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母の左手②

母になんらかの腫瘍があるということで、地元の大きな病院にいくことになった。そこでPETという検査を受けようとしていたが、医者に「この検査をすることによって治療開始が遅くなる」「他に転院希望(もっと大きな病院に行く)があるならば、全部そこでした方がいい」と言われた。

迷いはなかった

母の田舎の総合病院は評判があまり良くなかった。
「どうしようか?」と初めて母の不安そうな声を電話越しで聞いた。
「いいよ、うちの家に治療中住んだらいいよ。私の住んでいる県の総合病院に紹介状を書いてもらって」と話すと母は幾分か安心したかのように、トントン拍子で病院が決まった。そして、母を迎えに行くその日がきた。

お迎え

母を乗せるため片道二時間半の道のりを車で往復した。
もうすでにクッションがないと背中が痛むようだった。
「大丈夫なの?」と聞いても笑顔で「平気、平気!クッション引けばなんともないんよ」といつも通り。
道中は今からの孫との共同生活のことや病気のこと、確定されてない予想される病気のこと等を話しながら、腰の痛みを隠して楽しそうに会話してくれていたように思う。

診断

指定されたその日、紹介状を持ち母と病院へ訪れた。
相変わらず母と一緒に待つ待ち時間は退屈しなかった。たくさんの話をしながら、長い総合病院の待ち時間を潰した。CTや血液検査などたくさんの検査を行い、診察に通された。

そして、診察室に通されて一通りの結果を見た先生の口から出た言葉は、膵臓癌。主治医は「おそらく膵臓癌でしょう。組織を取って確定させますが、この状態からみると大きさは6センチほどの腫瘍で膵臓尾部です。」
母は「私は、もうすぐに切除してもらいたいんです」と言う。
主治医は切除よりも、術前の抗がん剤が有効な治療法だという。
ガンのステージは2だった。
まずは胃から膵臓の細胞をとるための大きめの胃カメラを飲むことになるという説明、今後抗がん剤で小さくなったら切除可能であることも含めて話は終わった。

会計待ちに母が「お母さん、癌って思わなかったなぁ。だって1ヶ月前に人間ドックでがん検診してたんよ。なんで引っかからないの?って思う」と少し困惑していた。
「でもね、ステージ2だから頑張って治すよ。大丈夫、まだまだ死なないから!孫の結婚式まだ見るんだから」と軽く笑い飛ばしてガッツポーズをする母。「もちろん、まだ死んだもらったら困るわ」と笑いながら、最後まで母を支えていこうとその時決心した。

確定

1日入院して、大きな胃カメラ(細胞をとるための)を飲み、組織検査まで待ち。診察室で改めて主治医から言われた言葉は「膵臓癌で間違いないでしょう」だった。やっぱりかと言う気持ちとこれから選ぶ抗がん剤の種類、ジェムザール、アブラキサン、TS1などの説明を聞きパンフレットを持ち帰り、母とたくさん話したのを覚えている。

やっぱり抗がん剤のイメージは怖いものだ。
気丈な母でもやはり「副作用ってどんななんだろ、吐くのかな。迷惑かけちゃうね」「髪の毛抜けてしまうんやねぇ」とパンフレットをめくりながら話しかける。
私は自分が受けないのに「これを母に受けて欲しい」なんてことは言えなかった。主治医の癌の効果として成績がいいという統計上の話を聞いても、それを投与して苦しむのは母だからだ。

パンフレットをパラパラとめくりながら、私は「お母さんがやるんだし、お母さんが決めた方がいい。」と言った。

母は「あんただったら、どうする?」と言う。
この問に真剣に答えた。できる限り、自分に置き換えて。
「私が同じ状態なら、一番強い抗がん剤にする(成績がいいというもの)だけど、抱えている状況が違うし、やっぱり怖い気持ちもある。だから受けてキツかったら、先生にもう一つの方に変更したいって話すかもしれん」と言った。

母は「ほんとね。そんな風な選択もあるね。よし、一番成績の良い抗がん剤にしよう」と心に決めた顔をしていた。

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