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【ミニコラム】プーチンと「伝チャーチル」、2つの名言(迷言?)──社会主義をどう「斬る」か

「ソ連崩壊を残念と思わない者には心がない。が、それを元どおりに復元したいと望む者には頭がない。」

 ──ウラジーミル・プーチン


「20歳までに共産主義に傾倒しない人間は情熱が足りない。20歳を過ぎて共産主義に傾倒する人間は知恵が足りない。」

 ──ウィンストン・チャーチル
 ……の発言とされているが実際にはそうではない出所不明の言葉(……の、日本語訳として流布しているものの一例)


その1

今回のテーマは、冒頭に掲げた2つの名言(?)を分析ないし「味わってみよう」というようなものです。

というわけで取り上げる本題その1は、冒頭に掲げた、旧ソ連時代についてのプーチンの評。

原文とともに再掲しておきます。

«Кто не жалеет о распаде Советского Союза, у того нет сердца. А кто хочет его восстановления в прежнем виде, у того нет головы».

「ソ連崩壊を残念と思わない者には心がない。が、それを元どおりに復元したいと望む者には頭がない。」


「西側」寄りの情報にばかりさらされていると意外とも思えるようなことですが、ロシアの人にとって旧ソ連時代は必ずしも悪い時代だったという認識ではないようです。

それは、ソ連崩壊後の社会混乱や困窮があまりに苦しかったので、相対的にソ連時代がマトモに思えてくるということもあるでしょうし。
いかに行列に並ばないと物が買えなかったと言っても、それを言い換えれば、並べば物はちゃんと買える、それなりの安定があった時代だとも言えるわけです(本当に物がないなら、そもそも誰も行列などしないわけで……)。

とか書いていると、社会主義時代を美化しすぎと言われそうですから、全然購買意欲をそそられない、社会主義な商店とかのビデオも公平のために貼っておきます(時間指定つきで)。旧ソ連末期、1988年の撮影のようです。(※)

まぁ、こんな感じだったかなぁと。
(私が初めてロシアに行ったのは確か1992年のことでソ連崩壊後でしたから、当時の雰囲気を正確には知らないのですが。)


さて、で、先に引用したプーチンの発言についてです。

この発言、結構有名だとは思うんですが、元発言の動画とかあるんだろうか……と思って検索したら割とあっさり見つかりました。
(ロシア語がお分かりにならない方には「訳もついてない動画を見せられたってなぁ」という感じかとは思いますが^_^;)

もうちょっと噛み砕くとこんな感じでしょうか。
「旧ソ連時代になんのノスタルジーも感じないというなら、それは人として冷たすぎる。しかし冷静に考えれば、もう一度旧ソ連を復活できるわけがないのも明らかだ。」

恐らくヨーロッパ的レトリックとして、こういう言い回しってあるんだと思います。
「Aも駄目だが、Bも駄目だ。(だから両者を止揚した第三の道を模索するべき。)」というニュアンス。

この発言についてはプーチンの政治的立場と庶民の生活感覚を一旦分離した上で改めてオーバーラップさせると、割と見通しが良くなるかもしれません。

プーチンの立場に寄せて見ると。彼は「旧ソ連時代のような強いロシア」を目指し、自国を発展・繁栄させようという立場だから、その意味で旧ソ連時代を称揚することには意味がある。
とはいえ、今更ロシアを社会主義に戻しても発展の道筋などあるはずもなく、そもそも彼自身、ソ連が崩壊して新生・ロシア連邦が成立したところから生まれた政治家なのだから、そういう地盤的にも旧ソ連の復活など困る。

一方、庶民の素朴な生活感覚からすると。「あの時代って、今思えばそこまで悪くなかったよなぁ」とか思ったりする素朴なノスタルジーがまずはくすぐられ。
(最近の事件に寄せて言うと、少なくとも旧ソ連時代には、いかに仲が悪いといってもアルメニアとアゼルバイジャンが戦争をするなんてあり得ないことだった、というような。)
一方、やっぱり当時のような、ロクな消費物資もなく、何をするにも窮屈な時代になんて戻りたくないという思いも当然にある。

プーチンと庶民、どちらの立場的にも旧ソ連時代は「懐かしさを呼び起こす(起こさせる)追想の対象ではあるが、そこに戻るわけにはいかない。」
こうしたそれぞれの思惑が絶妙に一致するポイントから成立したのがこの名言(迷言?)なのかなと思います。


その2

今回の本題のその2は、これも冒頭に掲げた「伝チャーチル」の発言。

冒頭にも書き、ここでも「伝チャーチル」などと強調しますように、この言葉は実際にはチャーチルの発言ではないようです。

国際チャーチル協会(!)のサイトに考察が載っていました。

しかも、本来の(?)英語版(=チャーチルの発言でないことはおいて、ともかく彼の発言として流布している言葉の元バージョン)はというと、

‘If you’re not a liberal when you’re 25, you have no heart.  If you’re not a conservative by the time you’re 35, you have no brain.’

