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辻村深月 原作・原恵一 監督 『かがみの孤城』 : 中途半端な「いい話」

映画評:原恵一監督『かがみの孤城』

昨年は、『犬王』 『劇場版 輪るピングドラム』 『すずめの戸締り』『ONE PIECE FILM RED』『THE FIRST SLAM DUNK』『ぼくらのよあけ』など、目ぼしい劇場用長編アニメーションを観たのだが、唯一、それなりの話題作であるにも関わらず観る気がなかったのが、本作『かがみの孤城』であった。

なぜ、観る気がなかったのかというと、まず、原作者の辻村深月を評価していない、ということが大きかった。

辻村は、かの「メフィスト賞」出身のミステリ作家だったから、当然、デビュー当時から知ってはいたものの、デビュー作の評判からして、私の期待したものではなかった。それまでは、「メフィスト賞」受賞作はたいがい読んでいたのだが、辻村の受賞作(デビュー作)である『冷たい校舎の時は止まる』(2004年)は、あえて読まなかったのだ。
もう20年近く前の話だから、細かいことは憶えていないが、要は、私は「メフィスト賞」には「型破りの作家・型破りの作品」を期待していたし、「メフィスト賞」の趣旨もそこにあったのだが、辻村の受賞作の評判は、そういった方向性のものではなく、むしろ、まともに「良い小説」という感じだったので、「それなら読む必要などない」と思ったのである。

辻村の作品は、その後も安定して評判が良かったので、初期作品の中では最も評判が良かった『凍りのくじら』(第3作・2005年)を読んでみたが、それほど良いとは思わなかっただけではなく、むしろ、作者の、自らを善人めかした書き方の中に、何か引っかかる「否定的なもの(黒いもの)」を感じて、むしろ批判的な評価を下した。
それ以来、辻村がいくら売れっ子になろうと、「読めない、若い読者が喜んでいるだけ」としか思わなかったので、ずっと無視してきたのだが、昨年(2022年)に実写映画にもなった『ハケンアニメ!』(2014年)は、「アニメ業界を扱った、初のお仕事小説」だというし、「本屋大賞」などでも評判が良かったので、「アニメファンとしては、いちおうチェックしておくかな」という感じで読んでみた。結果は「まあ、こんなものか」という感じで、辻村をもう「二度と読まないでいい作家」認定することになった。ちなみに、のちの実写映画の方は、大変すばらしい作品で、良い意味で裏切られた。

そんなわけで、今回、劇場用アニメ化された『かがみの孤城』(2017年)についても、よく売れており、評判がいいのも知ってはいたが、所詮は「通俗小説」の域を出ないものであろうと無視していた。私の中の、辻村深月評価は、すでに定まっていたのである。

ただ、アニメ化した監督は、「悪くない」人だという評価はあった。原恵一である。
原恵一は、アニメ『クレヨンしんちゃん』のテレビシリーズと劇場版の演出を手がけ、その中で大きく話題になったのが、マニアックなディティールがユニークな『嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』(2001年)で、『クレヨンしんちゃん』には、興味のなかった私も、この作品だけは(たしかレンタルビデオで)観た。結果としては、細部へのこだわりが、作品の力として現れており「なかなか面白い」とは思ったが、突き抜けた「傑作」とまでは思わなかったので、「要観察」扱いとした。

原は、その後、オリジナル作品の『河童のクゥと夏休み』が評判にはなったものの、マニアックな評判に止まって、私は気になりつつも観る機会を逸した。

また、児童文学出身の森絵都が初めて書いたヤングアダルト小説『カラフル』を劇場用アニメ化(2010年)して「第35回アヌシー国際アニメーション映画祭で長編作品部門の特別賞」を受賞したりしたが、これについては「業界内の話題」に止まったから、私ですら知らなかった。ちなみに、原作の『カラフル』は、私の大好きな小説だったので、アニメ化されると聞いても、逆にまったく期待しなかったために、そのままスルーして忘れてしまったのかもしれない。

ともあれ、このように「原作小説」には、まったく期待しないし、アニメ化する「監督」の方は、それなりに注目はしているけれども、特に好きだとか高く評価しているというほどではなかったから、おのずと、今回の長編アニメも「観ないでいいか」という感じだったのである。

しかし、最初にも書いたとおり、昨年の目ぼしい劇場用長編アニメはぜんぶ観たので、あと残っているのは『かがみの孤城』くらいだし、もうそろそろ上映回数も縮小されてきているのではという思い違いもあって、他の映画を観に出かける際に、ついでに観ることにしたのである。
ちなみに、その日のメインは、フランスの映画監督クロード・ミレールの生誕80周年記念上映の2本、『勾留』と『ある秘密』であった。

