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「人生の最重要人物はわたし」を体感する話。

〝 セルフプレジャーは平和への祈り 〟

わたくしのnoteアカウントの自己紹介はこんなかっこいい書き出しで始まるのですが(自分で褒めていくスタイル)

そもそもセルフプレジャーって、そこそこ元気がないとできるもんじゃないよなあって最近ふと思ったんですよね。

女の人って特にそうなんじゃないかな。


心身が疲れてるときや自分のことが許せないときに性に意識を向けろって言われてもけっこう無理だったりすると思うし、

心の中で自分を責めていて自分自身と仲違いしているときに、積極的に自分を悦ばせるために自分のからだに触れてあげるって、そうそうできることじゃないよね。


エクスタシーが人生を変える🪷ってどれだけ言われたとしても、

日常生活の中で考えることがいっぱいあって頭がぱんぱんになってたり

やらなきゃいけないことに追われてる気がして、漠然とした焦燥感で心がいっぱいになってたりするとさ

自分のためにゆっくり時間をとって、自分のからだを愛でようなんて思う余裕さえもなくなっちゃうよね。


そんなときって、自分よりも人のことに無意識に意識がいきまくってしまっていたり

「今この瞬間」じゃなくて未来への心配や期待にばかり自分の意識を使いまくっていたりするときだと思うのね


そうなってるときに、自分のからだを愛しましょう♡心身の性感を開花させましょう♡っていうのは、

時と場合と人によってはけっこうハードル高いのかもなあって。



なんかね、わたし自身も今年のはじめ頃から からだのいろんなところに不調がでたりして、

ちょっと心身ともに余裕がなくなっちゃってた時期が多かったんだよね。

(そのおかげで本気で食生活改善できたから結果すごいよかったんだけどね🐻)


それでちょっと、性に向かう気力が持てなかったりしたときがあったんだけど

そういうときでもね、やっぱり自分のからだにふれて名前を呼んで話しかけてあげると、すごい癒されるし安心を感じるんだよね。


性的な快楽とかエロ的な目的じゃなくて、ほんとに純粋に、たとえるなら愛するペットを撫でるような気持ちで自分の膣の入り口にふれてあげるだけ。

そして自分の名前を呼んで、「ごめんね」でも「だいすきだよ」でも、自分(のインナーチャイルド)に伝えたい言葉をつぶやいてみる。

元気がないときって膣も閉じちゃってることが多いから、膣に無理させないで ほんとにふれてるだけでいいんだ。


最初はね、なんにも感じられないかもしれないけど、インナーチャイルドが気づいて何か言葉や感覚を返してくれるまで愛を伝え続けるの。

膣ってインナーチャイルドのいるお部屋に繋がってる通路みたいなものだから、心をこめて話しかけ続ければそのうち気づいて何かしらのレスポンスをくれるはず。


そんなことをしているとね、膣の奥には抑圧してきた怒りや悲しみや恨みが(時と場合と人によっては)いっぱいに詰まっているから、

「ああ、あのときのあのこと、許せなかったよね」とか

「あのときあんなふうにされて、すごく傷付いたよね」とか

「平気なフリするしかできなかったけど、あのときすごく怖かったよね」とか

なんか自分の記憶(=インナーチャイルド)と会話ができるようになるんだよね。


そうすると、抑圧された怒りや悲しみにたいして

「あれは傷付いて当然だよ」とか「〇したいくらいムカついたよね」とか

「あんなの許せるわけないよ、許さなくていいよ」とか

時を超えて共感してあげられるようになるんですよ。


それと同時に、まだまだ自分のこと責めてたんだな… とか、本音をおしこめて心が閉じちゃってたんだな… とか

普段気がつけないことにも気がつけたり。


そうすると、なんだかほっとして、心身が癒されていくのを感じるんですよね

自分のなかで絡まっていた鎖がほどけるような

ドロドロに澱んでいた感情のかたまりがボッ🔥と燃えて さーっと消えていくような

そんなかんじ。



その癒される体感と自分と和解できたときの安心感が気持ちよすぎて、

あーやっぱり、これまでにあった嫌なこと全部、わたしとわたしが愛し合うため「だけ」に起こってたんだわって思うよね

わたしが(内なる)わたしの存在に気づいて、より自分自身のことを深く知って愛するため「だけ」に起こってたんだわって。


だからね、嫌なことしてくる人とかだって、自分の中で主役級に存在感がでかくなるし頭から離れなくなって物凄く不快な存在だけど

そういう存在感でかすぎウザキモ野郎 人だって結局、わたしとわたしの愛を燃え上がらせるための演出としての小道具にすぎないんだなーってことがわかるの。


だからなんていうかな、、愛を持っておまたをさわりながら自分と対話をしていると、

「わたしの世界の最重要人物は、わたしなんだ」

って、心からしっかりと思えるようになるんだよね。


膣にふれなくても自分と会話できるし自分を肯定できるよって人もきっといると思うけど、わたしはやっぱりおまたにふれてたほうがずっと自分と繋がりやすいんだよなあ。

めーっちゃグラウンディングできる。


だからいつもこう思ってます。

わたしの人生の正解は、おまたをさわること。

そのアクションが、わたしを光のほうへと導いてくれる。


そんなわけあるかいなって思うかもしれないけど

女のおまたは男じゃなくて他人じゃなくて、本人の手で撫でてほしいかまってほしい愛してほしいって、いつも思ってると思うんだあ。

そうじゃなきゃ他人なんていらねーよ。って、きっと思ってる。



「おまたをさわる」って聞くと、下ネタしか連想できない人も世の中にはいると思うけど

まじのガチでわたしは膣で自分と繋がってるって思ってるから、今日の話は(いつの話もだけど)わたしにとってすっごい真面目で純粋な自己受容の話。


自分と自分の膣に、愛とリスペクトをいつも贈っていたいよね。

ということで本日のnoteは以上となります。

ご清聴どうもありがとうございました。



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