「もしあなたが25歳にしてリベラルでないなら、あなたには心がない。もしあなたが35歳にして保守でないなら、あなたには頭脳がない。」

……というものであるようです。冒頭のとはいろいろ違っていますね。年齢からして違うし、そもそも共産主義の話じゃなく「リベラル対保守」を対立の軸とする言葉です。

が、まぁ実は本稿で書きたいのはそういうことではなく。

実は私、最初に持ち出した引用文、謂わば「詠み人知らず」の言葉と割り切れば、なかなかに含蓄があってそう悪くもないように思うのです。
ただ、そこでちょっと解釈の問題が出てくるのかなとも思うのですが。

(ここで便宜上、年齢などを若干オリジナルどおりに修正した上で再掲します)

「25歳までに共産主義に傾倒しない人間は情熱が足りない。35歳を過ぎて共産主義に傾倒する人間は頭脳が足りない。」

……この言葉、どちらかと言うと保守派の方が好んで引用するように思うのですが、それは私にはちょっと不思議なのです。

ひょっとしてそういう方々はこの文章の意味合いを
「若いうちは共産主義などという愚かな考えにかぶれることがあるかもしれないが、ちょっと歳をとればその愚かさに気づいて卒業するのがまともな人間というものだ」
……ぐらいに受け止めているのかもしれません。

しかし私に言わせると、もしそういう意味に取っているなら、それはちょっと「頭脳が足りない」です(苦笑)。

これがチャーチルの発言であるかどうかに関わらず、とにかく「西洋の誰かさんの発言」という体で引用するならば。
あちら流のレトリックに則り(上のプーチン発言のところでも示したように)「Aも駄目だが、Bも駄目だ(=両方の想いを生かした第三の道を模索すべき)」というスジで解釈するのでなくてはおかしいでしょう。

じゃあ、どういう風に解釈するのが妥当か?なんですが、ごちゃごちゃ理屈を書くのは退屈だから飛ばし、ここでは一足飛びに「ワタシ流の解釈、プラスアルファ」を書いておくことにします。
もちろん「Aも駄目だが、Bも駄目だ」の基本路線はしっかり守っての解釈です。

人間誰しも、若いときは理想と情熱に溢れているし、誰とでも簡単に仲良くなれる分け隔てのない心をも本来的に備えているものである。
そうした若い時分に、あらゆる人の幸福と平等を旗印とする左翼的な理想に心惹かれないとしたら、それはあまりに人としての情熱(ハート)に欠ける。有り体にいえば、いささか人として「難がある」のである。

でも、そうした理想が一足飛びに実現可能だとする(ガチの)共産主義者的展望に、ある程度年を取ってなお疑問を抱かないとしたら、それはそれであまりに世間知の積み上げ不足である。

(ここまでは、冒頭の文章の単純な解釈。ここからが私なりのプラスアルファ、つまり両方の想いを生かした第三の道についての見解です。)

ではどうあるのが良いのだろうか。
若き日の理想を消し去る必要はないし、それは愚かなこと。理想をいつまでも心の中に「種火のように」燃やし続けておくことは大切である。
ただ、そういう理想が簡単に現実化できるものではないことも知っているあなたは、それを一気に実現しようなどとは思わず、一歩一歩地道に理想に近づけるよう手を尽くし、あるいはそうしている人に手を貸すと良い。
それこそが成熟した大人のとるべき道なのだ。

……と、私は冒頭の言葉をこのように受け止めているわけです。
どうでしょう、こう見ると結構含蓄のある素敵な言葉じゃないでしょうか?
(……と、私は思っているのです。)


とりあえず、今回はこのへんで。


(※)……こうやって、ついつい「公平を期そう」とかしちゃうところが、リベラル派が得てしてプロパガンダ合戦に弱い理由かな、とか思ったりもするのですけどね。
これについては既に芥川龍之介が「侏儒の言葉」でこう喝破しています。

自由思想家

自由思想家の弱点は自由思想家であることである。彼は到底狂信者のように獰猛に戦うことは出来ない。



◆今回のトップ画像は(そこまで気に入ったわけでもないけどとりあえず)以下にあったチャーチルの写真を使用しました。
なんといいますか、便宜上の措置です(苦笑)。
https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Winston_Churchill