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『中学生のこころは学校に居場所をなくし、部屋に閉じこもる日々を送っていた。そんなある日、部屋の鏡が突如として光を放ち始める。鏡の中に吸い込まれるように入っていくと、そこにはおとぎ話に出てくる城のような建物と、6人の見知らぬ中学生がいた。そこへ狼のお面をかぶった少女「オオカミさま」が姿を現し、ここにいる7人は選ばれた存在であること、そして城のどこかに秘密の鍵が1つだけ隠されており、見つけた者はどんな願いでもかなえてもらえると話す。』

「映画.Com」、『かがみの孤城』の「解説」より)

今回も、詳しい「内容紹介」はせずに、上の「予告編」と、「映画.Com」の解説文の引用で、ご容赦いただくことにする。

【以下で、暗示的にネタを割りますので、未鑑賞の方はご注意ください】

で、結論から言えば、「まあまあ」の作品である。
「凡作」とまでは言わないが、「傑作」ではない。点数をつければ「78点」。

「物足りなさ」の責任が、どこまで「原作」にあるのか、あるいは「監督」にあるのか、原作を読んでいないから、そのあたりはよくわからない。
だから、そのあたりを区別せずに、1本の映画として見た場合、本作は、まず「弱い」のである。劇場用作品としては「こじんまりとまとまった佳品」という感じで、どうにも物足りない印象が残るのだ。

まず、原作に由来する「叙述トリック」の「仕掛け」の部分は、途中で見抜けてしまった。また、その「仕掛け」が、物語的な「必然性」を十分に持っていたとは思えず、ためにする「仕掛け」という印象に終わっていた。

また、ある人物とある人物が「じつは同一人物」というのも、早々に見抜けてしまった。

気がつかなかったのは、「オオカミさま(狼仮面の少女)」の正体くらいだが、こちらは、声優をつとめた芦田愛菜の「極端な演じ分け」によって、とうてい「同一人物」だとは思えないものとなってしまっており、これは演技ミスでもあれば、演出ミスでもあろう。そのいささか「エキセントリックで自信満々な言動」と、「小説」でなら問題にならなかった部分(口調や語気など)で「隠すためのやりすぎ」があったように思う。

ちなみに、私は、女優としての芦田愛菜は、基本的に評価しているのだが、声優としてどうかは、ひとまず判断を保留しておく。

あと、そうした「技術的な問題」とは別に、お話の内容としての「イジメ」問題の扱いが、いささか通り一遍と言うか、ありきたりと言うか、型通りに「優等生的」なものであり、間違いではないけれども、掘り下げに欠けるものであり、物足りなかった。

(主人公の「こころ」をいじめたクラスメート。いかにも憎たらしい表情だ)

「イジメはいけない」「無理に学校へ行く必要がない」「あなたはそのままで良い」といった「常識的なメッセージ」は、無論、間違いではないのだけれども、そんな「教科書」的な「正論」では、映画として物足りないのは当然であろう。

いちおう、「イジメられている人の中にも、他人を見下し馬鹿にする気持ちはあり、ひとつ間違えればイジメる側に回っていたかもしれない」といった描写はあるものの、それが限度で、例えば「正直な批判的意見表明は、イジメになるのか?」といった「難しい問題」にまでは踏み込まない。
「イジメ」と「批判」の境界というのは、実のところ、確定できるものではないのだけれど、だからこそ、現実には「人には思いやりと優しさを」といったキレイゴトで、そうした難問を(日本人らしく)無難にスルーし続けた結果として、人の感情(本音)を抑圧し、水面下におし隠してしまうことにもなっている、といったことなど、まったく考えてもいない
ような「優等生的な良いお話」になってしまっているのである。

そして、こうした「掘下げ不足」の作品になってしまったのは、「叙述トリック的仕掛け」と「いじめ問題を扱った感動物語」といった二本立てが、結局のところ、どちらも「中途半端」という結果を招いてしまったのではないか。

原作『かがみの孤城』は「本屋大賞」を受賞した大人気作品であり、熱心なファンも多いだろうから、たぶん、原恵一監督としては「原作のイメージを崩さない映像化」ということが、至上課題とならざるを得ず、その意味でやりにくい作品であったというのは、容易に推察できるところである。

しかし、それでも『ハケンアニメ!』が原作を超えたように、アニメ版における「改作」に関しては、その判断も決断も、監督の責任であるのだから、「原作に忠実であれ」という世間の課してくる難題を「言い訳」にすることはできない。

例によって、主人公たちの友情と成長に「感動しました」的な評価を与える観客は大勢いるだろうが、そんな人たちの大半は「何をどのように、感動した」のかを説明できない、「脊髄反射的な感動」と「芸術の与えてくれる感動」の区別のつかない人たちだということを踏まえた上で、この作品が、単なる「感動作」、単なる「良い作品」に止まったことの原因を検討すべきであろう。
この程度の作品では、原作の知名度と人気が無ければ、完全に見向きもされない、影の薄い作品として消えてしまっていたというのは、ほぼ間違いのないところだからである。

残念ながら、私が昨年観た劇場用長編アニメーションの中では、『ぼくらのよあけ』に次ぐ「ワースト2」作品ということになってしまった。

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(2023年1月22日)

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