにも「黄色」があったようなのだ。納得である。
「魔神バンダーのひみつ」一一新番組の宣伝のつもりだったが、テレビ枠が取れずに、長らく謎の存在となってしまった『魔神バンダー』。
私も子供の頃は、この謎の存在が気になったが、いまだに本編を見たことがない。
「(元本)奥付け」の前のページ。これは元本のものなので、今の私に感想を送ってほしいということではないだろう。
「(元本)奥付けページの内容紹介」一一『小学上級生、中学生、高校生向』だそうである。かつての編集者たちは、まさかおじいさんたちの喜ぶ本になろうとは、想像だにしなかったであろう。
「(元本)奥付けの後の広告ページ」一一さいとう・たかをによる『0011 ナポレオンソロ』のコミカライズ作品の広告。そういう時代です。
「(復刻版)奥付け」の前ページの、「復刻版」刊行当時の編集部による断り書き。
納得です。楽しませていただきました。
(2024年4月16日)
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